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目覚めたら、知らない場所だったなんて笑えない。目覚めたら、知らない世界だったなんて、もっと笑えない。





ドラゴンと呼ぶにふさわしい姿をした巨大な動物も、その背に乗る人も、見たことないし、地球上に存在するわけがない。


冷たすぎる雨が容赦なく降り注いでいる。雨音以外の音が耳に響かない。Tシャツに短パンという格好は真冬のような寒さと雨の中では体温をすぐに奪っていく。寒さと本能的な恐怖で体の感覚が全くなく、動こうにも指先1つ動いてくれない。

木々に囲まれたこの場所は、きっと森の奥深くだろう。目の前のドラゴンは、お座りのような体制で鋭い歯を剥き出しにして荒々しく息を吐き出している。


ドラゴンから降りた男が近づいてくる。慌てたように何か話しているが、耳に聞こえるのはただの“音”だ。言葉が通じない。意味を持たない言葉はただの音だ。感覚のない体に男が触れる。温かさに安堵し、分からない“音”に絶望する。達の悪い夢だと願いながら、最後にみたのは鮮やかな金の瞳だった。







堅い感触で目が覚めた。床で眠ってしまったのだろうか。しかし、床よりは幾分柔らかいし、体には布団がかかっている。


嫌な予感を振り払ってうっすら目をあけると、眩しい朝日に木造の部屋。眉を顰めながら、自分の姿を眺めると決して着心地がいいとは言えない長めのズボンに白いシャツ。

辺りを見渡せば、天井にはランプが吊され、蛍光灯も電球もない。

ベッド以外の物がない部屋には空の棚とクローゼットが1つ。窓にはガラスもはめ込まれておらず、カーテンがはためいている。


こんな服も部屋も知らない。まるで山小屋だ。――――住んでたマンションは東京にあり、丘すらも近くになかったのに?まさか、誘拐…?なんて背筋を凍らせたとき、ふと浮かんだ冷たい雨の感触と巨大なドラゴンの姿。背筋が凍るどころの話じゃない。混乱する頭は、それでもなんとか冷静に理論的な答えを見つけだそうとする。

酔っ払って夢を見たに違いない。飲み過ぎて前後不覚なところを誘拐されてしまったのだ。

きっと、命を落とさないように気をつけていれば警察がすぐにみつけだしてくれる。


だって、そうじゃないと、きっと狂ってしまう。それなのに、鮮やかな金が頭から離れない。


ベッドに座って頭を悩ませていると、急に扉が開き、男が入ってくる。驚いて身を竦ませ、肩を震わせて怯えた瞳を向けると、男は困ったように眉を下げて口を開く。


「――――?」


“音”だ。私には何1つ伝わらない“音”。なにもかもが恐怖で混乱しかないのに、困った色を見せる金の瞳を見ていると不思議と心が凪いでくる。


「――――?」


男が同じ音を繰り返す。


「――――。」


泣きそうな顔をしているのは自覚しながら同じ音を繰り返すと、男の眉が寄る。


「―――――?」


今度は違う音だ。


「あの、ここどこですか?」


試しに日本語を話してみると、より一層深くなる男の眉間の皺。

理解されていない。絶望に身を固くする。

どうすればいいのか分からない。一体ここはどこなのか。目の前の男は何者なのか。

すると、目の前に差し出されたスープ。透き通った薄茶の液体に野菜らしきものが浮かび、木の器にスプーンが入っている。食べ物には違いないだろうけど、口をつけるのは躊躇われる。じっとそれを見つめていると、


「――――」


優しい声音で話しかけ、男がスープをすくって自ら飲んでみせる。

見つめると、そのままスプーンを口元に運ばれる。


「――――」


優しい声音に、警戒心を薄れさせ、スープを口に含む。


「……おいしい。」


こんな、わけの分からない状況でご飯が美味しいなんてずるい。警戒心なんてガラガラと崩れさってしまう。

またも差し出されるスプーンを遮って、自らスープをたべすすめる。

そんな私を黙って見つめる金の瞳なんてすっかり忘れてしまっていた。


「どうしよう、おいしい。」

「――――?」


何か尋ねられてるようだけど、あいにく何を言ってるのか全く分からない。

飲み干したスープの皿を差し出し、金の瞳を見つめて皿を指差し、笑う。

おいしかった、と伝える方法はこれで良かっただろうか。金の瞳が私の笑顔を見て細められる。その表情に、やっと男を見る余裕が出てきた。金の瞳に注意がいっていたけれど、じっくり見ると端整な顔をしている。ここは天国で、男は天使だと言われても信じてしまえるほど、美しく優しい顔立ち。明るい茶色の短い髪が似合っている。


男は皿を受け取るとベッド横の小さなテーブルに置き、自分を指差し、同じ言葉を繰り返す。


「セドリック?」


私が同じ音を繰り返して男を指差すと、笑顔で頷く。そうか、“セドリック”は男の名前なのだ。


「セドリック。セドリック。セドリック。」


変な音だ。繰り返し呟くと、今度は私の方を指差される。


「みどり。み、ど、り。」

「ミ、ド、リ。ミドリ。ミドリ、―――――?」


セドリックが、大きな紙を広げてそれを指差しながら何かを尋ねる。

それを覗くと同時に再び背筋が凍る。私は後何回、絶望しなきゃならないのだろう。

これは地図だ。世界地図。私の知らない。見たこともない。大陸が2つしかなく、右の大陸の方が大きい。日本らしき島は見当たらない。地図上に書かれた文字も全く分からない。

いくらなんでも違いすぎる。科学技術の差のせいにしても、こんなに違うのはあり得ないのではないか。

震える指を地面に向け、地図を指差す。一体、ここはどこなのか。

男の指が地図の一点を示す。右の大陸で一番大きいと思われる国の中心に程近い場所。


「ミドリ―――――?」


セドリックが私を指して地図を示す。

出身地を聞かれている。震える指が地図をフラフラし、力なく落ちる。俯いて首を振るしかない。

異世界という単語が頭にリフレインする。唇を噛み締めて俯いていると、肩を叩かれて困った顔をしたセドリックと視線が合う。





それから、身振り手振りで様々なことを聞かれ、様々なことを教えてくれた。


混乱していて、何一つ分からないということ。私が現在1人で、頼る者もいないこと。私の故郷は、この世界ではないと思われること。


元の世界に帰る方法は全く知らないこと。でも、異界の者に纏わる伝説がこの世界にはあるらしい。私がここにいるのは偶然かもしれないし、誰かの思惑があったのかもしれない。明日にでも元の世界に帰れるかもしれないし、一生帰れないかもしれない。今はまだ何もわからなかった。唯一の手がかりである伝説の内容は、複雑すぎて伝わらなかった。


セドリックは今、ひと月の休暇中らしい。あと20日程で休みがあける。その後、帰る方法について出来る限り探ってくれる。それまでは言葉を教えてくれると約束してくれた。

そこまでしてもらうのは申し訳なさすぎたが、頼れる人が誰もいない。何かお返ししたかったが、家事の常識すら知らない。食べ物もどこが食べられる部分かも分からない。掃除機も洗濯機もない。日本とは違う。勘でやっても迷惑をかけるのがオチだ。

言葉を教えてもらいながら、家事も同時に学び、数日で掃除や洗濯なら1人でできるようになった。料理はまだ1人だと怪しい。


セドリックは、驚くほど優しく、そして根気強かった。何度間違えても丁寧に教えてくれる。もらった紙は、すぐに日本語とテイル(というらしい)でいっぱいになった。

テイル語は英語に似ていた。日本人には慣れないが、英語も高校で習っていたのでまだ分かりやすい。文法はそっくりだった。ついこの間まで習っていた英語を必死に思い出しながら、テイル語にも当てはめる。

数日前まで通ったいた高校が遥か昔のように感じられた。普通の女子高生である私が、こんな状況に陥るなんて下手なファンタジー小説みたいだ。全く面白くない。


不思議なことに、この世界にどうやって来たのか全く覚えていない。光に包まれてとか、クローゼットを通ってとか、そういった記憶は全くなく、気づいたら雨のなか1人だった。家族のことも思い出せない。ただ漠然と、高校に通っていたという記憶があるだけだ。

あとは、向こうの世界の知識がある。思い出と呼ばれる記憶だけがすっぽり抜け落ちて、自分のことなのに、現実感がない。ただただ、あの世界に帰りたい。帰らなければならない。とても強く思う。





この数日で感じたことは、ここはやはり異世界だということ。中世ヨーロッパに似ていて、一番大きく異なる点は“魔法”が存在することだ。


そして、いまだに私は元の世界に帰れていない。

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