俺の隣に人が座らないのは何故?
終電間際の電車内。満員とまでは行かないが、それなりに混雑していて席はほとんど埋まっている。
にもかかわらず、俺の隣席はもうずっと空席のままだ。ここ最近こんなことが続いている。
たまにフラッと俺の隣に座るやつが現れるが、しばらくすると顔をしかめて席を立ってしまうのだ。
一度や二度でなく、電車に乗るとほぼ毎回この有り様。毎朝鏡を見て身だしなみのチェックを行ったり、自己分析を繰り返しているが特に理由は見つからない。太っているわけでもないし、汗っかきでもない。もちろん清潔感のある服装を心がけている。顔はあまり良いとはいえないが、人に避けられるほどは酷くないはず。
にもかかわらず、俺の隣は空席のまま。一体何が悪い?
できれば第三者の意見を聞きたいが、俺には友達はおろか知り合いもいない。生粋のボッチである。だから自己分析するしかないのだ。
しかし考えど考えど理由は浮かんでこない。
その上、俺を取り巻く状況はどんどん悪くなっているようなのである。
最初の頃は俺の隣に座った後、他の席が空いたらそちらに移動するといった程度のものだった。徐々に座ってから席を立つまでの時間が短くなり、今では俺の隣の席に座るや否や顔を顰めて俺を一睨みし、さっさと席を立ってしまう。
最近では夢にまで電車が出てくるようになってしまった。理由を考えに考えすぎて、ストレスで胃潰瘍にもなった。もう心も体もボロボロだ。でも電車に乗らないわけにはいかない。
こうして俺は今日も電車に乗っているわけである。
そのうち電車に乗り込んできた客がまた俺の隣に座った。若い女性で、酷く泥酔しているようである。席に座るや否や座席に体を預け、足を投げ出して目をつむる。1分、2分、3分と時間が経つが席を立つそぶりは見せない。
俺は内心嬉しさで飛び上がりそうになった。こんなに長く俺の隣に留まってくれたのは久しぶりだ。
そしてさらに喜ばしい事が起きた。女性の体がだんだんと傾き、彼女の頭がどんどん俺の方へと向かってきたのだ。
俺はそっと女性の顔を覗き込む。その顔はなかなか整っていて、酔っているためか頬は赤く、乱れたワンピースからは鎖骨が覗いている。
正直、かなり好みだ。
避けられ続けた日々から一転、女性に体を預けられる日が来るなんて。
……眠っているみたいだし、もう少し眺めても良いかな。
そう思ったその時だった。
突然女性がカッと目を見開き、口を大きく開けた。
彼女の喉の奥から何かがほとばしるのを感じた次の瞬間。彼女は口からマーライオンの如く胃のなかのものを吐きだす。ソレは彼女の口の目の前にあった俺にクリーンヒットした。
「ウッウオェェェェェェェ……」
女性はその小柄な体に似つかわしくない重低音の呻き声を上げながら吐しゃ物を床にぶちまける。
俺は吐しゃ物をぶちまけられたショックと、俺の顔を見て嘔吐されたことでパニックになり、床にうずくまってゲーゲーやってる女性を泣きながら問い詰めた。
「なんなんだよっぉぉぉぉ!! そんなに俺はキモイのかよ、吐くほどキモイのかよ!! おいっ、吐いてないで何とか言えよおおおおぉぉぉぉ!!!!」
「ウゲッ、ウボエエエェェェェ」
俺が彼女に顔を近づけると、女性はさらに激しく嘔吐した。
吐しゃ物が床に落ちるビチャビチャという音と泣き喚くいい年した大人の男、そして逃げ惑う乗客たちで車内は大混乱。
さらに貰いゲロ勢たちがあちこちで爆弾を投下し、車内はまさに地獄絵図と化した。
俺は耐え切れずに女性を置いて次の駅で下車する。服からゲロを滴らせながら。
「ううっ、うっ、なんで俺がこんな目に合わなくちゃならないんだよぉッ!!」
俺は嗚咽を漏らしながらその場にへたりこむ。
涙がどんどん溢れ、俺の回りには様々な体液による水溜まりができた。
大泣きのせいで段々と呼吸が上がっていく。そしてとうとう過呼吸を起こした。慌てて鞄からスーパーの袋を取り出して口にあてがい息をする。
「はぁっ、はぁっはぁっはぁっ……うっ!?」
その時、不意に呼吸が止まった。
ヘドロ、排泄物、下水、腐った生ゴミ……この世の全ての汚物をぶちこんだような臭いが袋のなかから直接鼻に流れ込む。
ああ、そうか。そうだったのか。
そりゃあ鏡で見たってダメなはずである。
薄れ行く意識の中で、俺は無意識に笑っていた。
俺を、いや、俺の周りの人間を苦しめていたのは……この口臭だったのだ……




