後日談②
パァン。
思いっきり、頬を叩かれた。
叩かれた時、長い爪も引っ掛って。
少しヒリヒリした。
きっと、立派な引っ掻き傷が出来てる。
ジンジンとしている頬は、赤くなってると思う。
でも、そこより痛む場所がある。
「私だって、私の方が好きなのにっ!!」
叫ばれた言葉に、胸が痛む。
「透和と別れて」
じくじくと。
締め付けられた。
マンションを出てすぐ、外で待ち構えていたらしい彼女――同い年くらいの綺麗な女の人――に詰め寄られて。
頬を叩かれた。
「透和じゃなくてもいいでしょ?男はいくらでもいるんだからっ」
睨みつけてくる瞳に、怯みそうになる。
だけど。
「ごめんなさい、私なんかじゃ皆が納得しないの、分かってる。――でも、好きなんです」
ぎゅっと袖の下で手を握り締めて、目線を逸らさずに、言葉を返した。
そんな私の言葉に、ぐっと唇を噛み締める彼女。
その彼女の表情から、納得していないのがありありと分かる。
何でこんな何の取り柄もない平凡な女が?
何で透和はこんなのがいいの?
こんな女よりも私の方が、もっと――。
そんな彼女の気持ちが、こっちまで伝わってくる。
きっと、何か一つ違っていれば、その表情をしてるのは私だったかもしれない。
だからかな。
彼女の、彼女たちの苦しみや痛みが私の中にも伝染してきてしまう。
「……一度は離れておきながら、やっぱり好きだから寄りを戻す?図々しいのよ!そんなことが許されるとでも思ってんの!?」
「――っ、許される、なんて思ってないです」
あの時の苦しそうに叫ぶ透和を思い出せば。
今でもまだ、胸が痛い。
でも。
「でも、私はもう一度透和と一緒にいたい。それを、彼も望んでくれたから。だから、別れません」
もう二度と、私の勝手な思い込みで透和を傷付けたくなんかないから。
だから、私から透和の手を離すようなことはもう二度としない。
決意を込めて、言い返す。
私が彼女に返せるのは、透和に対する嘘偽りない想いだけだから。
たった一人で私のところに来た彼女には、誠実に答えを返したかった。
そんな私の言葉を受けて、それまで真っ直ぐに私を睨みつけてた彼女の視線が、下に落とされる。
そして、
「――どうせ、いつかアンタも、飽きて捨てられるわ」
ポツリ、と呟くように彼女が言った。
そうなのかもしれない。
今は、私のことを好きだと言ってくれてるけど。
この先は分からない。
もっと他に、素敵な女性が現れて。
透和はその人を好きになってしまうのかもしれない。
もしかしたら、周りからの圧力に負けて。
私が透和から逃げてしまうかもしれない。
どうなるかなんて、分からない。
この先も、ずっと一緒にいられる保障なんて。
――どこにもない。
でも。
そんな不確定な未来に怯えて、透和を傷付けたくなんてないから。
透和は、私を好きだと言ってくれてるから。
だから。
私は、その気持ちを大切にしたい。
「ずっと好きで居続けて貰えるように、努力するだけです」
「――っ」
私の言葉に、彼女の顔が泣きそうに歪む。
でも、私の前で涙を零すことはなく。
キツク唇を噛み締めて。
そのまま何も言わずに踵を返した。
彼女の去っていく背中を、私はずっと見つめていた。
私がこれからも透和と付き合っていけば、彼女のような人はもっと出てくるんだろう。
私たちが付き合うことで、たくさんの人が傷付くんだろう。
それを思うと、胸が痛くなる。
透和が選んだのが私だってことに、納得いかない人だって多いと思う。
だけど。
私が出来ることなんて限られていて。
私は私でしかなくて。
ただ――、
ヴーヴー…。
そこまで考えてたところで、ケータイの振動音がした。
ピッ。
彼女の立ち去った方向を見ながら、電話に出る。
『なー、いつまで待たせんの?もう、約束の時間過ぎてんだけど?』
「え?――っ、」
通話ボタンを押すと同時、聞こえた言葉に、ハッとした。
慌てて、手首に巻いてる腕時計を確認する。
――10時5分。
「ごめん!時間見てなかった!」
実は今日、透和とは外で待ち合わせをしてた。
そして、これから一緒に水族館に行くことになってる。
この間は、結局行けなかったからってことで。
“外でデート”のリベンジ。
初めての、透和との外デートだ。
『ったく、しっかりしろよ?』
「今、マンション出たとこだから……!」
(結構、余裕を持って出たはずなのに……)
マンションを出て、駅に行く途中で彼女に会って。
いつの間にか、最後に確認した時から、30分以上も経っている。
『時間になっても来ないから、何かあったんじゃねぇかと思っただけだ。だから別に、急がなくていい。というか、それより気を付けて来い。急いでて事故に合うなんて、ベタなことはすんなよ?』
慌てる私を落ち着かせるように、透和が言う。
それに、走り出していた足をゆっくりと止める。
「……分かった」
走るんじゃなくて、若干早歩きで歩きながら、ケータイの向こうにいる透和に声をかけた。
「――ねぇ、透和?」
ただ。
『ん?』
私に出来るのは、
「――大好き」
この気持ちを大切にすること。
それだけ。
『っ!?……は、え、ちょ、おま……っ、突然なん――っ』
ケータイ越しに聞こえた、動揺する透和の声。
頬の傷をどうしようと思いつつも、その声に動揺してる透和の姿が思い浮かぶようで。
自然と口元が綻んだ。




