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別れ話


別れよっか。

その言葉を言うのに、1ヶ月かかった。






家主である私よりも家主らしい男は、キッチンで洗い物をする私を尻目に我が物顔でリビングでくつろいでる。


そして、私の視界の端に映る床に置かれた紙袋。


――「奈夕(なゆ)、お前甘いの好きだろ?俺一人じゃ食いきれないからさ、やるよ」


そう言われて、今日部屋にやって来た男に手渡された。

中に入ってるのは、可愛く包装されたチョコレートの山。

当然だ。

だって今日は、バレンタインだから。





洗い物を終えてリビングに入った私に、リビングの主は声をかけてきた。


「なー、奈夕。チョコは?」


そう言って手を出してくるのは、私の彼氏の藤咲透和(ふじさきとうわ)

出された手は、手のひらが上になっていて。

ここにチョコを置けってことなんだろうけど。


「ないよ?」


私はばっさり切り捨てた。


「は?ちょ、今日が何の日か知ってるよな?」


焦ったように、寝転がってたソファーから体を起こして私に聞いてくるけど。

無い物はない。


「バレンタインでしょ?」

「知ってんなら――」


しつこく言い募ろうとする透和に、言葉を返す。


「だって、透和は一杯チョコ貰ったんだから――必要ないでしょ」


ホントは、ちょっと違うけど。

この理由も嘘ではない。

でも。

今日、私は別れを切り出そうと決めている。

それが、一番の理由。

別れようと決めたのは、もう一か月も前だったけど。

なんでか言えなくて。

気付けば、一か月経っていた。

だから。

バレンタインという、イベントを切っ掛けにして。

今日こそは、別れを切り出そうと決めていた。


「それとこれとは……っ、あーくそ!マジか……」


私の言葉に、髪を乱暴に掻き上げて透和は口を閉ざした。

(なんで私からのチョコにこだわるんだろ?)

さっき渡されたチョコを見ても、かなりの女の子から貰ったのは分かってる。

その上で、食べきれもしないチョコをまだ欲しがるなんて。

意味が分からなかった。

数?

それともプライドの問題?

(ああ、“彼女”から貰えなかった、ってのがプライド的に許せないのかも……)

不貞腐れて私との会話を打ち切ってしまった透和を見ながら、そう思った。

ホントならここで「バレンタインのチョコは好きな子から貰うから嬉しいんだ」とか。

「好きじゃない奴に何個貰おうと意味がない」とか。

だから、「“彼女”である私からのチョコがないと知って不貞腐れたんだ」とか。

そんなコトを期待するべきなんだろうけど。

あいにく、透和にそんな感情がないのは分かり切っている。

そんな期待、持つだけ無駄だって、分かり切ってる。

透和はプライドが高いから、自分が好きじゃない女だとしても、こういうイベントでチョコを用意されてないのは“(ないがし)ろ”にされたようで嫌だったんだろう。

(ま、不貞腐れただけで、そこまで機嫌を損ねたわけじゃないみたいだしいいか)

ホントに機嫌を損ねたなら、透和はこの部屋を出てってるはずだ。

でも、透和は会話を打ち切っただけで、今もまだこの部屋にいる。

私のチョコがなかったことに、そこまでショックを受けてない証拠だ。

機嫌を損ねてないってトコが、私を好きじゃないって言ってる感じもする。

思っても、今さらどうにもならないことだけど。

不貞腐れたようにソファーに座りなおして、テレビを見始めた透和に声をかける。


「……透和」

「んー?」


透和は、テレビから目を離さない。

私の声は聞こえてるみたいだけど、生返事。

でも。

きっと、このタイミングしかない。


「……別れよっか」


言った瞬間、空気が変わった。




“別れよっか”。

その言葉を一ヶ月も言えなかったのは何故なのか。

まだ透和のことが好きだからなのか。

それとも別の理由からなのか。

分からなかった。

でも。

今もまだ彼のことを好きなのか、と聞かれたとしても。

好きだ、とは答えられない私がいた。

今も好きだ、とは言えないほど。

私の心はいろんなことに疲れ過ぎていた。


「……何ソレ、冗談?」

「……」


僅かな空白の後、透和が私を見た。


「何?本気で言ってんの?」

「……」


返事を返さない私を見て、冗談じゃないことに気付いたらしい。

透和が、だんだん険しい表情になっていく。


「おい、どうなんだよ!?」


低くなっていく声に、「冗談だよ」と言ってしまいたくなる。

――怖い。


「何とか言えよ!」


大げさなほどに、肩が揺れる。


「っ、冗談じゃ……ない……っ。別…れよ……っ」


今まで、透和に怒鳴られたことなんて一度もなくて。

初めて向けられたキツイ眼差しに、声が震えた。


「……理由は?」

「え?」


言われた意味が、分からなかった。

だって、理由なんて一つしかない。


「俺、なんかした?」

「分からない、の?」

「は?分かんねぇから聞いてんだろ」


とぼけてるんじゃなくて、本当に分からないっていう表情。

(浮気してる、つもりさえなかったんだ……)


「はっ……」


思わず、自嘲してしまう。

私って何だったんだろう。

彼女って言えるのかな。


「っ」


(これ以上、惨めにさせないで……っ)

悔しくて、泣きそうな気分だったけど。

涙は出なかった。

別れ話をする時にさえ、涙は出なかった。


「――とにかく、これからは恋人じゃないから。もうこの部屋に来たりしないで」


もうこれ以上、惨めになりたくなくて。

私は、それ以上会話することを放棄した。

もう話すことはないと、踵を返してリビングを出ようとした時。


「……だよ、それ」


背後から声がした。

振り向くと、真後ろに透和が立っていた。

私を見下ろす目が、今まで一度も見たことのない感情を宿してた。

暗く、冷たい、目。

ヒュッ、と息が詰まった。

ガシ。

固まる私の肩を、透和が掴んだ。


「っ!」


身体に衝撃が走る。

ボスッ。

気付いた時にはソファーの上に、投げ飛ばされていた。


「な、なに……なん……」


怖くて。

訳が分からなくて。

体が震えてくる。

ゆらりと傍に立つ透和が、ソファーの上に倒れこんだ私の上に覆いかぶさってくる。


「っ、ざけんな……!」

「ゃめ……っ」


言葉は続かなかった。

言葉を奪うように、息つく間もないくらい乱暴に。

キス、されたから。

抵抗しようとしたけど、力の差は歴然で。

両手も透和の片手で頭上に一つに捕えられて。

上から体重をかけて乗られて。

身動きも取れなかった。

泣いても、叫んでも。

透和は止めてくれなかった。








「俺、別れるつもりねぇから」


意識が途切れる寸前。

そんな声を、聞いた気がした――。



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