第8話 正解が分からない
帰宅すると部屋は真っ暗だった。
まだ夜の九時を過ぎた所なので由依が寝ているとは思えない。リビングの明かりを消して部屋にいるのか、もしくはコンビニにでも行っているのだろうかと首を傾げた所で暗闇の瞳と目がばっちり合った。突然だったので純粋に「うわ!」っと情けない声を出してしまった。
僕はすぐに電気を付けると椅子に体育座りしている由依がこちらを睨んでいた。
風呂上がりなのか髪の毛は濡れており首にはバスタオルを巻いている。タンクトップにショートパンツという部屋着なので何処かに出掛けていた訳ではない様子だ。
「何で電気を付けないのかな? 出掛けているのかと思った」
「別に何も無いけど……」
由依はスマホを触り出す。もしかして帰るのが遅くなったから怒っているのだろうか。友達には先に帰ると伝えて急いで帰って来たのだけれど。「遅くなってごめんな」と声を掛けても「別にどうでもいいけど」と冷たくあしらわれる。
そして僕がキッチンに移動すると僕の視界に入るように由依も移動してくる。不貞腐れた顔は変わらない。
「何かあったの?」
「別に」
そして僕がお風呂に入って湯船に使っていると脱衣所で待っている。お風呂から上がって麦茶を飲んでいる時も視界に入ってくる。トイレに入っても廊下で待っている。そして自分の部屋に戻ると由依も黙って付いてきた。
これはあれだ。僕に何か言いたい事があるのだろう。
僕の視界に入るように付いて回るのは少しだけ可愛らしいが部屋までは入ってきて僕のベッドに座ってスマホをいじるのは止めてくれ。早く寝ないと明日に支障が出る。僕は夜更かしが苦手なのだ。夜の十一時には寝たい派なのだ。
「由依。何か言いたいのなら言ってくれないか? 言葉にしてくれないと分からないよ?」
「……察してよ馬鹿」
頬を少しだけ膨らました由依は幼い少女のようだった。今日はいつもと違って可愛い。基本的に由依は怒ることが多い。わがまま娘という印象なので久しぶりに拗ねている所を見れて得をしたと思ってしまった。
「お兄ちゃんと二人で入学のお祝いをしたかったの!」
幼い頃の可愛い由依を思い出していると急に怒鳴られる。
大きな瞳に少しだけ涙を浮かべている。ベッドの上で膝を体育座りする由依の身体が小さく見える。
僕は愛らしい妹に対して純粋に微笑んでしまった。
「だから拗ねていたのか。ごめんな。先に行ってくれれば遊びの予定を変更しても――」
「サプライズでお兄ちゃんを驚かせようとしたの!? 悪いッ!?」
「分かったよ。ありがとうな由依。じゃあ今から二人でお祝いしようよ」
「……別にいいけど。お兄ちゃんの為にケーキ作ったから食べて」
由依の気持ちを察することは出来なかったのは申し訳ない。まさか僕の高校入学をサプライズで祝ってくれようとは。僕を驚かせようとしたのなら前もって言えないよな。
僕は本当に幸せ者だ。妹の由依もちゃんと僕を家族として想ってくれている。
しかも由依がわざわざ手作りでケーキを作ってくれるなんて。
何だか嬉しくて泣きそうだ。明日からも勉強を頑張ろうと思えてくる。由依の期待には応えたい。
そして由依が白い皿を持って部屋に現れる。ベッドの前に置かれた丸机の前に座る僕はどんなケーキなのか楽しみで待ちきれなかった。
「イチゴのショートケーキ。お兄ちゃん好きだったよね?」
「ありが――」
僕は机の前に置かれたケーキに絶句した。見間違いかと思い目を擦ったが現実は変わらなかった。高揚感が闇に溶けていくような気さえした。
「吹奏楽の先輩方は綺麗だったでしょ? 二人共大人びていて胸だって大きい。皆から慕われて優しいもんね。凄く魅力的だと私も思うかな」
「えっと……由依さん? これってイチゴのショートケーキなのでしょうか?」
「いい感じに出来たから美味しく食べてね」
「えー……イチゴが見当たらないのですが……代わりにカッターの芯が刺さっているのは気のせいでしょうか?」
ホイップクリームに包まれたショートケーキの真上にカッターの芯が刺さっている。何度見てもイチゴとは思えない。飾りで実は食べられます的な雰囲気でもない。明らかに部屋の光を反射している金属だ。
「早く食べて感想を教えてよお兄ちゃん」
棒読みの由依はベッドの上で僕を見下しながら足を組んで座る。
「口の中が血だらけになると思うけれど……どういうサプライズなのかな?」
「そういうのいいから早く食べて」
有無を言わせない圧力で怖くて泣きそうだった。こんな異常なケーキがあってたまるものか。
由依は一年に何度か僕を恐怖に陥れる。由依の奇行はストレスが貯まった時に発動される迷惑行為だ。まさかこのタイミングだと予想は出来なかった。僕もまだまだ未熟だなと現実逃避していると「ねぇ。早く食べてよ」と由依が催促してくる。
僕はフォークを握りしめてケーキを眺める。不思議と目の焦点が合わない。呼吸も乱れているのに治せない。落ち着こうとすればするほど焦りが募った。
何が正解なのだろうか。正解が分からない。僕はどうすればいいのだろうか。
固まってしまった僕は結局何も出来なかった。