第6話 二人きりは危ない
初日は早く学校が終わったので乾さんと電車に揺られながら帰宅する。
まだ昼過ぎなので乗車している人は少ない。少し寂し気な電車の中で僕は流れる景色を眺めていた。周りには同じ制服の学生はいないので素の自分に戻れるのが少しだけ嬉しかった。
今日は本当に疲れた。初日と言うこともあって気が張っていたのが原因だろう。しかもあの小さな女の子の告白未遂には本当に驚いた。あの子の名前は小湊美鈴。クラスの自己紹介で名前を知った。
結局、小湊さんが泣いた理由は感動したからだった。自分の好きなアニメの良さを共感出来たのが嬉しかったらしい。泣くほどなのだろうかと疑問を浮かべるが人の感情を考えても仕方がない。小湊さんと少しだけ仲良くなれたので良しとしよう。
「これから陰キャという存在を演じきるのは大変ですね」
当然のように隣に座る乾さんが心配してくれる。僕としても続けられるのか不安だった。
「妹との約束だからね。一度決めた事を途中で投げ出す訳にはいかないよ」
「五月雨君は誠実な人ですね。素敵です」
「だから褒めなくていいよ……あと、ちょっと近いから離れてくれないかな?」
僕の左側に座る乾さんの肩が僕にばっちり当たっている。これはもう友達ではなく恋人の距離感だと恋愛に疎い僕でも分かった。勘違いされて乾さんが変な目で見られる可能性がある。
「電車の音で五月雨君の声が聞き取れませんので我慢して下さい」
「もう少し離れても大丈夫だと思うけれど?」
「あまり離れると五月雨君の匂いが届きません。勿体ないと思いませんか?」
「それは……ちょっと気持ち悪いかな……」
僕は手で強引に乾さんの肩を押した。説得しても聞いてもらえないのなら実力行使しかない。本当に乾さんは強引だ。僕に対して好意を持ってくれるのは嬉しいけれど困らせてくるのは止めて欲しい。
中学時代も僕と勝手に遊ぶ待ち合わせをして待ち合わせ場所で十時間もの間、一人で待っていた。断ったと思っていた僕は乾さんが待っているのを知って待ち合わせ場所まで自転車を飛ばした思い出がある。酷かった時期は僕の行動する場所には基本的に乾さんの姿があった。遠くから眺めるだけなのも本当に怖かった。
後から聞けば妹の由依が僕の個人情報を全て流していたらしい。
他の女性が僕に近づくのを嫌っている由依なのだが乾さんを戦友として一目置いている。どうやら粘着質な性格を認めているようだ。僕にとっては迷惑でしかないけれど。
「でもさ。何で由依は陰キャになったらいいって言ったのかな? 僕が告白されたとしたら由依の勝ちなのに」
「勝負に勝って五月雨君と付き合いたい、でも他の女性に好きになって欲しくない。と言った所でしょうか。由依ちゃんは病的なまでの束縛女ですからね。愛が重たくて素晴らしいです」
最後の一言は聞かなかったことにしよう。話を広げるとこちらまで火傷してしまう。
乾さがいう通り束縛の部分は十分に承知している。中学時代、由依は僕に親しくする女子生徒を何度も威嚇していた。縄張りを守る獣のようだった。僕に話し掛けるには由依の許可が必要だという意味不明な噂も友達から聞いた事がある。噂が本当だったら怖いので調べはしていない。
「じゃあ男子校でも良かったんじゃないかな?」
「男子校なら由依ちゃんが五月雨君と同じ高校に通えないじゃないですか?」
「たしかに。でも今となっては少し考えすぎじゃないかと思うよ。別に陰キャを演じなくても告白なんてされないと思う。僕が他の生徒より魅力的だとは思えないし――」
すると乾さんが人差し指を僕の唇に押し当てた。
「自分を卑下するのは止めて下さい。私や由依ちゃん、勇気を出して五月雨君に告白して散った人達への侮辱になりますよ?」
真剣な眼差しを向けられてしまった。たしかに乾さんの言う通りだ。僕に好意を持ってくれた相手に失礼だったかも知れない。やっぱり乾さんの凛とした性格は好意が持てる。間違った事はきっちりと間違いだと伝えてくれる勇気と優しさがある。
自分の正しさを信じている証拠なのだろう。カッコいいなと純粋に思った。
すると乾さんの指が僕の唇を突破して歯に当たる。そして乾さんの表情が徐々に変貌して眉毛を痙攣させて愉悦状態に突入した。ふっくらとした唇を舌なめずりする姿を見ていると背筋が徐々に冷えていく。
もちろん指が口の中に入るのを咄嗟に阻止した僕は真顔で注意した。
「次にこういう事をしたら乾さんと話さない。分かった?」
「は!? 申し訳ございません私の指が勝手に! 誤解しないで下さいねッ! 私は痴女ではありませんのでッ!」
恋愛は人を狂気に変える。
凛として冷静な乾さんですら恋愛という毒物で魔性へと変貌する。恋心が時に恨みに変わる。恋愛の恐ろしさを僕は身を持って知っていた。理性を失うほどの毒物である恋愛感情。年齢が若いからこそ毒の回りも早いのだ。
やっぱり恋愛感情なんて持つべきモノじゃない。怖すぎる。
僕は異常なまでに動揺する乾さんが少し可哀そうになったので「落ち着いて」と乾さんの手を優しく握った。
そして乾さんとは二人きりになったら僕の身体が危ないと再認識した。