プロローグ
興味を持って頂きありがとうございます。
暇つぶしになれば嬉しいですね。
八年前。当時八歳の妹。
「お兄ちゃん……私……お兄ちゃんのお嫁さんになりたい」
「えっと、由依の気持ちは嬉しいけど僕達は兄妹だから結婚は難しいかな」
この頃の由依は可愛らしかった。
断ってしまった僕に対して「何で?」と拗ねたように泣く姿に申し訳なさを覚えたものだ。しかし僕と由依は兄妹だ。僕は由依を家族として見ていた。
五年前。当時十歳の妹。
「私はお兄ちゃんが好き! 大好き! 付き合って下さい!」
「大好きと言われても……由依は大切な妹で家族だ。だから何度も言っているけれど付き合うのは無理だよ。ごめんね」
この頃の由依は強引だったが少しだけ愛らしさを残していた。頬を赤らめる姿にドキドキしたものだ。大人びた由依を目の前にして緊張してしまったものだ。
そして現在。十五歳の妹。
「もう諦めて早く婚約届けにサインしたら? 私だって何度も告白するの面倒くさいんですけど?」
「いやいやいや。何で怒っているのか理解が出来ないのですが? そもそも婚約届を何処で手に入れた?」
中学三年生の夏休み。
妹の由依に大事な話があると出掛ける前に部屋に呼び出された。
色々なぬいぐるみが散乱している部屋で僕は正座させられていた。目の前には由依の名前が書かれた婚約届が置かれている。状況がさっぱり分からない。というか、状況を深く考えたくはない。
僕はこれから生徒会の仕事があるので制服を着ているが由依は夏休み中なので部屋着のままだ。ストライプのタンクトップにショートパンツといつも通り露出の多い服装だった。少しは恥じらいを持つべきだと注意したのだが僕の意見は聞いてくれない。別に兄として偉そうにしているつもりはないのだけど。
いや、今は兄の威厳を心配している場合ではない。早く家を出ないと遅刻してしまう。
僕は由依の部屋の壁に掛かった時計を眺めた。
「由依。何度も言っているが僕は由依と結婚するつもりはない」
「へー。私を拒否するんだー」
ベッドに腰かけた由依が正座している僕に近づく。そして背後から優しく僕の頬を指先で触る。さすがにくすぐったいので僕は由依の手を優しく掴んで止めさせた。
「拒否じゃないよ」
「私さ。お兄ちゃんが高校に入って他の女の物になるのが嫌なの。お兄ちゃん無駄にモテるから心配なんだ。だから私と先に契約して欲しいの」
背後を恐る恐る振り返ると由依が唇に手を当てながら微笑んでいた。
猟奇的な目が怖すぎる。僕は少しだけ命の危険を感じてしまった。小さい頃にプールで溺れそうになった時の感覚に似ている。恐怖は心の内側から溢れ出るものだ。
普段の由依は優等生で周りからの評価も高い。容姿も整っているので清楚という言葉が似合っている。しかし男子や女子から人気がある優等生は僕と関わると悪女へと変化するのだ。
「……頼むから僕の事を普通の兄として扱ってくれないかな?」
「無理。だって殺したいぐらい好きだもん」
「いや待て。それはさすがに怖いから……冗談だよね?」
情緒不安定な由依なら僕が寝ている隙に首を絞められかねない。いやいや、さすがに僕を苦しめる様な事はしないよね。だって僕達は家族じゃないか。由依ごめん。僕は兄として由依を信じ切れないでいた。
「本気ですけど何か?」
あっやばい。危険な目で僕を見てる。包丁が似合いそうな顔してる。
「頼むから諦めてくれ。由依と険悪な関係になりたくないんだ」
「平和主義のお兄ちゃんらしい意見ね。じゃあ諦めてあげる」
あっさり引いてくれたので驚いた。何度も諦めてくれとお願いしても絶対に聞いてくれなかったのに。すると由依が不敵な笑みを浮かべる。
「もちろん条件があるけど」
「……でしょうね」
「お兄ちゃんが高校生活の三年間で誰にも告白されなかったらお兄ちゃんの事を諦めてあげる」
「そんな事でいいのか?」
「はぁ……成績優秀で顔もいい。スポーツも出来て誰にでも優しい生徒会長。困った人を放って置けない性格で正直者。中学時代に告白された人数は五十人。女子生徒四十五名。男子生徒四人。教員一人」
「何で由依がそんな事を知っているんだ!?」
「お兄ちゃんは生きているだけで誰かを惑わす人たらしなの? 自覚してないのがムカつく。まぁ、恋愛恐怖症だから誰とも付き合わないのは私は安心してるけど……」
「僕が……僕が人たらし……」
知らなかった。僕は生きているだけで誰かに迷惑を掛けているなんて。父さん。僕はどうすれいいんでしょうか。父さんのように立派な大人になるように頑張ってきたつもりなのに。
悪口に耐性の無い僕は純粋にショックを受けてしまった。
「普通に高校生活を送ったら告白されるでしょうね。告白されたら私の勝ち」
これはチャンスだ。この勝負に勝てば普通の兄妹に戻れる。僕はずっと憧れていた。この勝負、負ける訳にはいかないが良案が全く浮かばなかった。
「由依……教えてくれ……僕はどうすればいい?」
切羽詰まった僕は由依の肩を掴む。目と鼻の先に由依の顔があるが距離感も倫理観が分からなくなる程に動揺していた。
「何で私が教えないと……そうね。だったら良い方法があるけど……」
頬を赤らめている由依は僕の視線を避けるように壁を見つめている。僕は「教えてくれ」更に迫った。
「陰キャになればいいのよ」
「……陰キャ?」
その日から僕は高校受験と並走して陰キャの訓練を妹から受けるのだった。