第6話 力の代償
アシュトンは、グスタフ率いる私兵たちを早速動かした。手近な街道に巣食う盗賊団の討伐を命じると、彼らは期待通りの働きを見せた。私兵たちの活躍により、領内の治安は目に見えて改善され始めた。
同時に、アシュトンは公共事業を打ち出し、その中に巧妙な「罠」を仕掛けた。
そんなある日の夜。
アシュトンは、深い眠りの中にいた。夢の中、彼は見慣れない森の奥深くへと誘われていた。木々は鬱蒼と茂り、地面には苔が生い茂り、どこか神秘的な雰囲気が漂う場所だ。
その森の、さらに奥。巨大な古木の下に、一人の女性が立っていた。黒いローブを纏い、顔はフードで深く覆われているが、そこから覗く瞳は、まるで夜空の星のように深く、そして輝いていた。
「……ようこそ、クレイヴス家の当主よ」
女性の声は、森のざわめきのように静かで、しかし、アシュトンの心臓に直接響くようだった。
「私は、この深淵の森の魔女。そして、クレイヴス家と盟約を結び、力を与えし者」
魔女は、ゆっくりとアシュトンに語りかけた。
「お前が今、その身に宿している力……それは、我ら魔女がクレイヴス家に与えたもの。だが、忘れるな。大きな力には、必ず大きな代償が伴う」
魔女は、アシュトンの隣を指差した。そこには、見る見るうちに一本の木が芽吹き、成長していく。それは、まるで生命そのものが形になったかのような、神秘的な輝きを放つ木だった。
「この木は、命の木。そして、その葉は、お前が魔女の力を使用できる回数を示す」
アシュトンは、魔女の言葉に導かれるように、その木を見上げた。枝には、青々とした葉が茂っている。しかし、よく見ると、その葉の数が、決して多くはないことに気づいた。
「使うたびに、一枚、また一枚と、葉は落ちていく。そして、全ての葉が落ちた時……」
魔女は、そこまで言うと、意味深な沈黙を保った。アシュトンは、思わず葉の数を数え始めた。一枚、二枚……。
「……ひゃ、百枚……!?」
数え終えた時、アシュトンは愕然とした。たった、百枚。これまでの数回の使用で、すでに数枚の葉が落ちているように見えた。この莫大な力を、たった百回しか使えないというのか。
そこで、アシュトンは夢から覚めた。
心臓が激しく脈打っている。額には、冷や汗が滲んでいた。夢だったのか。それとも、現実なのか。
アシュトンは、跳ね起きるようにベッドから降り、窓の外を見た。
月明かりの下、城の庭の片隅に、夢で見たあの命の木が、確かに生えているのが見えた。青々とした葉を茂らせ、わずかに神秘的な光を放っている。
アシュトンは、その場で立ち尽くした。夢は現実だった。そして、この「魔女の力」には、想像以上の代償がある。
このことを、誰かに話すべきか。いや、話せる相手は限られている。アルフォンスは忠実だが、この手の話は信じないかもしれない。ならば……。
アシュトンは、迷うことなくセレスティアの部屋へと向かった。彼女は、今やこの城で、アシュトンが唯一、心の内を打ち明けられる相手だった。
セレスティアは、突然の訪問に驚いた様子だったが、アシュトンのただならぬ雰囲気に、すぐに事態を察したようだった。アシュトンは、夢で見たこと、魔女の言葉、そして庭に生えた命の木のことを、全てセレスティアに話した。
セレスティアは、アシュトンの話に、真剣な表情で耳を傾けていた。彼女の瞳には、驚きと、そしてアシュトンへの深い心配が宿っていた。
「……百枚、ですか」
セレスティアは、静かに呟いた。その声には、アシュトンと同じく、この力の重さを感じ取っている響きがあった。
――セレスティア視点――
夜更けにアシュトン様がわたくしの部屋を訪れ、その口から語られた「魔女の力」の真実には、心底驚きを隠せませんでした。夢の中に現れた魔女のこと、そして庭に生えたという「命の木」のこと。そして、その葉が、アシュトン様の魔女の力を使える回数を示しているという話。
「百枚……たった、百枚なのですか……」
わたくしの口から漏れた言葉は、アシュトン様が抱えるであろう重責を思えば、あまりにも軽すぎたかもしれません。しかし、その数字の持つ意味を理解した時、わたくしは背筋が凍る思いがいたしました。アシュトン様がこれまで、不正を暴き、交渉を有利に進めるために使ってこられたあの途方もない力が、まさか限られた回数しか使えないものだったとは。
アシュトン様は、父君である前伯爵様がマルコス商会に騙されていたのは、この力を温存する必要があったからかもしれない、と仰いました。確かに、アシュトン様の御父君は、冷酷非道な方だと噂されていました。しかし、その背後には、このような秘密があったのだとしたら……。
わたくしは、この城に嫁いで以来、ずっとアシュトン様のことを「恐ろしい存在」として認識しておりました。しかし、誓いの夜の、あの辿々しい「貴女を幸せにしたい」という言葉から始まり、マルコス商会への毅然とした対応、そして領地の未来を見据えた公共事業の提唱……。アシュトン様は、わたくしが知っていた「悪の領主」とは、全く異なる方でした。
そして今、わたくしに、ご自身の命とも言える秘密を打ち明けてくださった。それは、アシュトン様がわたくしをどれほど信頼してくださっているかの証ではないでしょうか。
アシュトン様は、この限られた力をどのように使っていくべきか、深く悩んでいらっしゃるようでした。しかし、わたくしにできることは、あまりにも少ない。わたくしにできることといえば、せいぜい屋敷の庭で、新しい作物に水をやることくらいです。
それでも、わたくしは決めました。アシュトン様の傍に寄り添い、少しでも彼の力になりたい。この「魔女の力」が、アシュトン様の重荷にならぬよう、そして、このクレイヴス領、ひいてはこの世界をより良い場所にするために、彼がその力を有効に使えるよう、わたくしにできるすべてのことをしよう。
アシュトン様の肩にのしかかる重い秘密。それを分かち合ったことで、わたくしとアシュトン様との間に、これまでになかった深い繋がりが生まれたように感じられました。わたくしは、この力を、アシュトン様が正しいことに使えるよう、心から願うばかりです。