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第5話 私兵活用

 アシュトンは、領地改革の一環として、まず過去の公共事業について調査を始めた。若い財務官僚を伴い、古い帳簿や記録を一つ一つ丹念に調べていく。しかし、その内容にアシュトンは顔を曇らせた。


「これは……ひどいな」


 帳簿に記されているのは、名ばかりの事業ばかりだった。道はほとんど整備されておらず、橋も朽ちかけたまま。予算の多くが、請負業者や官僚によって不当に「中抜き」されていることが、明確な数字として表れていた。これでは、公共事業の効果も薄れるばかりか、領民の不満を募らせるだけだ。


「このままでは、いくら金を投じても、領地は良くならない……」


 アシュトンは、資料の山を前に深くため息をついた。

 さらに、頭を悩ませる問題があった。治安の悪化だ。最近、領内では盗賊による被害が増加しているという報告が上がっていた。しかし、頼みの綱である領軍は、アシュトンの父である前伯爵が予算を大幅に削っていたため、人員も士気も著しく低下していた。まともに盗賊と戦えるような状態ではなかったのだ。

 資金の流れの改善、治安の回復――。アシュトンの前には、山積みの課題が立ちはだかっていた。

 アシュトンが執務室で頭を抱えていると、セレスティアが静かに部屋に入ってきた。彼女は、アシュトンの傍らに歩み寄り、控えめに尋ねた。


「アシュトン様、何かお悩みでいらっしゃいますか?」


 アシュトンは、セレスティアにこれまでの調査で分かったこと、そして直面している問題を正直に話した。中抜きされた公共事業の実態、そして弱体化した領軍のこと。

 セレスティアは、アシュトンの話にじっと耳を傾けていた。そして、しばしの沈黙の後、小さな声で、しかしはっきりとした口調で提案した。


「わたくしに、できることがあるかもしれません」


 アシュトンは、驚いてセレスティアを見た。彼女が何を提案するのか、全く想像がつかなかったからだ。


「新しい産業の育成、でございます」


セレスティアは続けた。


「屋敷の庭に、少しばかり広い畑がございます。そこで、試験的に商品作物を栽培してみてはいかがでしょうか。食用だけでなく、加工することで高値で売れるもの、例えば果物、傷薬などに使える薬草、甘味料となるサトウキビや砂糖大根、そして灯りや染料に利用できるはぜなど……」


 セレスティアの瞳は、提案を口にするにつれて、わずかながら輝きを増していた。彼女の言葉は、まるで荒れた大地に光を差し込むかのようだった。食料の安定供給だけでなく、領地に新たな富をもたらす可能性を秘めた提案だった。

 アシュトンは、その発想の転換に目を見張った。彼はこれまで、領地の問題を既存の枠組みの中で解決しようとしていた。しかし、セレスティアは、全く新しい視点から、領地の未来を切り開く可能性を示してくれたのだ。


「セレスティア……ありがとう」


 アシュトンの声には、心からの感謝が込められていた。彼の脳裏には、セレスティアが小さな畑で、新しい作物に水をやり、大切に育てる姿が浮かんだ。彼女の提案は、彼にとって、まさに暗闇の中の一筋の光だった。

 新規の事業はセレスティアに任せることにし、アシュトンは再び問題に向き合う。

 そこで、ふとある考えが脳裏をよぎった。父が個人的に集めていた私兵たちだ。彼らは正規の兵ではないが、その腕は確かだと聞いている。金さえ払えば、即戦力として治安維持に使えるのではないか。

 アシュトンは、執事のアルフォンスに私兵たちのたまり場を尋ね、単身で向かった。城下町の裏路地にある薄暗い酒場は、粗暴な男たちの熱気と酒の匂いが立ち込めていた。戸口をくぐると、一斉にぎらついた視線がアシュトンに突き刺さる。

 奥の席に、ひときわ大きく、精悍な顔つきの男が座っていた。彼が私兵たちのリーダー、グスタフだろう。その傍らには、見るからに血の気が多く、いつでも喧嘩上等といった様子のサブリーダーが控えている。

 アシュトンがグスタフのテーブルに近づくと、サブリーダーのオズワルドが立ち上がり、凄みを利かせてきた。


「おい、坊主。ここは貴族様が来るような場所じゃねえぞ。とっとと失せな!」


その言葉に、アシュトンの眉間に微かに皺が寄った。彼はオズワルドの目をまっすぐ見据え、心の中で「魔女の力」を発動させた。瞬間、サブリーダーの顔から血の気が引き、その目に底知れない恐怖が浮かび上がった。彼はガタガタと震えだし、その場にへたり込んだ。

 周囲の私兵たちが、その異様な光景に息を呑む。グスタフもまた、アシュトンの冷徹な眼差しと、オズワルドの変わりように、僅かに目を見開いた。

 アシュトンは、倒れ込んだオズワルドを一瞥することなく、グスタフに視線を戻した。


「グスタフ、頼みたいことがある。このクレイヴス領の治安維持のため、貴殿らの力を借りたい」


アシュトンの言葉に、グスタフはそれまで浮かべていたニヒルな笑みを深めた。彼は腕を組み、面白そうにアシュトンを見上げた。


「ほう? 前の伯爵様は、俺たちを飼い殺し同然だったがな。金も払わず、戦いもせずに弱い奴を脅すだけしか命令されなかった。あんたは違うってのか?」


「私は働いた分は、相応の対価を支払う」


 アシュトンの言葉に、グスタフは大きな声で笑った。


「そいつは結構! 実はな、前の伯爵様のツケも溜まってんだ。まずはその未払いを清算してくれるんなら、話に乗ってもいいぜ」


 グスタフの言葉は、まるでアシュトンの懐具合を探るかのようだったが、その瞳の奥には、確かな期待の色が宿っているように見えた。アシュトンは頷いた。


「当然だ。過去の未払い分も含め、全額支払うことを約束しよう」


 アシュトンの言葉に、グスタフの表情が満足げに緩んだ。彼は立ち上がり、アシュトンに手を差し出した。


「よっしゃ! あんた、気に入ったぜ。俺たち私兵は、金さえ払ってくれりゃ、あんたの盾にも矛にもなる。クレイヴス領の治安は、俺たちに任せとけ!」


 こうして、アシュトンは私兵たちを治安維持のために動かすことに成功した。これで、領内の盗賊問題にも対処できるだろう。しかし、この「魔女の力」は、やはり諸刃の剣だとアシュトンは感じていた。使い方を誤れば、自分自身をも蝕むかもしれない。そして、前伯爵がこの力を持っていたのか、あるいは使わなかったのかという疑問は、未だ彼の中で燻り続けていた。


――グスタフ視点――


 アシュトンは、オズワルドの方に、ゆっくりと顔を向けた。その目は、何も言わず、ただオズワルドを見据えた。

 だが、その瞬間、俺は思わず息を呑んだ。

 アシュトンの目が、ただの黒い瞳ではなかった。まるで、深淵を覗き込んだかのような、底知れぬ暗闇が、そこに広がっていた。いや、暗闇というよりも、何もない、無感情の虚無。その光景に、俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 オズワルドも、その視線に射抜かれた瞬間、顔色をみるみるうちに変えていった。最初は反抗的な目をしていたが、その虚無の視線に囚われると、まるで全身の血の気が引いたかのように、その場に立ちすくんだ。口を大きく開け、何かを言おうとしているが、声にならない。まるで、魂を抜き取られたかのような表情だった。

 数秒……いや、体感としては永遠に感じられたその間、アシュトンはただ黙ってオズワルドを見つめ続けた。そして、ふっと、その目の輝きが収まると、何事もなかったかのように視線を俺に戻した。

 へたり込んだオズワルドの気持ちもわからなくもねえ。あれはやばいと俺の経験が警告していた。

 事実、オズワルドは、その場にへたり込み、全身を震わせ続けていた。顔は土気色で、目には恐怖が色濃く浮かんでいる。その後、奴は一週間ほど熱を出して寝込み、それ以来、アシュトンに逆らうことは一切なくなった。

 今まで見てきたどの貴族とも違う。ただの坊主ではない。この男は、もしかしたら、この腐りきった領地を変えることができるのかもしれない。そう思った時、俺の中に、今まで感じたことのない、奇妙な興味が芽生えたのだった。俺のこの命、この男に預けてみてもいいのかもしれない。そう、漠然とだが、グスタフは考え始めていた。


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