第3話 借金問題
アシュトンとセレスティアの誓いから数日後。城に、新たな問題が舞い込んだ。
「アシュトン様、マルコス商会の者が、ご面会を求めております」
執事のアルフォンスが、困り顔で報告してきた。マルコス商会。その名を聞いた途端、アシュトンの脳裏に、前世の記憶が蘇る。ゲーム『隷属の檻庭』では、アシュトンが放蕩の限りを尽くし、多額の借金を背負っていたことが語られていた。
広間に通されたマルコス商会の男は、見るからに悪どい笑顔を浮かべ、分厚い書類の束を差し出してきた。
「この度は、クレイヴス伯爵閣下のご逝去、誠に遺憾に存じます。しかしながら、前伯爵様が弊社にお残しになられたご借財が、少々膨らんでおりましてな……」
その額を聞き、アシュトンは愕然とした。天文学的な数字。前世の俺なら、一生かけても返せないような莫大な借金だった。
「遺産整理には、もう少し時間がかかる。一週間、待ってもらいたい」
アシュトンは、どうにか冷静を装い、男を追い返した。しかし、彼の心臓は激しく打ち鳴っていた。莫大な借金。どこから捻出すればいいのか、まるで見当がつかない。このままでは、領地ごとマルコス商会に奪われかねない。
アシュトンが執務室で頭を抱えていると、アルフォンスが音もなく入ってきた。その手には、一冊の古びた帳簿が握られている。
「アシュトン様、ご心労お察しいたします。しかし、ご解決の糸口が、見つかるやもしれません」
アルフォンスが差し出した帳簿を捲ると、そこに記されていたのは、領内の不正蓄財者リストだった。前クレイヴス伯爵が、いつか資産を取り上げるために作らせていたものだという。親戚、代官、領軍の幹部、聖職者……。ずらりと並んだ名前に、アシュトンは再び頭を抱えた。手当たり次第に財産を没収すれば、たちまち領内は混乱し、反乱が起きかねない。
「しかし、どうやって取り立てる? 武力でねじ伏せれば、それこそ領民の反発を招く」
アシュトンの問いに、アルフォンスは静かに答えた。
「クレイヴス家の当主には、代々伝わる特別な力が発現すると言われております。それは、魔女の力、と」
アシュトンは、アルフォンスの言葉に眉をひそめた。魔女の力? そんな非現実的な話、信じられるはずがない。
「その力は、相手を恐怖に陥れ、従わせる力。故に、国王陛下ですら、クレイヴス家の領地経営の瑕疵を問うことができないのだと」
その言葉に、アシュトンの心臓がざわついた。もし、それが本当なら――。
「まずは、手頃な相手から試してみてはいかがでしょうか。例えば、つい先日、新任したばかりの財務官僚など」
アルフォンスの提案に、アシュトンは僅かな希望を見出した。
翌日、アシュトンは財務官僚を執務室に呼び出した。初老の男は、アシュトンの前に跪き、畏まった態度を見せる。だが、その目の奥には、どこか狡猾な光が宿っていた。
アシュトンは、リストに記された財務官僚の不正の数々を読み上げた。男の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「さあ、全てを自白しろ。隠し財産も、不正に得た利得も、全てだ」
アシュトンは、意識を集中した。すると、奇妙な感覚が全身を駆け巡った。目の前の男の顔が、歪んで見える。まるで、彼の中に渦巻く恐怖や罪悪感が、視覚となって流れ込んでくるかのようだ。
男の顔が、恐怖に引きつり、額には脂汗が滲む。そして、その瞳は、まるでアシュトンの中に何か恐ろしいものを見たかのように、大きく見開かれた。
「ひぃっ……! 申し訳ございません、アシュトン様! 全て、全てお話しいたします!」
男は震える声で、堰を切ったように自らの不正を白状し始めた。隠し財産の場所、共犯者の名前、不正の具体的な手口……。その全てが、まるで操られるかのように、彼の口から吐き出されていく。
アシュトンは、驚きと同時に、この「魔女の力」とやらが本物であることを確信した。彼は、この力を使って、財務官僚から不正に蓄えられた財産を全て没収することに成功した。
しかし、この力は一体何なのだろうか? そして、この力を使って、本当に領地を立て直し、セレスティアを幸せにできるのだろうか? アシュトンの胸中には、新たな可能性と、漠然とした不安が入り混じっていた。
クレイヴス家が莫大な借金を抱えているという話は、すぐに城中に広まった。セレスティアの耳にも届いたようで、数日後、彼女はアシュトンの執務室を訪れた。まだ怯えの色を多分に残したまま、それでも意を決したように、恐る恐る口を開いた。
「あ、アシュトン様……もし、よろしければ……調度品を、売られては、いかがでしょうか……?」
彼女の震える声は、消え入りそうに小さかった。しかし、その提案は、アシュトンにとって意外な、そして実用的なものだった。広大な城には、豪華絢爛な調度品が所狭しと並べられている。それらを売却すれば、一時的にでも資金を確保できるかもしれない。
アシュトンは、セレスティアの健気な提案に、思わず優しい眼差しを向けた。
「良い案だ、セレスティア。助かる」
しかし、その言葉を遮るように、背後からアルフォンスの声が響いた。
「アシュトン様、それはおやめになった方がよろしいかと」
アシュトンが振り向くと、アルフォンスはいつもの冷静な表情で、しかしどこか申し訳なさそうに言った。
「申し上げにくいのですが……これらの調度品の大半は、贋作でございます」
その言葉に、アシュトンは思わず「おや?」と声を漏らした。目の前の美しい絵画も、きらびやかな装飾品も、触れた感触は本物と区別がつかないほど精巧に作られている。しかし、それらが偽物だという。
そして、一つの疑問が頭をもたげた。「魔女の力」だ。アシュトンの前世の記憶と、今この場で発現しているその力は、相手を恐怖に陥れ、嘘をつけなくし、不正を暴くことができるはずだ。それならば、なぜ前クレイヴス伯爵は、この力を使って領内の不正蓄財を暴かなかったのか? なぜ、贋作がこれほどまでに城に溢れるのを許したのか?
父がこの力を持っていたのか、あるいは持っていながら使わなかったのか。それとも、この力の発現には、何らかの条件があるのだろうか。疑問は残るものの、今は借金返済の方が優先だ。
アシュトンは出し惜しみせず、「魔女の力」を使って、贋作に使ったお金を取り戻そうと決めた。
その日、マルコス商会の男が再び城を訪れた。一週間の猶予が過ぎ、いよいよ借金を取り立てに来たのだ。男は、前回の訪問時よりも、さらに高圧的な態度で借用書を突きつけてきた。
「さあ、アシュトン様。約束の一週間でございます。ご準備はよろしいですかな?」
男の不遜な態度に、アシュトンの眉間に皺が寄る。アシュトンは、執務室の奥から、鑑定士に鑑定させた贋作の調度品リストと、財務官僚から聞き出した不正蓄財の証拠をまとめた書類を手に取った。
「マルコス商会殿。一つ、貴殿らに問いたいことがある」
アシュトンの声は低く、しかし明確に響いた。男は一瞬たじろいだが、すぐに余裕の笑みを浮かべた。
「ほう? 何でございましょうかな?」
アシュトンはマルコス商会の男の顔を、まっすぐに見据えた。そして、意識を集中する。「魔女の力」が、彼の内側から湧き上がってくるのを感じた。男の顔が、恐怖に歪んでいくのが見て取れる。
「貴殿らが、前伯爵に売りつけた調度品の数々が、贋作であることは、ご存じか?」
その言葉に、男の顔から血の気が引いた。目に宿っていた狡猾な光が、見る見るうちに怯えに変わっていく。
「そ、そのような……何を根拠に……!」
男は震える声で否定しようとしたが、アシュトンの眼差しは、彼を深淵に引きずり込むかのように、さらに深く、鋭くなった。
「貴殿らは、意図的に価値のない贋作を売りつけ、法外な金銭を騙し取った。これは詐欺行為に当たる」
アシュトンの言葉は、男の罪悪感に直接語りかけるように響いた。男の額には脂汗が滲み、全身が小刻みに震え始めた。
「さらに、貴殿らの商会が、前クレイヴス伯爵が行っていた不正蓄財に加担していたことも、我々は把握している」
財務官僚から引き出した情報が、男の心臓を鷲掴みにした。
「さあ、正直に答えろ。贋作の販売に関わった者、そして不正蓄財の共謀者、全てを洗いざらい話すのだ。でなければ……」
アシュトンの声には、有無を言わせぬ威圧感が込められていた。男の顔は恐怖で歪み、とうとう膝から崩れ落ちた。
「ひぃっ……! 申し訳ございません、アシュトン様! 全て、お話しいたします! どうか、命だけは……!」
マルコス商会の男は震えながら、贋作の仕入れルート、共謀者、そして不正な金銭のやり取りの全てを白状し始めた。アシュトンは、その自白に基づいて、即座にマルコス商会の財産を差し押さえ、さらに彼らから多額の賠償金を取り立てることに成功した。
莫大な借金を返済するどころか、領地の財政を潤すほどの賠償金を手に入れたアシュトンは、静かに執務室を見渡した。これで当面の危機は乗り越えた。しかし、「魔女の力」の謎、そして前伯爵の行動の真意は、未だ彼の中で燻り続けていた。
たまに真面目に書くのもいいね