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第2話 二人だけの誓い

 セレスティアの視線が、まるで汚らわしいものを見るかのように俺を避けている。広間を埋め尽くす貴族たちの視線が、俺とセレスティアに集中していた。彼らは、俺がこの状況でどのような振る舞いをするのか、まるで劇を見守るかのように注視している。

俺の胸中で、正義感と、この世界での生存本能が激しくぶつかり合っていた。しかし、目の前にいるのは、画面の中のグラフィックではない。ガリガリに痩せ細り、今にも消え入りそうな、生身の女性だ。こんな弱々しい女性を、ゲームのシナリオ通りに凌辱するなど、就職氷河期を生き抜いて恋愛一つしたことのない俺には、とてもできることじゃなかった。

 それに、今は亡き両親の葬儀の直後だ。こんな状況で、いくら何でも結婚式などできるはずがない。

 俺は、一歩前に踏み出した。セレスティアの体が、びくりと震える。彼女の顔に、恐怖の色が濃く浮かんだ。無理もない。クレイヴス伯爵家は代々冷酷非道で知られており、このアシュトンもまた、悪名高き領主になる素質を持っていると知られているのだから。まして、二人きりになれば何をされるかと、怯えているのだろう。

 俺は、できる限り穏やかな声で、しかし、このアシュトンの肉体の声らしく、少し低いトーンで話し始めた。


「皆の者、静まれ」


 俺の声に、広間がしんと静まり返る。すべての視線が、俺に集まる。セレスティアもまた、恐る恐る顔を上げた。


「……父と母の葬儀の直後であり、このような状況で盛大な結婚式を執り行うのは、亡き両親への不敬となる」


 広間から、ざわめきが聞こえる。貴族たちは、意外な言葉に戸惑っているようだった。


「よって、結婚式は行わない。だが……」


 俺はセレスティアの方へ向き直った。彼女の瞳は、不安と警戒の色を帯びて、俺を見つめている。


「今宵、二人きりで、神に誓いを立てることにする」


 セレスティアの目が、大きく見開かれた。二人きり。その言葉は、彼女にとって、一層の恐怖を意味したに違いない。彼女の顔色が、さらに青ざめるのが見て取れた。きっと、何をされるのかと、想像を絶するような悪い考えが頭を駆け巡っているのだろう。

 俺は、内心で冷や汗をかきながら、続けた。恋愛経験ゼロの俺にとって、こんな状況で女性に言葉をかけるのは、想像を絶する難易度だった。だが、ここで引くわけにはいかない。


「……セレスティア殿。貴女を、その……妻に、したい。しかし、約束とはいえ……急な葬儀で……」


 口から出た言葉は、自分でも驚くほど辿々しかった。普段のアシュトンからは想像もつかない、まるで子供のような、ぶっきらぼうな告白。

 セレスティアは、完全に意表を突かれたようだった。恐怖で引きつっていた顔が、呆けたように固まっている。肩透かしを食らったような表情で、彼女はただ、瞬きを繰り返していた。

 広間からは、貴族たちの小さな囁き声が聞こえてくる。誰もが、この悪名高きアシュトンの、予想外の言葉に困惑しているようだった。

 これで、彼女は少しでも安心してくれるだろうか。俺の心は、まだ不安でいっぱいだったが、まずは最悪の事態は避けられたかもしれないという、小さな安堵があった。


 葬儀の間、そしてその後の夕食の間も、セレスティアは警戒を解くことなく、アシュトンの言葉を半信半疑で受け止めているようだった。貴族たちは、アシュトンの予想外の行動にざわめきながらも、結局は彼の言葉に従わざるを得ないという空気が城内を支配していた。

 ローゼンバーグ子爵はセレスティアを押し付けられたことに満足し、すでに帰っていた。

 日が傾き、深紅の夕陽が城の窓を染め上げる頃。城の奥まった場所にある、人払いされた小さな礼拝堂に、アシュトンとセレスティアは二人きりで向かった。重厚な木の扉が閉まると、外の喧騒は遮断され、静寂に包まれた空間には、祭壇の燭台の炎だけが揺らめいていた。

 セレスティアは、アシュトンから距離を取るように、祭壇から最も遠い場所に立っていた。彼女の顔は、燭台の炎の明かりを受けて、一層蒼白に見える。その瞳には、未だ深い不安と、微かな恐怖の色が宿っていた。

 アシュトンは、一歩ずつ祭壇に近づき、聖書の前に立つ。普段のアシュトン・クレイヴスなら、こんな神聖な場所で畏まることなどなかっただろうが、前世の俺にとっては、教会という場所は厳粛な雰囲気を纏っていた。


「セレスティア殿」


 アシュトンが呼びかけると、彼女の肩が小さく跳ねた。彼女は、ゆっくりと顔を上げ、彼を見つめる。その瞳は、まるでこれから審判を待つ罪人のようだった。


「……来てくれ」


 アシュトンは、祭壇の前に立つよう促した。セレスティアは、躊躇いがちに、しかし拒むこともできず、ゆっくりとアシュトンの隣へと歩み寄ってきた。二人の間に、わずかな距離が保たれていた。


 祭壇に置かれた聖書に手を置き、アシュトンは深く息を吐いた。こんな状況で、何を誓えばいいのか。恋愛経験のない就職氷河期世代の俺には、まるで未知の領域だった。しかし、目の前の女性を、これ以上怯えさせるわけにはいかない。


「セレスティア・ローゼンバーグ殿」


 アシュトンの声は、少し震えていたかもしれない。それでも、このアシュトンの肉体から発せられる声は、不思議と威厳を保っていた。


「俺は、アシュトン・クレイヴスとして、そして……お前に、永遠の愛を誓う」


「……っ!?」


 セレスティアの目が、大きく見開かれた。その蒼白い顔に、驚愕の色が浮かぶ。彼女は、口を開きかけたが、言葉にならないまま、ただアシュトンを見つめ返していた。


「この誓いは、神の前で、そしてお前との間で結ばれるものだ。ゆえに、如何なる時も、お前を害することはしない」


 アシュトンは、自分の言葉に、前世の俺の意志を込めた。ゲーム『隷属の檻庭』のシナリオとは真逆の言葉。彼女を凌辱するどころか、守り抜くという決意。


「そして……お前を、このクレイヴスの城で、幸せにすることを、誓う」


「し、幸せに……?」


 セレスティアの細い声が、礼拝堂に小さく響いた。彼女の瞳には、疑念と困惑が入り混じっていた。長年、クレイヴス伯爵家の冷酷さを聞いて育った彼女にとって、この言葉は理解不能だったのだろう。

 アシュトンは、彼女の方へ、ゆっくりと顔を向けた。そして、これまでの人生で一度も経験したことのない、真剣な眼差しで、彼女の瞳をまっすぐに見つめた。


「ああ。誓う。決して、お前を道具として扱うことはない。お前が、この城で、そして俺の隣で、心安らかに暮らせるように、全力を尽くす」


 アシュトンの言葉は、決して流暢ではなかった。それでも、その言葉の裏にある「俺」の真摯な気持ちが、セレスティアに伝わったのだろうか。彼女の瞳の奥に、わずかながら、警戒とは異なる光が宿ったように見えた。

 彼女は、何か言いたげに唇を震わせたが、結局、何も発することはできなかった。ただ、その華奢な体が、微かに震えている。それは、恐怖からか、それとも、予想外の状況に、戸惑っているからか。

 静寂の中、揺らめく燭台の炎だけが、二人の間に流れる複雑な感情を照らし出していた。


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