第19話 セレスティアの願い
大干魃と地震による混乱は、災害だけにとどまらなかった。疲弊しきったクレイヴス領、そして王国の現状を好機と見た隣国が、突如として北部国境から侵攻を開始したのだ。
混乱を収めるために自身の身を削ってきたアシュトンは、休む間もなく王都へと呼び戻された。国王は、彼が持つ「魔女の力」が、この国難を乗り越える唯一の希望だと信じていた。
王宮での会議室。アシュトンは、国境線の劣勢、増援の困難さ、そして民の士気の低下を報告する将軍たちの前で、ただ静かに、しかしその瞳に強い光を宿らせた。そして、国王の命を受け、再びその力を振るう。
戦場の最前線で、アシュトンは敵兵たちの戦意を喪失させ、あるいは撤退を促すために「魔女の力」を使った。その度に、彼の口からは血の混じった咳がこぼれ、その体は限界へと近づいていく。
城にいるセレスティアは、アシュトンが力を使うたびに、庭の「命の木」へと駆けつけた。彼女の目の前で、はらりはらりと葉が舞い落ちていく。その光景は、アシュトンの命が削られていることを告げる、あまりにも残酷な現実だった。
落ちる葉の数を数えるたびに、セレスティアの心は軋むような痛みに襲われた。そして、ある日、彼女が拾い上げた葉の数を数え終えた時、その手は震え、絶望に打ちひしがれた。
「……あと、五枚……」
「命の木」に残された葉は、ついに五枚を数えるのみとなっていた。
アシュトンの顔色はさらに悪化し、歩くたびに体がふらつく。それでも彼は、国と民のために戦い続けた。セレスティアは、ただ彼の無事を祈りながら、残された五枚の葉を、ただ見つめるしかなかった。
隣国との苛烈な戦いを退け、アシュトンは辛くもクレイヴス領へと帰還した。国王に与えられた任務は完遂した。しかし、その代償はあまりにも大きかった。国境での連日の激戦、そして数えきれないほどの「魔女の力」の使用。彼の体は完全に限界を超えていた。
城に戻るやいなや、アシュトンはそのまま倒れ込むように寝台に伏した。医者たちが懸命に治療にあたるが、彼の命の灯火が今にも消えそうに見えた。顔色は蒼白を通り越し、唇はひび割れ、呼吸は浅い。庭の「命の木」に残された葉は、ついに五枚を数えるのみとなっていた。
セレスティアは、アシュトンの傍らで、ただひたすらに祈り続けた。彼の命が、これ以上削られないように。
そんな、絶望が城を覆う中、女学校では初めての卒業式が執り行われることになった。アシュトンの意識が戻らぬ中、セレスティアは彼の代理として、そして学園長として、式典に参列した。
卒業生の顔は、エンパイア・クラウン大会での勝利を経て、自信と希望に満ち溢れていた。彼女たちは、この女学校で得た知識と、自分たちの可能性を信じる心をもって、それぞれの道へと羽ばたこうとしている。
祝辞を述べた学園長は、最後に卒業生たちに向けて、一本の「愛の詩」を朗読した。
「……真実の愛とは、決して奪い合うものではない。己の身を犠牲にしてでも、ただひたすらに、相手に与えること。見返りを求めず、ただ相手の幸福を願うことこそが、最も純粋な愛の形である……」
学園長の言葉は、セレスティアの心の奥底に深く響いた。アシュトンが、この領地のために、そして彼女のために、どれほど己の身を犠牲にしてきたか。その姿が、詩と重なって見えた。アシュトンは、常に与え続けてきた。見返りを求めることなく、ただひたすらに、民の幸福と、彼女の笑顔を願って。
そして、自分はどうか。アシュトンを心配し、無力感に苛まれてばかりで、彼に何を与えられただろうか。
卒業式が終わると、セレスティアは迷うことなく、**庭にある「命の木」**へと向かった。
青々と葉を茂らせる他の木々とは異なり、その木は、まるで深い悲しみを湛えているかのように、わずか五枚の葉を残すばかりだった。
セレスティアは、その木の根元に跪いた。顔を上げ、残された葉を見つめる。アシュトンの命の残りを示す、あまりにも少ない葉。このままでは、彼は、死んでしまう。
「深淵の森の魔女よ……!」
セレスティアの声が、静かな庭に響いた。
「わたくしは、このクレイヴス家の当主夫人、セレスティア・クレイヴスとして、あなたに願います」
彼女は、震える手で、自らの胸に手を当てた。
「わたくしの命を、差し出します。この命を、アシュトン様に与えてください。わたくしの命と引き換えに、どうか、アシュトン様を……」
セレスティアの瞳から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは、恐怖や悲しみではなく、愛する者を救いたいと願う、純粋な決意の涙だった。
「どうか、アシュトン様を、助けてください……!」
彼女の魂からの願いは、果たして魔女に届くのだろうか。そして、アシュトンの命は救われるのだろうか。