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第17話 ふたりのデート

 公共事業が本格的に稼働し、クレイヴス領内では着実に金が回り始めていた。整備された街道には人や物が行き交い、灌漑事業によって農作物の生産量も増加。市場には活気が戻り、領民の顔にも少しずつ笑顔が戻っていた。アシュトンは、その状況を冷静に見極め、次の手へと動いた。

 ある日の評議会。アシュトンは、財務官僚たちを前に、一つの大胆な提案を切り出した。


「私は、このクレイヴス領において、通行税を廃止し付加価値税を減税することを決定した」


 その言葉に、評議室にどよめきが起こった。税は、領地の重要な財源だ。それを廃止するなど、にわかには信じられないことだった。

 アルフォンスが、やや戸惑いながら口を開いた。


「アシュトン様、それは……領地の財源が、大幅に減少するのではございませんか?」


 アシュトンは、毅然とした態度で首を振った。


「短期的にはそう見えるだろう。しかし、私の狙いは、税率による徴収よりも、景気拡大による増収だ」


 彼は、前世で学んだ経済学の知識を基に、その意図を説明した。


「通行税が廃止されれば、商人たちはより自由に、より安価に、領内を行き来できるようになる。これにより、物流は活性化し、多くの商品がクレイヴス領に流れ込むだろう。商品の選択肢が増えれば、領民の購買意欲も刺激される」


 続けて、付加価値税について語る。


「付加価値税も同様だ。これが廃止されれば、商品の価格は下がり、領民はより多くの物を買えるようになる。商人はより多くの商品を売り、儲けが増えれば、新たな事業に投資する。そうすれば、さらに多くの雇用が生まれ、領地全体が豊かになる」


アシュトンは、盤石の論理で彼らを説得した。


「税率を下げれば、確かに一度に徴収できる額は減る。しかし、経済活動全体が活発になれば、課税対象となる取引の総量が増え、結果として税収は以前よりも増加する。まさに、薄く広く、そして大きく儲けるという原理だ」


 評議室の官僚たちは、最初は半信半疑だったものの、アシュトンの説明と、これまで彼が成し遂げてきた改革の実績を前に、次第に納得の表情を浮かべ始めた。アシュトンは、単に目の前の利益を追うのではなく、遥か先の未来を見据えている。


「この改革は、領民の生活を豊かにし、商人の活動を後押しする。そして、最終的には、このクレイヴス領を、より強固で豊かな土地にするためのものだ」


 アシュトンの力強い宣言に、評議室は静まり返った。彼の言葉は、彼らの心に、新たな時代の夜明けを告げていた。こうして、クレイヴス領は、大胆な税制改革に踏み切ったのだった。

 減税政策が施行されて数週間後。アシュトンは、その効果を肌で感じるため、セレスティアとお忍びで町に出かけることにした。変装のため、アシュトンは平民の服に身を包み、セレスティアも質素なドレスにフードを深く被った。


「準備はいいか、セレスティア」


アシュトンが尋ねると、セレスティアは小さく頷いた。彼女の顔には、少しばかりの緊張と、好奇心が入り混じっている。二人でこうして町に出るのは初めてのことだった。


城門を抜け、町の通りに出ると、そこには以前とは比べ物にならないほどの活気が満ち溢れていた。


「見てください、アシュトン様! 人々がこんなにも……」


 セレスティアが、驚いたように声を上げた。通りは人でごった返し、露店からは威勢の良い声が飛び交い、賑やかな笑い声がそこかしこで聞こえる。以前は閑散としていた通りが、まるで別世界のように活気に満ちていた。

 二人は、人混みに紛れて町を歩いた。耳を澄ませば、領民たちの会話が聞こえてくる。


「いやあ、通行税がなくなって本当に助かるよな! 王都からの仕入れも、前よりずっと安く済むようになった!」


「そうだとも! おかげで、うちの店も品揃えが増やして、お客さんも喜んでくれるんだ!」


 商人の声が聞こえてくる。彼らは、通行税の廃止によって物流が改善され、商売がしやすくなったことを喜んでいるようだった。

 別の場所では、主婦たちが立ち話をしている。


「この間、新しいパン屋ができたのよ! 付加価値税が安くなったから、パンも少し安くなって、助かるわ」


「ええ、本当に! 前は高くて手が出なかったものも、買えるようになったから、家計がずいぶん楽になったわ」


 領民たちは、付加価値税の減税によって、日々の生活が楽になったことを実感しているようだった。彼らの顔には、以前には見られなかった明るい笑顔が浮かんでいる。

 アシュトンは、そんな領民たちの声を聞きながら、満足げに頷いた。彼の政策は、確実に領民の生活を豊かにし、領地全体に活気をもたらしていたのだ。

 セレスティアは、アシュトンの隣で、感動したように瞳を潤ませていた。


「アシュトン様……本当に、素晴らしいです。皆、こんなにも喜んでいます」


 彼女の言葉には、偽りのない感動が込められていた。アシュトンが、この領地を、そしてそこに暮らす人々を、どれほど大切に思っているか。そして、そのためにどれほどの努力を重ねてきたか。セレスティアは、その全てを肌で感じていた。

 アシュトンは、セレスティアの頭を優しく撫でた。


「これは、君の協力があったからこそだ、セレスティア。君が新しい産業を興し、女学校で未来の担い手を育ててくれたからこそ、この領地は変わることができた」


 二人は、町の活気と、領民たちの笑顔に包まれながら、静かに歩みを進めた。アシュトンの大胆な減税政策は、クレイヴス領に確かな繁栄をもたらし始めていた。

 活気あふれる町を歩きながら、アシュトンとセレスティアは様々な店の前を通り過ぎていた。減税政策の恩恵で、以前は閑古鳥が鳴いていたような商店も、今では客で賑わっている。そんな中、二人は偶然、小さなアクセサリー店の前で足を止めた。

 店の奥から、人の良さそうな店主が顔を出し、アシュトンとセレスティアににこやかに話しかけてきた。


「いらっしゃいませ! お二人とも、お似合いの品がございますよ!」


 店主が指し示したのは、ショーケースの中に飾られた、シンプルな銀のネックレスだった。中央には、クレイヴス領の豊かな森を思わせる、深緑色の小さな宝石が嵌め込まれている。派手さはないが、洗練された美しさがあった。


「これは、領内で採れる珍しい石を加工したものでして。この清らかな輝きは、奥様のようなお方にこそ相応しい」


 店主は、セレスティアの視線がネックレスに留まっているのを見て、さらに言葉を続けた。セレスティアは、その美しい輝きに、思わず見惚れているようだった。

 アシュトンは、セレスティアの横顔を見た。彼女は、これまで自分のことにはほとんど気を配らず、領地やアシュトンのために尽くしてきた。マルコス商会との一件で、彼女の心の傷にも触れたばかりだ。この機会に、何か贈り物をしてあげたいと、アシュトンはふと思った。


「セレスティア、どうだ? 気に入ったか?」


アシュトンが尋ねると、セレスティアはハッと我に返ったように、慌てて首を横に振った。


「いえ、わたくしなどには、もったいないでございます……」


 彼女は、自分への贅沢を常に遠慮する。その謙虚さは美点ではあるが、アシュトンにとっては、もう少し彼女自身にも目を向けてほしいという思いがあった。


「良いんだ。私が贈りたい」


 アシュトンは、店主に視線を向けた。


「これを、包んでくれ」


 アシュトンの言葉に、セレスティアは驚いたように目を見開いた。


「アシュトン様!?」


「いいから」


 アシュトンは、優しく、しかし有無を言わせぬ口調でセレスティアの視線を遮った。

 店主は、すぐにネックレスを取り出し、丁寧に包み始めた。その間、セレスティアは、申し訳なさそうな顔でアシュトンを見つめている。

 包みをアシュトンから受け取ると、セレスティアはそっとそれを受け取った。


「ありがとうございます、アシュトン様……」


 セレスティアの声は、感謝の気持ちで微かに震えていた。彼女の瞳は、まるで宝石のように輝いていた。

 アシュトンは、そんなセレスティアの姿を見て、満足げに微笑んだ。このネックレスが、彼女の笑顔を、そして彼女がこの領地にもたらした光を、いつまでも輝かせ続けることを願って。


――店主の回顧:お忍びの台無し――


 アシュトン様とセレスティア様がお帰りになった後、店の戸を閉めながら、アクセサリー店の店主は一人、くすくすと笑いを漏らした。


「ふふ、お忍びのつもりだったんだろうが、あれじゃあ台無しだ」


 店主は、先ほどの二人のやり取りを思い出す。


(『セレスティア、どうだ? 気に入ったか?』だの、『アシュトン様!』だの……)


 確かに、アシュトン様は質素な服を着て、セレスティア様もフードを深く被っておられた。一見すれば、ただの裕福な夫婦にしか見えない。しかし、いかに質素な服装であろうとも、あのお二人の立ち居振る舞いは、どこか高貴な雰囲気を纏っていた。そして何より、あの名前の呼び方。


「そりゃあ、普段から伯爵様と奥様をお呼びしてる我々領民からすりゃあ、一発でわかるってもんだ」


 店主は小さく首を振った。伯爵家のご夫婦が、お忍びで町に出るなど、滅多にないことだ。そのお姿を一目見ようと、こっそり追いかける者もいる。そんな中で、あんなに堂々と互いの名を呼び合ってしまっては、隠し通せるわけがない。


(まあ、それもまた、お二方らしいといえばらしいか……)


 アシュトン様は飾り気のない実直さがある。そしてセレスティア様もまた、清らかで真っ直ぐなお方だ。きっと、二人きりの空間では、普段からそう呼び合っておられるのだろう。その親密さが、つい公衆の面前でも出てしまったのだろうと、店主は勝手に解釈した。


「しかし、お優しいお方だ。奥様にあんなに立派な物を贈られるとはな」


 店主は、売れたネックレスを包んだ時のことを思い出し、顔をほころばせた。あの品は領地が潤ってきた証でもある。そして、それを贈るアシュトン様の優しさ、そしてそれを受け取るセレスティア様の純粋な喜びに触れ、店主は温かい気持ちになった。


(それにしても、あの伯爵様が、あんなに顔を赤くして奥様に贈り物をするとはな。普段の厳しいお顔からは想像もつかない)


 店主は、お忍びデートの一幕を思い出し、再び口元を緩ませた。きっと、城に戻ればまた、あの厳格な領主と淑やかな夫人に戻るのだろう。だが、今日の出来事は、店主にとって、クレイヴス領の未来が明るいものであることを示す、微笑ましい一コマとして記憶されたのだった。


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