第12話 襲撃事件
アシュトンが王都での交渉を成功させた褒美として、国からクレイヴス領に技官が派遣されることになった。これは、領地の灌漑事業を本格的に進める上で、大きな助けとなるだろう。アシュトンは、領地がまた一歩、発展へと近づくことに喜びを感じていた。
数日後、派遣された技官がクレイヴス城に到着した。アシュトンとセレスティアは、早速その技官と共に、灌漑事業の予定地である領内の視察に向かうことになった。馬車に揺られ、領地の豊かな自然を眺めながら、三人の間では今後の事業計画について活発な議論が交わされていた。
しかし、その平穏な時間は、突然の衝撃によって打ち破られた。
ガタン! と激しい揺れと共に、馬車が急停止する。外からは、剣と剣がぶつかり合う音、そして男たちの怒号が聞こえてくる。
「何事だ!?」
アシュトンが窓から外を覗くと、馬車の周囲を、武装した男たちが取り囲んでいた。グスタフ率いる私兵たちが応戦しているものの、相手の数は予想以上に多い。
「先代のクレイヴス伯爵の息子か! 貴様だけは生かしておかん!」
襲撃者の一人が、憎悪に満ちた声を上げた。彼らの目的は、アシュトンだった。先代のグレイヴス伯爵に、家族を殺された者たち。長年の恨みを晴らすため、この機会を狙っていたのだ。
アシュトンは「魔女の力」を王都で使い過ぎたため、今回はそれを温存し、グスタフたちに任せることにした。その判断が致命的なミスとなる。
グスタフたちが必死に防戦する中、一人の襲撃者が私兵たちの守備の間をすり抜け、馬車へと迫った。その手には、鈍く光る剣が握られている。
「きゃあ!」
セレスティアが叫んだ。襲撃者の狙いは、武器を持たぬセレスティアだった。彼は、セレスティアに向かって、凶悪な剣を振り下ろした。
アシュトンは、考えるよりも早く動いた。セレスティアを庇うように、その身を投げ出す。
ガキン!
鈍い音が響き、アシュトンの体に激痛が走った。凶刃は、彼の肩を深く切り裂いていた。鮮血が、セレスティアの白いドレスに飛び散る。
「アシュトン様!」
セレスティアの悲鳴が、戦場に響き渡った。アシュトンは、その場に崩れ落ち、意識を失った。彼の体から、急速に力が抜けていく。
襲撃者たちは、アシュトンが倒れたのを見て、一瞬ひるんだ。その隙を突き、グスタフたちが反撃を開始する。
セレスティアは、倒れたアシュトンの体を抱きしめ、その傷口から溢れ出る血を必死に押さえた。彼女の顔は、恐怖と絶望に歪んでいる。
「アシュトン様……! 目を開けてください、アシュトン様!」
彼女の呼びかけに、アシュトンは答えない。意識を失った彼の顔は、蒼白だった。
城に戻っても、アシュトンの意識は戻らなかった。医者が懸命に治療にあたっているが、その顔には深い疲労と困惑の色が浮かんでいる。肩の傷は深く、出血も多かった。
セレスティアは、医者にアシュトンを任せ、重い足取りで部屋を出た。廊下に出ると、血の付いた剣を握りしめ、悔恨の表情で立ち尽くすグスタフの姿があった。彼の周囲には、他の私兵たちも沈痛な面持ちで控えている。
セレスティアの姿を見ると、グスタフは一歩前に出て、その場で深く頭を下げた。
「奥様……申し訳ございません! 私どもの不手際で、アシュトン様を……!」
彼の声は、悔しさと自責の念に震えていた。しかし、セレスティアは、そんなグスタフを責める気にはなれなかった。彼の私兵たちが必死に戦ってくれたことは、彼女もこの目で見ていたのだ。
セレスティアは、ゆっくりとグスタフに近づき、その肩にそっと手を置いた。
「グスタフ……頭をお上げなさい。あなた方を責めることはできません。あなた方は、アシュトン様を、わたくしを、必死に守ってくださいました」
セレスティアの言葉に、グスタフは顔を上げた。その目には、驚きと、そしてかすかな光が宿っていた。
「奥様……」
「それよりも……」セレスティアは、アシュトンの部屋の扉に視線を向けた。「今回の襲撃には、何か、裏がある気がいたします」
グスタフの瞳が、鋭く光った。
「やはり、奥様もそう思われますか。あの連中の動き、そして何よりも、先代伯爵への恨みだけにしては、あまりにも周到すぎる。誰かが、裏で糸を引いているような……そんな気がしてなりません」
セレスティアは、グスタフの言葉に強く頷いた。彼女の心の中には、アシュトンへの深い愛情と、そして彼を傷つけた者への、静かな怒りが燃え上がっていた。
「アシュトン様が、こんな目に遭うなど、決して許されることではございません。わたくしは、このまま黙って見過ごすわけにはいかない」
セレスティアの声は、震えていたが、その瞳にはこれまで見たことのない強い光が宿っていた。彼女は、その場でアルフォンスとリディアを呼びつけた。二人は、アシュトンの容態を案じながら、すぐにセレスティアの前に跪いた。
「アルフォンス、リディア」
セレスティアは、二人にまっすぐ視線を向けた。
「あなた方に命じます。今回の襲撃の黒幕を、徹底的に調べ上げなさい。誰が、何のために、アシュトン様を狙ったのか。その全てを、このセレスティアに報告なさい」
アルフォンスとリディアは、セレスティアの言葉に、驚きと同時に、その決意を感じ取った。彼らは、アシュトンが倒れた今、セレスティアがクレイヴス家の当主代理として、毅然と立ち上がったことを理解したのだ。
「かしこまりました、奥様。このアルフォンス、命に代えても、必ずや黒幕を突き止めてみせます」
「わたくしめも、奥様のお命に従います」
二人は、深く頭を下げた。セレスティアの心の中には、アシュトンの無事を祈る気持ちと、そして彼を傷つけた者への、燃えるような復讐の炎が宿っていた。彼女は、愛する夫の仇を討つため、そしてこの領地を守るため、静かに、しかし力強く立ち上がったのだった。