プロローグ
ゲームの中へ沈み込んでいく気がした。
ロボットの内部のコックピットに入るように、身体が直接ゲームと繋がる感覚。
自分の頭で思い描いた通りにキャラクタを動かせるし、ゲームで表現できること以上の情報が脳内で補完される。
違和感はない。それが最初からそうであったかのように身体が馴染んでいる。
物理法則を無視して空中を旋回する爽快感も、撃つたびに肩へ抜けていく衝撃も、身体を撃ち抜かれる瞬間の喪失感も、全部。
現実がひどく遠くにあるように思える。
難しいことは何も考えなくてよかった。
ただ狙撃銃を担いで、突っ込んで、撃ち合う。
第15ラウンド、開始まであと5秒。スコアは7対7、両者マッチポイント。
この試合はこれで決着になる。
久しぶりにゲームに没入できただけで、十分満足している。
でも、このまま終わらせたくない。
試合に勝つとか負けるとかは正直どうでもいい。それよりも大事なことがある。
きっと、今しかできない。
思い返したのは、ゲームに入り込むためのトリガーを引かれたあの瞬間。
第1ラウンドに撃たれたあの瞬間のことだった。
***
第4回H4rry杯の予選大会。
SR2on2ルールの大会の中で日本最大のオンライン大会だ。
このSR2on2ルールを誰が最初に作ったのか、詳しいことは知られていない。
使って良い武器は狙撃銃だけ。二人チームを組んで、綿密なコミュニケーションを取って戦わなければいけない。そのせいで、当初は競技人口が少なかった。
しかし、その競技としての奥深さや、長距離戦だけでなく近距離戦を狙撃銃で戦うことの楽しさから、徐々に裾野が広がっていった。
その人気を決定的にしたのが、銃撃戦ゲームコミュニティに大きな影響を及ぼすインフルエンサー、H4rryの主催するオンライン大会ーSR2on2 H4rry杯。
本選まで勝ち進む事ができれば、試合がH4rryの実況付きでライブ放送される。アマチュア大会としても、アンオフィシャルルールの大会としても、その規模は最大のものとなった。
それ以来、1年に一度開催されるようになっていて、今年で4回目。
友人に誘われて予選大会に参加することになっていたが、その友人は急用で参加できず。
結局、一人で参加することにして、今は第五回戦。
この試合だけは不思議なことに、相手も一人だった。SR2on2大会のはずが、結果的にSR1on1の試合になっている。
第1ラウンド開始3秒前。
まずは相手の出方を伺うために、一瞬だけ壁から顔を出して大きく開けたセンターのスペースを覗きにいく。
相手がどこにいくかを視認できれば儲けものだし、人によっては姿が見えたことにつられて発砲してくるから、音でも大体の居場所が掴める。
どこにもいなければ、もうすでに移動しているか、まだ相手リスポーン付近で待機しているか。
とにかく、情報を得られなければ何も始まらない。SR2on2の定石。
ラウンド、スタート。
狙撃銃を背中にしまいながら、真ん中の方へ向かう。
もう既に向こう側から音がしている。風を切るような音、金属線の巻き取られる音。
一試合に一度だけ使える立体機動用のグラップリングガンの音だ。
使うタイミングが早い。
どこか高所へ上がったか。それとも、早くも自分側にある建物へ詰めてきているのか。
壁の近くまで走り込む。
まずスライディングジャンプ。次にエア・ストレイフをしながら速度が0になる瞬間をピークに合わせる。
物理法則に反しているが、空中に飛んだ状態で加速度を落とさずに方向ベクトルを大きく変えられるのがこのゲームの挙動の特徴。
前向きに飛び込んだあと、8の字の上側を書くように後ろ向きに進行方向を変える。
最速で壁から顔を出して、最速で壁に身体を隠すためのテクニック。
相手は
「」
高速で目の前に突っ込んできていた。
エア・ストレイフで曲線を描くように空中を移動、俺がピークに利用した壁の側面で壁ジャンプ。視界から外れ、死角側へ。
「は?」
意味がわからない。このタイミングで突っ込んでくる?
試合開始直後の、一瞬思考が止まる。
棒立ち。
振り返る。
相手は減速しないまま、俺から見て右斜め前へ吹き飛んでいく。
狙撃銃を構えたまま。
ゲームだから空中でも射撃ができる。
銃弾は慣性の影響を受けず、発射時点での照準の位置に合わせて直線的に飛ぶ。つまり、飛んでいようが何しようが相手に照準を合わせて引き金を引けば銃弾は当たる。
ただ、空中でぶっ飛びながら狙撃銃ぶっ放すバカはあまり多くない。普通は空中で照準を合わせようとはしない。せめて、着地後に横滑りしながら合わせにいくはず。
でも、ヤバいと思った。
思ったときにはもうすでに身体は動いていた。
早く近くの遮蔽物の陰へ。
相手と逆方向に動く。相対速度を速くすれば、普通は照準を合わせるのが追いつかなくなる。
狙撃銃のスコープは倍率が高いせいで近距離の速い移動に合わせにくい。
それでも、相手の銃口は瞬く。
ゲームのキャラクタにそんな機能はないけれど、相手の口元が薄っすらと笑っていたような気がした。
”BANG!!!”
曳光はまっすぐと俺の胸元に吸い込まれていって、銃弾が心臓を貫く。
真っ赤なエフェクトと{KILLED}の文字。
後ろ側に吹き飛ばされる。
**
ゾクッとした。
カッコいい幕開けだ。
同時に、やられた、と思った。
俺がこのゲームをやる上での唯一の目的。
カッコいいと思うことを追求する。
さっきまでの試合はただ勝てばそれでよかった。2対1で不利な状況から始まっていたから、勝つだけで十分カッコいいだろうと思えた。
でもこの試合は違う。対等な状況から始まった、スナイパーとしてのプライドを賭けた戦いだ。
なんで最初から突っ込んで来たのかはわからない。戦略? 挑発?
わからないけれど、余計なことを考える必要はないのかもしれない。
一旦コントローラーを置いて背伸び。
コントローラーを握り直す。
**
第2ラウンド以降も相手は突っ込んできた。
距離を詰める際はほとんど姿を晒さない。晒したとしても、こっちが一発外してから次弾を装填する合間の僅かな時間で詰めてくる。
最初から突撃する以外の選択肢はないらしい。
そして、こちらもポジションを変えつつ近距離戦を挑んだ。
正面から迎撃する以外の選択肢を捨てる。
戦闘機のドッグファイトのように格闘戦にもつれ込む。
最初は意表を突かれたため何もできないまま倒されたが、腹を決めてしまえばだんだんと近距離戦の感覚が蘇ってくる。
近距離戦はタイミングを合わせることが何よりも重要だ。
照準を覗き込み終わるまでのタイムラグと照準を覗き込んだ際の倍率によって生じるズレを補正するための時間を考慮すること。
そして相手を照準を合わせられる位置に引きずり込むために、相手の動きと自分の動きのタイミングを合わせること。
タイミングがズレた状態で撃とうとすると絶対に当たらないし、何より撃ったあとの隙が大きい。
逆に、当たると確信できるくらいにタイミングが揃ったときは大体当たる。それは感覚でわかる。
撃ち合っている最中は永遠に続くようにも感じる。バラバラのリズムがピタリと合う一瞬を聞き逃さないよう、耳を研ぎ澄ませる。
**
第14ラウンドまでで感覚は仕上がっていた。
後半のラウンドになるにつれて、撃ち勝てることが多くなっていく。
相手と自分の動きのタイミングをすり合わせていくうちに、だんだんとゲームの世界と現実世界ののタイミングも合っていった。
こんな単純なことでフロー状態に入れるなんて考えもしなかった。
今だったら、昔のように狙えるだろうか。
ラウンド15。開始まであと5秒。スコアは7対7、両者マッチポイント。
この試合はこれで決着。
でも、最初の勝負には俺の中でまだ決着がついていない。
相手の予想しない方向性で、度肝を抜くような一撃を。
やってみたいという衝動。やられたらやり返したいという情動。
ファイナルラウンドが始まる。
**
グリッチ、というものがある。
ゲーム内のバグや不具合を意図的に利用することで、通常はできないプレーをすることができる。
グリッチの多くはゲーム運営側が早急に修正するが、修正しにくいものも存在する。そこまでゲームの進行に支障をきたさないものであれば、放置されることも多い。だから、グリッチ自体はゲーム内にいくつもある。
しかし、グリッチの利用は立派な不正行為だ。
特に、公式大会においてはそれがどんなものであれグリッチを利用した瞬間に一発でアウトになる。
たとえば、このマップにあるグリッチで有名なものといえば。
リスポーン地点からすぐ近くにある2階建ての建物の最上部。伸びたアンテナの先端部にグラップリングガンを撃ち込むことができれば、高度20メートル近くまでぶっ飛ぶことができる。
通称『ぶっ飛びグリッチ』。
最終的な射出方向や角度はフックを外すタイミングである程度調整が効く。が、どんな方向角度であれ、速度や高度が出過ぎて着地した瞬間に落下ダメージで死ぬ。
だから、飛べるだけで何の意味もなく、サービス開始時から放置されっぱなしのグリッチだった。
**
ラウンド開始後、まっすぐ建物の方へ向かう。
勢いをつけて建物の壁面にスライディングジャンプ、壁キックしたあとエア・ストレイフで強引にもう一度壁側へくっつき、壁をよじ登る。
壁を登れる高さには限界があって、登りきったあとは強制的に壁から離れるように小ジャンプが入る。これで、建物の屋上程度の高さまでは届く。
手を離した瞬間に、グラップリングガンを射出。フックが先端に掛かったら、できる限り金属線を伸ばしてから、引き戻す。
ホームランボールのように爽快な心持ちで打ち上げられた。
センターの開けた部分に飛び出そうとしている最中の相手を眼下に見つける。戸惑ったように固まっていた。
どこにいても狙撃するつもりだったが、俺の位置に気づいてくれたのは僥倖というやつだ。多分あいつはグラップリングで逃げたりせずに、俺が落ちていくところを狙撃しようとするだろう。
チャンスは放物線の頂点に達する直前の一瞬だけ。
その瞬間に照準で相手を捉える。
照準越しに見るというより、照準そのものが目であるかのように。
スッと視界が晴れていく。拡散していた意識が一点に収束するように、照準の真ん中へと引き絞られる。
肺を絞るように息を吐き出す。全身を硬直させて、照準がブレるのを最小限に抑える。
引き金に掛けた指先に力がこもる。
まだ、もう少し。
照準越しに狙撃銃を構えようとする空を見上げる相手の姿が見える。
もう限界か。
このまま飛べば照準の中心は左上側にズレていく。
しかし、照準を合わせ直す必要はない。
このタイミングで、進行方向に逆らうようににエア・ストレイフ———
画面の一点が輝く。その弾の軌道は綺麗に横を通り過ぎていく。
一瞬だけ身体が浮いているかのような軽さに包まれた。
瞬いた光は相手の位置を何よりも明瞭に示す目印だった。照準をそこに合わせる。
自分が使っているキャラクターの決め台詞とともに、引き金を引く。
「Adios!」
画面が閃光に包まれる。ワンテンポ遅れて、
〈BOOM!!!〉
炸裂音と破裂音と爆発音とが混ざった衝撃波が耳を包む。
相手がどんな顔をしているか見たかったが、曳光が真っ直ぐ相手の頭部を貫いていたから、何も見えない。
<VICTORY>の金色の文字の裏で、苦悶の声を上げながら墜落死するキャラクターの声が聞こえた。