プロローグ 居酒屋にて
首都・ハーストブルクから西南へ、街道沿いに2日ほど進むと高い石壁が見えてくる。正面にそびえる巨大な門を潜ると、綺麗に整備された広い中央通りが眼前に広がる事だろう。
レンガ造りの街並みは観光で訪れた旅行者だけでなく、宿を求めてやってきた冒険者や仕事に来た行商人をも魅了する。ヴィルヘルムというその宿場町は、今や国有数の観光名所のひとつである。
*
夕暮れを過ぎ、繁忙時間を迎えた居酒屋。この時間帯になると仕事を終えた労働者や食事を求めて飛び込んできた冒険者、仲間と飲みに来た若者達が押し寄せ、テーブル席は常に満席状態となる。アルコールで熱の入った喧騒は外にまで届く勢いとなっていた。
そんな店内で注文に料理にと忙しなく行き交う店員達。その間をすり抜けるように視線を行き来させた後、男――小城稜人はたった今隣の席にやってきたもう1人へと顔を向けた。
「店中に花が飾ってあるね。何かあるのかな」
「ああ、祭りが近いんだよ」
ぶっきらぼうに返ってきた答えにふたつ瞬きをする。祭り、と小さく繰り返した後、カウンターに置かれたガラス製の花瓶へ視線をやった。淡いワインレッドと白い花のアレンジメント、よく見るとドライフラワーのようで花瓶に水は無い。ドライフラワーとは思えないほど鮮やかな色である。
しかし、祭りと花か。何か繋がりがあるだろうか。
小城の中ではいまいち結びつかないふたつだったようで、彼はううんと唸りながら小首を傾げた。その動きに合わせて頭の後ろに束ねられた茶髪が揺れる。
ピンと来ていない小城の様子を察して、隣に座った男は上着を脱ぎつつ言葉を続けた。
「かれこれ150年以上も前になるんだがよ、この辺り一帯『魔物』の襲撃被害に遭ってな。酷い有様だったんだ。そっからコツコツ復興を進めて、ひと段落した記念にでかい祝いがあったんだがよ、そっから毎年この時期になると祭りムードになるんだよな」
最近は『復興祭』だとか言われてるんだったか。と付け加えた後、男も花瓶を見やった。
「で、こいつと何の関係があるんだって言いたいんだろ? ヴィルヘルムの復興作業が始まった頃にな、その花を植えた奴が居たんだよ。そん時はアイツもまだ子供だったからよ、深くは考えちゃいなかったろうが……いつの間にか復興を象徴する花になったな」
名をローダンセと言う。祭りになるとこうして街のあちこちに飾られるのだと感慨深そうに目を細めつつ、男はまるで見てきたかのように語った。小城は、「そっか」と納得したように一言だけ返した。
小城は隣の男が実際に――150年以上も前の出来事を目の当たりにしてきたのだろうと疑いもしなかった。この世界には、人間よりも長生きな種族が存外多くいるのだ。そう、隣にいるこの男のように。
改めて、小城は隣の男へと視線を向けた。自分よりも頭ひとつ分高い背、枝のように細い手足。(補足すると、小城自身180cm近くあるため決して低くはない。)
シルバーグレイの髪は艶があり、長身であるその男の腰辺に届く長さだ。一際目を引くのは雪のように白い肌。華奢な体と相まって、少々病弱な印象を受けるため健康面が心配になる相貌ではある。本人も痩け気味である事を気にしているらしい。そして、特徴的な長い耳。彼のような耳の形は『尖耳』と呼ばれ、妖精を起源とする長齢種族、例えばエルフ族やドワーフ族等の特徴としてしばし散見される。その中でもエルフ族というのは特に長い耳を持っている、らしい。この辺りの話は目の前の男自身から聞いたものであった。
「あのさ、エルフ」
小城は隣の男を呼ぶ。
彼が口にしたのは種族の名前だ。他人行儀な呼び方に聞こえるが、本人がそれ以外の呼び方を教えようとしないので他に呼びようがない。
エルフと呼ばれた男が小城を見た。ネイビーブルーの瞳と小城の黒色の瞳が合う。
エルフ族のその男を見て、小城は改めて自分自身が置かれている非現実的な状況を思い知らされた。同時に、子供の頃の憧れが目の前に在るという現実に感動を覚える。ああ、自分は本当に今異世界にいるのだな、と。
一方で、小城の次の言葉を待っていたエルフは徐々に呆れ顔になっていた。小城の意識がどこかに行っているのは明らかである。
待ちかねて一言「何だよ」と返事をすると、小城はようやく我に返ったように瞬きをした。
「あ、ごめん。ええと、そうだ。エルフ、君って今どれくらい生きてたりするの」
「ああ――」
150年。具体的な数字を挙げた地点でそう質問が返ってくるであろうとエルフは予想していた。
小城が元いた世界ではこちらで言う『人間』種族しかおらず、エルフ族やドワーフ族と言った別起源の長齢種族は存在しないらしい。それどころか『魔法』すらも存在しないと言うから驚きだ。そのためか、こちらの世界に対する興味が尽きないらしい。エルフにとっては、魔法のない世界というものの方が気になるところであるのだが。
この小城という男も、向こうでは『刑事』と呼ばれる堅い仕事に就いていたらしいのだが、今ではまるで浮かれた子供のそれだ。小城の言う憧れは童心を呼び起こす何かがあるらしい。
年齢の話に戻る。今年で何歳だったかとエルフは指を折って歳を計算をしていたのだが、ふと何か思い立ったようにその手を止めた。
「お前さ、俺の昔話に興味あるか?」
窺うようにチラと小城の方を見る。驚いた様子で、しかし期待を滲ませた表情のまま目を見開く小城と、聞き耳を立てていた数人がこちらを凝視している姿が目の端に写った。ついでにカウンター奥で料理を捌いていた店員の動きと、背後でバタバタと忙しそうに行き来していた店員の足音も止まる。仕事をしろと目で訴えると誤魔化すように目を逸らして仕事に戻った。
そんな周囲を余所に、否、今も聞き耳を立てている周囲の期待に応えるべく、小城は好奇心のまま頷いた。
「ある。聞きたい」
「よし」
期待通りの返事に機嫌良く口端を釣り上げるエルフ。カウンターの向こうにいる店員にエールを2本注文すると、「どこから話すか」とぼやいて背もたれに体を預けた。
小城稜人
30過ぎの刑事、日本人。よく分からないまま異世界に飛ばされた不運な男。
エルフ
180歳過ぎのエルフ族の男。ギルド所属の公務員、人間社会出身。
よろしくお願いします。