09.
「王太子殿下、お呼び頂き有難う御座います」
「やぁ、ミレイユ」
応接室で既に王太子殿下は優雅に座り、紅茶を飲んでいた。促されるままに椅子に座るが、正直緊張しすぎて生きた心地がしない。
「急に呼び出してすまない、ダンスを誘おうと思ったら化粧室で休んでると聞いて。十分休めたかな?」
「お、お陰様で……」
化粧室では休んだというよりは、泣いていただけだ。王太子に呼び出されたことであの時リーシャ様のおかげで解れた心がもうガチガチに固まってしまっている。
会話を続けることが出来ずに黙っていると、王太子殿下は片腕を上げて誰かを呼び寄せた。
“騎士団の服を着た青年“が近寄ってくる。
「この者は、オーター・ウィルズと言う。王太子妃候補になった君へのプレゼントだ」
「……騎士をプレゼントですか?」
紹介されたオーター・ウィルズという騎士は私に向けて姿勢良く頭を下げた。
とても礼儀の正しい騎士だとは思うけど、必要とか必要じゃないに限らず、何故急に王太子妃候補になり騎士をプレゼントされることになったのか、目まぐるしい展開に全く着いていけない。
「王太子殿下、お言葉ですが……何故急にこんな、王太子妃候補などと」
「ははっ、まぁそうか」
本当であれば、このような立場に立つのは大公や公爵のような立派な家柄の令嬢。ぶつかっただけの無礼な私など対象外だ。
「ミレイユごめんね、王太子妃候補は名だけだ」
「……名だけ、ですか?」
「君を守る為に王太子妃候補にさせてもらった、魔女とは緻密でそこそこ執念深い生き物だから」
全てが理解出来なくて首を傾げてしまう。
王太子妃候補というのは建前で、その……魔女から私を守る、というのはどういう経緯なのだろう。
それに魔女は処刑されたのではないだろうか。
「本当に全く知らないんだね、順を追って説明しても?」
「あの……お願い致します」
「フィルの婚約者が魔女だった話は知っているよね、魔女というのは魔力がある者が悪魔と契約することでなれるんだよ」
「!!」
私は今まで違法に魔法を学んだ者が犯罪を犯して魔女と称されるのだと思っていた、知らなかった事実に驚いていると私を宥めるように王太子殿下は続けた。
「魔法使いとはまた違う生き物なんだ」
「それは、知らなかったです」
「まぁ、国家機密だからね」
「そのような事を私に教えてしまっていいのですか?」
「君はもう無関係じゃないから、これから身を守らなきゃいけない。知っておくべきだ」
話の筋が掴めない。
無関係じゃない、フィルだけではなく私も魔女に関係があるとでも言うのだろうか。
「ジェネット=シュタンベルクと契約した悪魔は気に入った男と子供を成して、その子供を喰うんだ」
「え、こ……こわっ」
「怖いよねえ。今はどうやら黒髪で黒眼が好みみたい、ひと昔前は金眼、大昔は王族の宝石眼を狙ったりと気に入った男の血筋の子供を作り喰らう」
宝石眼は昔の王族の証だったと言う、
いつの世かに途絶えてしまったと聞くがそれが悪魔の仕業だったかもしれないなんて鳥肌がたってしまった。
「だけどその気に入った男の色を持った子供を産むには条件がある」
「……条件ですか?」
「その男に欲情されることだよ、それで種をもらうんだ」
欲情して種、とは男女のそういった行為のことだろう。
私は平凡に生きてきた伯爵令嬢だ。世の中にはこんなに怖いことがあって、それに幼馴染が巻き込まれたのかと思うとゾクリと鳥肌が立った。
フィルが無事で良かった……でもフィルとジェネット嬢はその……情交を交わしてしまったのかな、そう考えると凄く辛くもある……
落ち込んだ様子で目線を下げると、王太子殿下は優しげな声で続けた。
「でもジェネット嬢はフィルに種を貰えなかった」
「……そ、そうなんですか?」
「フィルはジェネット嬢に欲情しなかったから」
王太子殿下の言葉に顔を上げる。
そうするとニコリと笑い「よかったね」と言ってくれた、王太子殿下はどこまで知っているのだろうか……内情を知られているのは恥ずかしい。
私が顔を赤らめる中で王太子殿下はまた真剣な表情に戻る。
「その場で気に入った男の種を宿す場合にもあれば、すぐに無理だと悟れば入念に準備をし子を成す。ジェネット嬢は後者だったようだ」
そこからは聞くに耐えないような内容だった。
子供を喰う理由や、悪魔と契約してしまう人間が居る事……知らなかった闇を知ってしまい、ミレイユは軽く目眩がしたくらいだ。
つまりは、ジェネット嬢はなんらかの理由で悪魔と契約をし身体を渡した。フィルの見目を気に入り欲しくなったから侯爵家に取り入り婚約者になったと。
家族を巻き込むのはその悪魔の専売特許で、侯爵家の事情は詳しく教えてもらえなかったが私との婚約破棄は致し方なかったらしい。
普通だったら、ここまでくれば男は簡単に誘惑に負けるがフィルは結婚するまではと頑なにジェネット嬢に手を出さなかった。
周りは誰しも”フィルが真面目だから”手を出さなかったと思ったけどフィルは、処刑される前のジェネット嬢との面会で『心に決めた女性が居たからだ』と言ってしまったという。
王太子殿下は諸々の事情の為にこの事に直接関わることが出来ず、この魔女の秘密をフィルに教えてあげることが出来なった。
せっかくここまで事を運んだのに邪魔された悪魔は”心に決めた女性”を探すに違いない、王太子殿下はそう踏んだという。
ーーーーつまりは、
「フィルが心に決めた女性って、わたし……」
「そうみたいだね。ある程度予想はしてたけど、今日確信した」
王太子にぶつかってしまった時の話だろうか、確かのフィルが途中から声かけてくれたけど幾分冷たかったようにも感じるが……
「あんなに独占欲剥き出しにされたら、そりゃあ気付くさ」
「独占欲ですか?」
フィルと会うのは約四年ぶりだし、独占欲だなんて信じられない気分だ。嬉しいのと戸惑いと……でも、それを知っててなんで王太子殿下は、
「とにかく君とフィルが一緒に居るのは危険だ」
「そんな……」
せっかく、まだ本当かどうかはわからないがフィルの気持ちがわかったというのに。
悪魔のせいだけど、王太子殿下を少しだけ恨んでしまう。いや、仕方のない事だと思っても納得は出来そうにない。
「フィルもまだ悪魔の事情は知らないし、君には騎士を所有している令息と婚約をとも思ってたんだけど……」
「だけど、なんでしょうか?」
「未来の王妃の素質もあるなと思って、僕はこう見えて見る目があるんだ」
頭をかかえてしまった、まさかそんな曖昧な理由で王太子妃候補になっただなんて。
勿論、高確率で結婚となってしまう他の令息との婚約よりは“候補”の方が有難い、だけど……
「私にそんな素質はありませんっ!」
「おや、僕の見解が間違っているって?」
「いえ、そういうわけでは……」
「すぐにってわけではないから気長に考えてみて」
……叶わない未来だとわかってはいても、私はどうしようもなくフィルと一緒になりたいと思ってしまう。
気長に考えても、イエスという言葉は出てこなそうだな
「フィルには僕が即位したら官位を与えたいと思ってるんだ、彼は魔女を摘発出来るぐらいは優秀だからね。……だから今は、フィルが無事である事も重要事項。わかって欲しいミレイユ」
私と一緒にいたらフィルも危険、そっか。
好みの男の身体には傷はつけないという悪魔も私が登場したらどうなるかわからない。
私は静かに頷いた。
「これから宜しくね」
この世には悪魔が居て、それに人生を狂わされる人が今までも居たのだろう。
王太子殿下に守ってもらえる私はまだ幸せなほうなんだと無理矢理心を納得させた。