2009-07-07 過去のブログより
最近、自分の事を見ると「黒髪」「黒い髪の人」と呼ぶ人が多い。
もしくは、今更、自分が自分だと気づく人もいる。
自分は彼女が彼に告白した日、6年くらい金髪だった髪を黒くして、延ばし続けてた髪を切った。
彼女が告白する前の日に、「失恋して髪を切るなんて古風だ」と言っていた。
全くその通りだと思うというか、自分は失恋で髪型を変える人の気持ちなど微塵も理解できなかった。
人によっては、「綺麗になって見返してやろうと思うから」などと言う場合もあるが、自分はそういう人の髪型の変更は8割は失敗している様に見える。
切る前の方が似合っていたと思う事が多い。
そう思うのは当然だと思う。
そもそも、ある程度お洒落に気を遣う人間なら、自分に似合わない髪形などしているわけがなくて、それこそ長い間を経て、その髪型に辿り着いているのだと思う。
それをいきなり変更するなんて、失敗して当然の様に思う。
しかし、今回の自分は見返そうと思ったわけではないが、結果的には同じ行動をした。
金髪で長髪だったのには理由がある。
■色について
・金色が自分の肌の色に合うと思ったこと
・茶髪の人が多い中で、自らが自由である事を強調すること
・茶髪の人が多いからこそ、同じ色にしたくなかったということ
・単純に表に出さない、自分の性格をアピールすること
■長さについて
・自分が男である事を否定するため
・女性としてのファッションである髪の装飾が好きなため
・少し歪んだ自分を強調するため
思いつく限りでは、こんな理由がある。
それこそ、長い間かけて伸ばした髪であったし、周囲の人が「金髪の人」と完全に認識する程に維持してきた。
今、思うと随分と長い間、それを守ってきたのだと気づく。
彼女が彼とうまくいった日、自分は仕事があった。
その日は会社に泊まって、それらを仕上げる予定だった。
先々週の土曜日の事なのをよく覚えている。
彼女から報告のメールを受け取って、少し安心した部分もあった。
同時に少し喪失感を感じた。
だからこそ、何も無い自分は仕事をすればいいと思った。
気晴らしに煙草を吸いにいくと、その喪失感やら色々なものが押し寄せてきて、頭が回らなくなってしまった。
そして、急に「昔から幸せになりたいと思ってた」という事を思い出した。
そして同時に「自分の幸せは、昔にとっくに使い果たしたのを忘れてた」と思った。
今まで、自分は人を好きになるときに「この人と一緒にいたい。ずっと一緒にいられそうだ」と思うことがメインであって、相手の幸せがどうのこうのは考えた事はなかった。
よく考えると、非常に自己中心的な考え方をしている。
逆にそれほど明確な感情が自分の恋愛感情だったわけで、それしか経験がなかったから、今回の失敗があったわけだ。
どれほどの感情だったのか、今では分からない。
こうして冷静に考えると、自分が告白した相手が「その付き合う中に、私の幸せって入ってる?」と聞かれたら、自分はその場で完全に言葉を失うと思う。
そういう「好き」という気持ちだったのだと今なら断言できる。
だからこそ、失恋のダメージも一晩で片付いてしまう程度のものだったのだと思う。
それが、今回は違った。
自分は過去に色々あったせいなのか、何なのかよく分からないが、基本的に鬱な部分がある。
それこそ、死ぬような事を考えるタイプの生き物なわけだが、どういうわけだがそういう部分に関しては冷静で、自分が死んだ後の事を考える。
「親は悲しむのではないか?」
「彼女は自分のせいだと無駄な罪悪感を負うのではないか?」
「誰が自分を片付けるのか?」などを考えると死ぬ気は失せるのだが、死ぬ事が最良に思えてならなくなる。
この気持ちに関しては、別に落ち込んだときだけのものではなくて、その辺りが医者も言っていたが不思議なところで、自分はたまに何でもないタイミングで死にたくなる時がある。
それこそ楽しい真っ最中だったり、色々な時。
一度、この感情に支配されると怖くて仕方ない。
彼女がいる今、自分は死んだりしたくない。
それなのに、自分が自分をどうにかしようとする。
それが怖くて怖くて仕方ない。
会社にいても仕事ができない。
だからこそ帰宅を選んだのだが、家に帰ってもする事など無い。
正確には何もしたくなかった。
だが、何かしなくては危険だと思った。
電車に乗っている間に、帰宅してからと、翌日の予定を完全に組んだ。
基本は予定など立てる性格ではない。
帰宅すると、早々にハサミを見つけて髪を切った。
そして、シャワーを浴びて、ワインをかなり飲んだ。
元々、前日も殆ど寝ずに仕事をしていたせいもあって、身体的には完全にアルコールに支配された。
見事にふらふらしているのだが、意識がはっきりしていて不快で仕方なかった。
翌日は、起きると即座に髪を黒く染めた。
染料を落とした自分を見て、悲しくなった。
何をしているんだろう...と、思った。
髪も半乾きのままで、服を買いに行く。
黒髪に似合う服などあるわけがない。
せめて、自分を綺麗にしておきたいと思ったのもあるが、正直、何でもいいから用事を見つけたかった。
家に帰るバスの中で、黒い髪には涙がよく似合うと思った。
金髪の男が泣いても、ただの馬鹿にしか見えない気がした。
よく朝からは、よく絡まれた。
何があったのか?と言われる度に色々な事を言って、笑わせた部分もあるが、余裕がなくて「失恋したんですよ」と正直にふざけた様に言ってみたりもした。
ファッションは人の性格を大きく左右するのは、自分も知っていたが、これ程に自分自身も影響を受けていたとは思わなかった。
完全に社交性を失っている事に気づくのに時間はかからなかった。
金髪で長髪というのは、完全に衣装だったわけで、それから解き放たれた自分はほぼ素の自分になった。
金髪をやめた事を補うために、アクセサリーを相当数着けている。
それが、どうにか自分を維持している。
服やアクセサリーなど、最近は出費が多いが、更に困った事に最近は外食が多い。
もしくは、コンビニなどで済ます事が多く、出費が更に増えている。
理由は自分に何かを食べさせるためだ。
彼女への気持ちに気づいてから、毎度の事なのだが食欲が殆ど無い。
毎日、ダイエットのために始めたお茶だけ飲んで、そのままの事が多い。
だからこそ、自分の体がおかしくなった時は、すぐに分かる。
明らかに疲れていて、体が満足に機能していないのが分かる。
完全にエネルギーが足りていないのだと思う。
このままだと、間違いなく倒れてしまう。そう確信できるほどで、自分が自分で可哀想で仕方ない。
だからこそ、食べ物に興味を持ったときに体の中に入れるしかない。
食べても気持ち悪くなったり、胃が完全に縮んでしまっている様で、すぐに苦しくなってしまう。
それでも、「自分に何かを食べさせないといけない」と、自分が言っている。
食べ終わると苦しくて、気持ち悪い。
昔の彼女は栄養士だった。
おかげで、食事に関して色々な事を学んできた中で、今でも自分が覚えている事がある。
「食欲は愛情を求めている象徴」という教師の言葉だ。
その頃、二人とも意味が分からなくて笑ったものだが、少し前から凄く納得できる。
自分はいてもたってもいられなくなると、何かを食べる。
まさに、この行動がそれなんだと思った。
しかし、今の自分は食べる事を拒んでいる。
自分の事なのだが推測するに、やけ食いで解消されるのは「寂しさ」「不安」「不満」などの解決方法が不明確なものに限るのではないかと思う。
今の自分の場合、愛情がほしいわけでも、寂しいわけでは全く無い。
そして、解決策が明確な事が原因なのだろうと思う。