2009.08/01 1744
昨日、遂に執筆を休んだ。
これを機に自分自身でも、この物語が来る8月28日まで「書かかずに終わるのではないか?」という予測をしたものの、実際にはこうして書くことができて良かったとも思う。
昨日は遂に身体的にダウンしてしまった。
食生活、睡眠時間、社内イベントなどから考えれば当然の結果だと思う。
久々に昼過ぎまでの睡眠で少し身体が楽になった。
7月31日には遂に彼女との約束を互いが態度で示す事になった。
7月30日には少し話をしてしまったし、煙草をあげて、帰りも駅まで一緒に帰った。
彼女は初日だし仕方ないと言ってくれた。
31日はどちらも終業時間が同じで、エレベーターを待つ自分の後ろに彼女はいた。
その様子から、自分は思わず「疲れてるの?それとも、何か怒っているの?」と聞いてしまったが、それこそ彼女の示した行動だったのだと思う。
彼女は「全然、そんな事ないよ」と教えてくれた。
そのまま、いつもの通り、互いが一緒にいなくても喫煙所に行くと、そばにいて話ができる状況でもあるにも関わらず、互いにただ煙草を吸うだけだった。
そして、先に吸い終えた彼女は、そっと「おつかれ」と一言言って自分の前を過ぎていく、自分もそっと「おつかれ」と言った。
自分の「おつかれ」には、様々な気持ちが込められていたのに対し、彼女の「おつかれ」からは、長年付き合ったカップルが別れ話の後に言う「さよなら」の様に聞こえた。
何かに呆れていた様な、「これで完全に終わりだ」と言う様な、吐き捨てた様な「おつかれ」だった。
この日、会社の付近では祭りがあり、それを上司の家族から聞いた。
上司もその奥様も自分の仕事に一目置いてくれていて、会った時にはその話をよくしてくれる。
有難い事だが、今の自分にはそれを今よりも良いものにする事はできないと思う。
逆に、彼女と共に居られる様になったなら、自分は今の仕事をより良いものにする事ができるのは間違いない。
話は戻って、上司の家族と元同僚と祭りの付近まで来たのだが、自分はそれ以上先に進む事はできなかった。
あまりにも祭りの堤燈が華やかで、その雰囲気に自分は完全に滅入らされた。
そして、その中で「彼女ならこういう状態を最高に楽しむのではないか?」と思った。
自分はそもそも、こういった催しものが好きではない。
雰囲気も好きではないが、人ごみがとにかく嫌いだ。
だが、彼女が喜ぶならその全てを楽しむ事ができるのだと思った。
祭りが賑わう中で、一人駅に進みながら、明日は横浜で花火大会がある事を考えた。
同僚達は、その花火大会の事でかなり盛り上がっている様子で、同僚の中でもその花火大会を切っ掛けに新しい恋愛のが始まる可能性がある話をしていた。
そういえば、少し前から突然、普段から普通に関わりのある同僚が自分に恋の相談をしてきた。
彼(同僚)と自分は、決して仲が良いわけではないが、互いに互いが似ている人間なのを互いが知っていた。
だからこそ、彼は自分に己の状態を相談したのだと思う。
そして、彼の彼女には鬱という自分と共通の病がある事も相談の理由だったのだと思う。
鬱は一般的には「心の病気」と言われている気もするが、医学的には「脳の病気」となるらしい。
人が何か考えた時に「まあ、いいか」と思うために脳に分泌される物の分泌量が一般人よりも少ない状態がこの鬱状態を生み出しているそうだ。
だからこそ、「まあ、いいか」の成分を直接体内に薬として取り込み、不足物を補う必要がある。
要するに、食生活が偏りがちな人間が、サプリメントを必要とするのと同じ事なのだが、今一つ鬱に関する理解は一般的ではないと思う。
鬱を知らない人間からすれば、「運動が足りないから」だとか何だとか、「健康であれば問題ない」様な事をよく言うが、毎日、カップラーメンしか食べれない様な仕事をしている人間が、毎日、適度に運動して、早寝早起をしたところで、体内にあらゆる栄養素が発生するわけではない。
それと同じ理論である事を、どうして理解できないのだろうか。
分泌できないものは分泌できない。
作れないものは作れない。
たったそれだけの事。
自身がどうにかできる問題ではないのに、それを責められるのは何とも辛い事の様に思う。
彼は彼女の鬱を責めてしまった。
彼女は怒ったという。
彼は、彼女から「治る様に頑張る」という言葉を聞きたかっただけだそうだ。
聞きたかっただけの気持ちも分かるが、この場合において、そして彼の場合に限って言えば、100%彼が悪い。
彼は内気で意気地がなくて、話が下手で、不器用だ。
彼の話方には、順序というものが無い。
自分も話をしていて、それに毎回イライラする。
彼にその事を何度も注意したが、彼の中では彼女と結婚するか否かの重要な問題だったせいもあって、一層頭を整理できない状態で「治す気があるのか?」と言ったそうだ。
正直なところ、その言葉で終わったのだと思う。
最近になって、この二人は完全に終わってしまったそうだ。
正確には彼が諦めてしまった。
自分は昔から、幸せになってみたいと思ってた。
しかし、気が付くと自分の幸せを考えるよりも、「自分による何かで他人が幸せになる事が嬉しい」と考える様になっていた。
彼もそうであるし、彼以外の同僚もそうだが、何かと業務時間中も喫煙所に呼び出されたり、誘われる事が多い。
自分を呼び出す人々は何かの不満を持っていて、それを自分に吐き出し、何か言ってほしいのだと思う。
だからこそ、自分はそれに答えているつもりだ。
そのせいもあって、業務時間内では忙しい時には仕事が全く進まず、会社に泊まる様な事も増えてしまう。
それでも、自分はそれを苦に考えても、どうしてもそれに応じてしまう。
彼の事も同様に、彼の本心と彼女の本心が分かったからこそ、一度彼女に彼の言えない本心を伝える機会を自分に託してみる様に促した。
彼はそれを選ばずに、彼の中で完結させてしまったが、何ともやるせない気持ちになる。
今の自分はきっと幸せにはなれない。
そんな気がする。28日にその宣告を受けると思っている。
しかし、彼と彼女は幸せになれる筈だったのに、そしてそこに自分がいたのに、それをする事ができなくて、5年間も想い続けた関係をどうして諦めたのか自分には理解できずに、彼に本気で怒った。
彼と彼女の間に自分の知らない何かがあったから、その結論に達したのだろうが、そんな自分で決められる事なら、最初から巻き込まないでほしかった。
「どうして、皆が皆、幸せになる事ができないのんだろうね」と、前に彼女が言った。
自分はそれに対して、「幸せの量は一定量だとよく言うよね。でも、だからこそ、自分は良いと思う。この世界の幸せの量が一定でなかったら、幸せを譲ることができないから。自分が不幸になる事で、相手を幸せにする事ができなくなってしまうから、幸せの量は一定でいいと思う」と返した。
別にかっこいい事を言いたかったわけではないが、この考えは現実世界の至るところで成立している様に思う。
サービス業や人に笑いなどを届ける職業などは全て、これに当てはまる気がする。
皆が皆、その対象となる人の笑顔などの為に、やりたくない事をやって、残業したり、睡眠時間を削ったり、お金を使ったりしている。
そんな様子こそ、誰にも分かってもらえる筈もないが、だからこそ、その人はその対象に何かを与える事ができるのだと思う。
自分の場合も同じで、自分はファンのためにかなりの時間とお金を費やしていた。
そして、それは今も大差はないが、自分はファンの心を満たしたいのだと思う。
自分には自分にしかできる事しかできない。
でも、その限られたできる事で、心が満たされる人がいるなら、自分はそれに対して努力する。
自分一人が頑張ればいいのなら、それで誰にも害を与えないなら、自分はその努力を惜しまない人間である様に思う。
きっと、自分の幸せは昔に使い切った気もする。
だからこそ、今は自分の幸せよりも、他人の笑顔を望む気がする。
時折、自室のワインディングマシーンが動くと、彼女がそれに興味を持って興奮してたのを思い出す。
自分の幸せは、今、ここにある。
たまに思う。
彼女は自身の心が、彼か自分かを選ぶ為に一ヶ月という時間を設けたのではなく、自分が一ヶ月間もの間、彼女との接点がなくなる事で、冷静になり、彼女への気持ちが冷める事を狙ったのではないかと。
彼女の心の中では、彼で決まっているが、それでもこんなにも自分に好意を持つ人間を即座に切り捨てる事に罪悪感があり、その為に自然とその気持ちが冷めれば、ダメージも少ないからこその一ヶ月なのではないかと思う。
彼女は自分。
自分は彼女だ。
自分が考える事は、彼女でも考えられる事、
だからこそ、そんな気がしてならない。
相手を大事に思うなら、相手のダメージを緩和したい。
だから、きっと自分でも同じ様にする気がしてならない。
もしも、そうなら、28日に彼女が彼を選ぶ事を自身に告げたなら、自分は彼女に「一ヶ月の間で、少し冷静になれた。おかげで自分の中でも整理ができてた」とでも言った方がいいのだろうと思う。
それが彼女の罪悪感を抱かせない言葉なのだろうから。