①
周囲の学生たちが受験戦争に勤しむ中、私は早々に脱落を決め、怠惰な日々を過ごしていた。
勉強なんてそこそこに、別に面白くもないテレビを見たりして過ごす。どうせ今更まじめに勉強はじめても大して結果なんて出ないというか、そもそも続かないと思うし。やればできるけど。そう、私やればできる子。なんて斜に構えてみたりして、言い訳ばかりの自分がちょっと嫌になる。
たまに、不安になる。女子高生であるのは、今だけ。いや、女子高生になること自体はできるのだけれど、この若くて瑞々しい身体は今だけの財産だ。歴史上の偉人や元素記号なんかをいくらでも簡単に暗記できる脳みそであったり、動けば動いたぶんだけ筋肉がついて、どこまでも走れそうな感覚になる身体だったりっていうのは、実感はないけど、今だけのものなのだろう。そんな若い青春時代を、こんなに無為に過ごすことは、私に期待をこめて真心いっぱいに育ててくれた両親に申し訳なくなる。
そんなことを考えていても、結局私はだめなやつで、自分を高めようなんて高尚な考えには至らない。天才たる私は、言い訳だけは得意だ。この今だけの時間を無駄に使う、なんて贅沢も、確かに今だけしかできないことなのである。
◆
大抵の学校っていうのは教室も廊下も騒がしいものだと思うけれど、私の学校は少し違っていた。もちろんおしゃべりをしている生徒たちも多いけれど、進学校だけあって「自分たちは上品な階級の人間だ」とでも思っているのか、声量は抑えられていて下品な笑い声なんてものは聞こえない。
そうだ、恋愛。風ではためくカーテンと、それを背景に笑顔で会話する男女を見て、ふと思い浮かんだ。いつからだったか、私のちっぽけな自尊心が、なんとなく男性に惹かれている私、なんて様子を気味悪がって避けてきたけれど、女子高生には欠かせないものではないのだろうか。
席につく。まじめ然としている、というか、無駄にプライドばかり高い私はせめてまじめな良い子ぶっていたいから、いちいち持ち帰っている教科書だの辞書だので重くなったかばんを床にたたきつけた。ちょっと乱暴だったかな。まあいいや。
教室の隅に位置しているせいで、窓からの風を受けて乱れた前髪をちょっと抑えながら、教室を見渡してみる。あんまり意識したことはないけれど、この教室にカップルとかいたりするのだろうか。そりゃあ、私も女友達とそんな話をすることがないわけではないけれど、高校に入ってからの知り合いとは恋バナなんてしたことなかったかもしれない。故に、教室で一緒になっている男女を見ても、カップルかどうかの判断ができない。私自身に経験があるわけでもないし。
「おはよう」
私に挨拶をしながら隣の席に座るのは、例の最右翼たる彼、橘秀一くんである。名前だけで優等生感が凄い。多分私の雨宮唯ってのも負けてないけど。
「おはよう。今日もあんまり寝てないの?」
「ああそうなんだよ、いや昨日はさー」
まあ話題をふったのは私なのだけれど、よくもまあ滔々と自慢話が出てくるものだな、と心の中で一笑する。橘くんは自分が大好きで、自分を誇っていて、正直うざいけれど、同時に少し羨ましい。私と似たタイプに感じるけど、私と違って、ちゃんと自分に誇れるものがあるから。
しかしこいつは、少しくらい私に気を使おうと思わないのだろうか。大抵の女子はお喋り好きで自分の話を聞いてもらいたい願望があって、聞き上手な男性はモテるなんて話があるけれど、その例でいうと橘くんはモテないだろうな。間違いなく。私なら嫌だ。別に喋りたい出来事があるわけではないけど、人の自慢話を延々聞くなんてなんか癪。
私が頭の中で止まらない悪態をついていると、授業開始のチャイムが鳴った。聞きたくもない私を延々聞かされていた私にとっては、まさに神の福音である。
授業は嫌いじゃない。この高校の進学先一覧を見れば私ももっと勉強に励むべきなのだけれど、授業のレベル自体には十分についていける。授業中は余計なことを考えるような余白がないので楽だ。まわりの人間がみんな同じことをするのだから、私だけが違うなんて思いようがない。
自覚はある。きっと私は寂しがりなんだろう。一人が怖くてまわりに同調して、でもプライドが高いから密かに友達を上から見ている。客観的になればなるほど嫌な女な私。ああだめだ、自己嫌悪がとまらない。そんな風に考えても、自己嫌悪がとまらない私を嫌になる。
◇
友達と喋ったり授業を受けている私と、こうして心の中で自分のプライドを褒貶する私とでは、別の人格があるのではないかと思うことがある。躁鬱というか、変にプライドばかり肥大化して俯瞰する癖がついているから、人をみては私のほうが優れているはずだと信じ切っていて、でもそんな自分が嫌で本当は大したことなんかない私を認めたくないだけで、なんてぐるぐる繰り返す私と、昨日見たテレビで、やれ誰が恰好良いだの誰の歌がうまいだのと談笑する私。キャラ違いすぎだし。自分でも、こんな頭の中がよく浮上してこないものだとたまに思う。
でも、最近はそんな闇の私が、実はまわりには筒抜けなのではと思う時がある。友達って存在は、一般的に、仲が良くてよく遊ぶ間柄の人を指すものだと思うのだけれど、私の場合そんな存在っていうのはほんとに一握りしかいなくて、クラスで顔をあわせれば挨拶するし話もするけれどって存在ばかり。彼氏もいなけりゃ友達もいないってか。こんな慇懃無礼を絵に描いたような私の本性を、まわりの人間は第六感か何かで感じ取っているのだろう。たぶん。そうでなければ、その猫を被った私とほかのみんなとで何が違うのかなんてわからないしとてもやっていけない。
「それはあんた、人間としての深みがないのよ」
好きなくせにプライドが邪魔しているのか全く美味しくなさそうにショートケーキを頬張りながら私に言うのは、唯一といっていい友達である美歩だ。同い年としては珍しい、目鼻立ちがはっきりしたつり目の美人系で、細身で足が長い彼女は、見た目通りあけすけにものをいう性格で敵も作りやすいのだけれど、私としては裏表がなくて非常に付き合いやすく、また、口こそ悪いが決して性格が悪いわけではなく、私と同じでプライドが高いわりに結構気やすい気性がなんとなく絡みやすくて、高校入った直後の体育の授業でペアを組んでから仲良くなった。
美歩は小さなファッション雑誌のモデルも経験していて同い年の私たちよりもいろんな人間をみてきたからか、優れた慧眼を持っている。それでいてはっきりものをいうけれど口は堅めなので、信頼できる相談相手の一人というわけだ。
今日は私から相談があると美歩を誘って、都心から少し離れた場所にある小さなカフェで顔を突き合わせて話をしている。私もやっぱり女なので、友達が少ないとはいえ、誰かに話を聞いてもらいたいこともある。というわけで彼女を呼び出し、プライドがどうとか、勉強がどうとかって話はせずに、友達が少ないーなんて泣きついて、ちょっと男勝りな一面もある美歩に慰めてもらおうとの魂胆だ。
ところが、計画はものの数分で頓挫した。人間としての深みがない、などと急にいわれてそうなのかもと納得できる私でもない。
「深みがないってちょっと辛辣すぎない? どういうこと?」
「あんた、本音で喋ってないからつまんないのよ。いつも同じテンションで人当たりよさげで、一見すごく友達が多そうなタイプだけど、でもつまらない人間。優しくて人当たりがいい人って、知ろうと思えないから」
そこまで早口で捲し立てられ、言われた言葉を咀嚼する。
やっぱり、ばれてたんだ。私が、光と闇の仮面を持っていること。どう言葉を返すものかと模索しているうちに、美歩はショートケーキのイチゴを食べてまた続ける。
「しかも、基本的に何に対しても受け身でしょ。あんたって人間が見えてこない。話してて楽しいとは思うんだけど、もう一歩を踏み出したくなるタイプじゃない」
まあ私は気楽だしいいたいこといえるから結構好きだけど、と付け加えて、美歩は喋りつかれた喉を労わるように紅茶を啜った。本当はお茶って喉にあんまり良くないんだけどね、なんてテレビで見たような雑学が頭に浮かんでは消える。
全部、見透かされてたんだ。自分を偽って無難な人間ぶって、本当の「わたし」を出さずにすごしていたこと。自覚はあったつもりでいたけど、外からいわれるときついものがある。
多分、私は自分を凄い人間だと思っているから、きっと外からの評価と実際の私のギャップとを知られて、私はダメな人間だとかって評価されたり、拒絶されるのを恐れていたんだ。だから、私らしさってものが完全に死んでいる、どこにでもいそうな私像を作って、それを演じていた。
そりゃあ、そんな人間面白くないよね。優しくて無難な人間はいくらでもいるけど、私の場合それが本音ってわけじゃないもの。まぎれもなく、私の一部ではあるはずだけれど。
口を噤んでいる私を見ながら、美歩は頬杖をつき、大きくため息。ジト目。
「まあ、それも唯だし。あんま気にしなくていいんじゃない?」
違う。今はそんな慰めの言葉がほしいんじゃない。
今まで見たことがないくらいの呆れ顔。それでも尚美人にうつる美歩はきっと顔だけで得してる。顔がよければ、私みたいな不安もなくなるのだろうか。
だって顔がいいって最上級の賛辞だ。性格が好きな相手はすごく居心地が良いけれど、それだけ相手の人間性に期待してしまうから、何か気に障ることをされると、途端に相手がだめ人間にみえてくる。けれど、顔が好きな相手なら、たぶんなんでも許される。そうして甘やかされてきたから、こんなにあけすけものをいえる性格になったのだろうか、美歩は。
「……うん、ありがとう」
精一杯絞り出した言葉は、まさしく絞り出したという表現がぴたりあてはまっていて、思ったより声がずいぶん小さくて驚いた。
あれ、私って、こんなに弱かったっけ。そのあともショッピングに出たりしたはずだけどその記憶はあんまりなくて、気づけば家の中で私は見覚えのない洋服のタグを切っていた。
夜が嫌いだ。夕食を食べたり、明日の学校の準備をしたり、お風呂に入ったりしてる時間は嫌いじゃないけれど、ベッドに入った瞬間から、また私の人格は切り替わる。
暗い夜には闇の私がお似合いなようで、後悔だったり不安だったりが滔々と流れだす。もっと勉強しとけばとか、もっと運動しとけばとか、これからどうなるんだろうとか、そんなくだらない悩みは朝を迎えるころには消えてどうでもよくなっているのだけれど、この時間だけはそれが凄く気になる。私を追い詰める。
この人生。私は健康だから、たぶん八十歳くらいまでは生きる。まだ人生の四分の一も生きちゃいない。それでもずいぶん大人になった気分だけど、まだ六十年以上人生は続く。
私は切符を買って電車に乗る。みんな乗っているから便乗しただけで、私はそこに行きたいわけではない。自分で選択した行先ではあるのだけれど、流されるまま電車に乗って、私の意思なんて知らずに、電車は進む。そのうちまわりの人間は目的地が近づいてきて、目が輝きはじめる。けれど、私はそんなところ、端から行く気なんてない。こんな電車乗らなきゃよかったなんて後悔しても、もう遅いんだ。私のためにとまってくれるような電車じゃないし、そこへたどり着いたとしても、私はまた流されるままに次の電車に乗る。それを繰り返して、いつか死ぬんだろう。
こういうのはキャラじゃないのでこっぱずかしくて酒とタバコがないととても書けません。
ウェブで連載するのって何文字くらいでやるのがベストなんでしょ…