1.ぼうけんが/はじまらない
「やあ、こんにちは。
きみたち、小学生だよね?
少し、時間いいかな? お願いがあるんだけど」
学校帰りの時間を見計らって、辰郎は小学生の三人組に声をかけた。
三人の男子は辰郎を見て、お互いに顔を見合わせた。
同時にランドセルを背中から下ろし、同時に中から一枚の書面を取り出す。
書かれた内容を確認し、また辰郎を見る。三人ともの視線が痛い。
「え~っと……何かな、それ?」
辰郎の質問に、ひとりが答える。
「学校で渡されたプリントです。親に見せろと」
丈も幅も、三人の中で一番大きかった。ふくよかな体格だが、表情は年齢をおいてけぼりにするような精悍さだ。眼鏡が、表情の厳格さをさらに際立たせる。
「不審者の情報です。最近、学校の近くで児童に声をかける姿が目撃されています。
男。背丈は一七〇センチ程。年齢は三〇前後。
白衣を着用。手にスマホを持ち、頼みたいことがあると言って近づいてくるそうです」
辰郎は、自分が右手に握っているものを見た。
──うん、スマホに見えなくもない。むしろそう見えるように外見を整えたのだ。
「じゃなくて!!!!
不審者?! ぼく不審者?!?!
プリントになっちゃってるの? すでに警察沙汰ですか?!?!」
眼鏡の少年に、別のひとりが声をかける。
「すげーや。おれ、ヘンタイって初めて見る。
公道のまんなかで白衣姿だぜ、ぜったい中は全裸だよな」
「三人バラバラで逃げよう。ぼく、先生呼んでくる」
最後のひとりまで参戦し、辰郎は精神的に追い詰められる。
「ちょっと待ってちょっと待って!! 決して怪しい者ではありません!
ぼくはプログラマーって言うかエンジニアって言うか、とにかくいろいろと研究してる人で! いまも本業の合間に試験運用者になってくれる子を探しにきてるだけで!
急いでいたから白衣のままなんです、すぐに戻って仕事再開するしね!
ちゃんと服着てるよ、見てくれよほら──」
「やべーぞ、ヘンタイが攻撃態勢に入った!
総員応戦準備、何かそのへんのもの拾え!
前開いたら投げるんだぞ、股間狙え股間!!」
「やめてやめて! 危ないって!
当たったらどうするの、石とか空き缶とか──
ガラス?!?! 割れたガラス?!?!
やめなさい、手が切れちゃうよ、投げたら刺さるよ、ぼくどうなっちゃうの!!!!」
辰郎は両手を挙げ、膝をついた。
銃を手放すように右手のものを路面に置き、そのまま三人に背を向けて腹這いになる。
ごめんなさいごめんなさい、ぼくは悪くないよ、でもごめんなさい。
辰郎の嘆きを聞き流しながら、眼鏡の少年は戦友のふたりに尋ねる。
「──彼はホールドアップに応じた。この後どうする?」
「気を抜くな。攻撃態勢は維持しろ。
何してくるかわかんねーぞ、だってヘンタイだもの」
「周りの人たち、みんな逃げちゃったね。通報してくれてるといいけど」
手を頭の後ろに組み、地面に腹這いになっている辰郎には、周囲の様子を確認することなどできなかった。
ただ、確かに周りに人の気配がない。後ろで凶器を構える怪獣たちを除いては。
本当に通報されていたとすると、いまにも警官が飛んでくるかもしれない。
辰郎は説得を試みる。
「誤解なんだ。ぼくは何もしないし、服も着ている。
ぼくは、それを使ってくれる子を探していただけなんだ」
背後で気配が動いた。地面の上から、何かを拾い上げている。
「スマホじゃんか。でも、変な作り。
何で画面が上下に分割されてんの?」
「上下じゃないんだ。左右だよ」
「ふーん。変なの。横に長いスマホなんてあるんだ」
「スマホじゃないよ。ぼくはね、まったく新しいタイプのゲーム機を開発していて──」
背中に怪獣が飛び乗ってきて、辰郎はカエルの鳴き声を模写することになった。
「マジ?! ゲームできんの、これ?! やりたいやりたい!!」
「試験運用者──探してるから、願ってもない──けどガラス! ガラスどうにかして!!」
頭の皮を剥ぐ態勢だったガラスの破片が、どこかへ消え失せる。
間接の向きなどおかまいなしに、辰郎は引き起こされた。
地面に座り込み、改めて三匹の怪獣と対面する。
一番近くにいる少年の手には、辰郎が持っていたスマホもどきがあった。一番小柄だが、やんちゃではしっこそうだ。『ヘンタイ』を連呼していた豪傑でもある。
眼鏡の少年は、相変わらず辰郎をじっと見ている。疑っているかどうかはわからないが、警戒を解く素振りは微塵もない。
その隣に、三人目の少年がいる。優等生タイプで、三人の中では最も大人を尊重してくれそうだった。しかし、今は状況が状況だ。彼の不信を覆すのは、容易ではないだろう。
『ヘンタイ』呼ばわりの少年に狙いを定めて一点突破するしかないと、辰郎は覚悟を決める。
「ねえねえ、これどーすんの? ボタン一個しかないけど、これ電源だよね?
押す? 押していい?」
『ヘンタイ』呼ばわりが、慣れ慣れしく声をかけてくる。
「とりあえず、先に名乗っておくよ。
峰頼辰郎といいます。研究者で、開発者で、たぶんこのまま販促までやっちゃうことになるんだろうけど、とにかくゲーム作ってる人です。
で、いまはできあがったゲームの動作確認というか、問題がないことを確かめる段階にきているんだ。
大人相手の運用試験では、重大な問題は一切検出されなかった。それを踏まえて、全年齢での運用が可能という予測を元に、年少者を対象とした運用試験が開始されている。
大々的に公募することができなくて、なかなか人が集まらないんだ。それで直接、こうやって希望者を募りにきているんだけど──」
「押したよ! 動作確認! 動いてる動いてる!
どーすんの、ねえ、この後どーすんの?!」
「通知表に『落ち着きがない』って書かれるタイプだ、きみは」
「気にすんなよ! ワクワクが止まんないのにじっとしてらんねーって!
ダメか? 手順大事?
じゃあおれも名前言うよ、高井賢人、小学四年生。
はい、自己紹介済んだ、さあ次だ、ゲーム開始!!」
「えーと、高井くん。落ち着け。
一応、説明聞いてからにしない?
ぼくの開発した自慢のシステムだし、テストも重ねて自信もてんこ盛りだけれど、かなり奇抜なシステム構成になってるんだ。
これまでの『ゲーム』の概念からかなり逸脱しているから、前情報なしにいきなり始めちゃうとドン引かれちゃう可能性もあって──」
「大丈夫! おれ、ゲームなら何でも大好きだから!
どんなクソゲーでも必ずエンドロールまで見るのがおれのジャスティスさ! エンドロール省略するやつは人間じゃねえ!!」
「説明させろ。ぼくの営業トーク向上のために協力する」
初めて見せた辰郎の気迫に、賢人は黙り込む。
「最大の特徴は、テレビやモニターとかの外部出力機器を必要としないことなんだ。
専用のデバイスを使用して、プレイヤーの脳内に直接感覚情報をアウトプットする。
VRとか目じゃないよ、起きながら夢を見ているような状態さ。しかもその夢はすべての感覚に繋がり、かつ鮮明で、現実との並列処理が可能なんだ。
つまり、例えばぼくらは今こうやって話をしているんだけど、その現実に対処しつつ、頭の中ではゲームを楽しむことができるんだ。現実との同時進行が可能なゲームシステム──これが最大のセールスポイントだよ」
ピンときていないような賢人の代わりに、眼鏡の少年が感心顔で頷く。
「時間の制約がない娯楽、ということになりますね。
これまでは余暇がなければできなかったことを、いつでも実行できることになる。
あなたの説明が真実ならば、ですが」
「真実かどうか、確認する手段はあるよ」
犬から枝を取り返そうと四苦八苦する飼い主のように、辰郎は賢人とスマホもどきを奪い合っている。
「おれが試す! おれが試す!
すげーじゃん、ゲームしながらあれもこれもできんの?!
宿題しながらゲームしたり、テレビ見ながらゲームしたり、風呂入りながらゲームしたり、布団被ってゲームしたり──」
「さすがに眠りながらは無理」
「どーやんの、ねえ、どーやんの?!
やりたいやりたいやりたいやりたい!!!!」
「たぶん、『親の顔が見たい』って、こういうときに使う言葉だ」
「見せてもいいよ、今から呼ぶ?
とにかくゲーム! ゲームしよう!!」
「わかった、大丈夫、もともとそれ目当てに頼める子を探しにきてたんだから、ぼくとしても助かるんだ。
でも、さっきまでのドタバタで、警察の人が来ちゃう可能性があって、あまり時間が──」
「事情説明に協力します。ご心配なく」
眼鏡の少年が、貫禄たっぷりに言い切る。
「ありがとう。本当にありがとう。
きみにそう言ってもらえると安心する。初対面なのに変なこと言ってると思うけど、何というか、きみには人を落ち着かせる力が──」
「賢人には効きません。申し訳ありません」
ゲーム、ゲームと連呼しながら、賢人は辰郎の背後で反復横跳びを続けていた。辰郎は仄かな殺意を自覚する。
「いや──うん、大丈夫。子供は元気が一番だし。
えーと、きみは──」
「長谷厳真と言います」
「ぼくは、小丸山広宣です」
眼鏡の少年に続いて、優等生も自己紹介を行う。
不審者として警察に連行される事態は避けられそうで、辰郎は胸を撫で下ろした。
「で、こっちの子が太平喜史」
何を言われているのかわからなかった。
広宣が、誰かを紹介するように右手を広げている。
その場所に、広宣の右側に、四人目の少年がいた。
ひょろりと背が高く、丸顔で、細目。ぼんやりと笑っている。目が合っているのに、心が通っている気がしない。
「……え~っと……ごめんなさい。
慌ててたからかな、後から来たのに気がつかなかった。その子もきみたちの友達なんだよね?」
広宣は辰郎を見て、喜史を見た。
不思議そうに、また辰郎に視線を戻す。
「最初からいましたよ、喜史。四人で歩いてるところに、おじさんが声をかけてきて」
辰郎は喜史を見直す。
ぼんやりとした笑顔に、一切の変化がない。その笑顔に吸い込まれる。いや、呑み込まれていく気がする。
何か不穏なものを感じ、辰郎は自分が気づけなかった理由を考えないことにした。
「と──とにかく、百聞は一見に如かずだ。
実際にやってみよう。
高井くん、頼める──」
「おっしゃぁぁぁぁっっつ、こいこいこいこい!
やってやるぜ、どーすんの?」
「……それ、もう起動してるから、眼鏡みたいに顔の前に持っていって。顔から二〇センチ以内の位置で固定する。もちろん、画面は顔の方に向ける。
しばらくそのままにしてると、機械の方で眼球の位置を確認してアナウンスが出るよ。
とりあえず、座っていた方が安心かな」
言われた通りにすると、小さなアラームが三回鳴った。
スマホもどきから機械音声が流れる。
『セッティング準備を確認しました。
このままの姿勢を維持してください。
デバイスを着用しないなら、一〇秒以内に機械から視線を外してください』
スマホもどきが、カウントを取るような電子音を刻む。
ピッ──ピッ──ピッ──ポーン!
『ポーン!』のところで、何か空気で膨らんだものが一気に潰れるような音がした。
まるで弾丸に撃ち抜かれたように賢人の頭が仰け反り、スマホもどきを構えたまま、座った姿勢のままで仰向けにひっくり返る。
辰郎は淡々と説明を続ける。
「デバイスの中継ユニットが前葉頭に撃ち込まれました。これは有機素材でできたミクロンサイズの針で、三週間ほどで人体に同化・吸収されてしまいます。
個人差もありますが、概ね二週間くらいは中継ユニットとしての機能を維持します。
もちろん、これまでの運用試験で健康被害の情報はなく、安全・衛生面での配慮は充分と考えます」
賢人は跳ね起き、講義口調で説明を並べ立てる辰郎の胸倉を摑んだ。
「殺す気かーーーーっっっっっつ!!!!」
「いま説明したよね? 何の心配もいらないよ」
ちょっとだけ幸せそうに辰郎は微笑み、賢人を宥める。
「撃たれたよ?! おれ撃たれたよ!!
何か頭に当たった!! ビシッて!!
血ィ出てない? 首から上無くなるかと思ったって!!」
「大げさすぎる。指で突かれた程度の衝撃もないはずだよ。
びっくりするのは認める、説明を省いた甲斐があったね」
びっくりしている他の三人を──少なくとも二人はびっくりしていて一人は笑顔のままでノーリアクションだ──見て、辰郎は説明を続ける。
「これで、ゲームを始める準備が整ったんだ。本来はプレイヤー本人の認証とか、まだいろいろ手間がかかるんだけど、いま使ってるのはデモンストレーション用の機材だからね。そのままゲームを始められるようになってる。
──どうかな、高井くん」
さっきまで金切り声を上げていた賢人が、辰郎に親指を立てて見せる。満面の笑み。
「おれ、一生ここに住む」
「一応、ゲーム依存症の対策も万全を期してあるから、いわゆるゲーム廃人になることはないよ。システム上、実生活を犠牲にしてゲームにつぎ込むこともできないし。
娯楽として、かなり健全なものになってる」
厳真の視線には、警戒だけでなく敬意に近いものが混じるようになっていた。
「話を聞く限りでは、すごく良さそうです」
「うん。ぼくもそう思う。アイデア段階では雲を摑むような話だったけれど、こうして形になってゲームとして動いてるところを見ると感無量だよ」
「外からでは、賢人の頭の中がどうなっているかがまるでわからないのが残念ですが」
「きみも試してみるかい? デモ機はこれひとつだけれど、車に戻れば試験用に配布しようと思ってるのが何個かあるんだ」
「お願いします」
あっさりと辰郎の話に乗る厳真を見て、広宣は心細げに確認する。
「ねえ、大丈夫?
頭に針とか入れちゃうって、怖くない?」
「怖さはあるけれど、興味の方が強いんだ。
ぼくもゲームは好きだ。親にはゲームの時間を制限されているから、どれだけ遊んでも普段の生活に影響が出ないというのは嬉しい。
ぜひ試してみたい」
「ゲンさんでもそう思うんだ。
ごめん、ぼくもストッパーになれない。
話聞いてるだけでもすごいもんね、そのまんまSFだよ」
「約束する。これは、SF以上だよ」
得意満面で、辰郎は営業トークを炸裂させる。
広宣は素直な笑顔で辰郎に頭を下げる。
「ぼくもお願いします。
運用試験、一生懸命がんばります」
たっぷり固まった後、辰郎は顔を背け、口元を押さえる。
「──いや、違う、泣いてない。泣いてないよ、うん。
もっと早くにきみと出会いたかった。
まさに日本晴れだよ、きのうまでの暗黒は何だったんだ? もの投げられたりブザー鳴らされたり逃げられたり痴漢呼ばわりに変態呼ばわり、通報すると脅されたり。
小学生死に絶えろとか思っちゃったよ、酒の量まで増えちゃって。
了解だ、小丸山くんに長谷くん。高井くんのもデモ機から試験用のものに切り替えよう、三人ともモニター登録をして──」
そこまで話して、自分の隣に喜史がいることに気づいた。
近い。
笑顔が、近い。
懸命の努力で、辰郎は喜史と顔を合わせる。
「太平くん、だったよね?
……ひょっとして、きみも?」
決して崩れない笑顔が、ゆっくりと頷く。
喜史が初めてみせた反応だったが、辰郎には意思表示というより化学変化に近いと思えてしまう。
「よ──よし。OK。
じゃあ、ちょっと待ってて。四人分の機械を取ってくるから──」
「あと二人、追加することはできますか?」
厳真の言葉を聞き、指差す方向を見る。
辰郎は、電柱と対面することになった。その陰に、小柄な人影がふたつ。
どちらもランドセルを背負った女の子だ。
「バッ──バカ! ゲンさん何バラしてんの?!
マユ、急いで! 先生か警察の人!」
勝気そうな子が、おとなしそうな子を指図している。
「大丈夫だ。末吉さん石川さん、ふたりともこっちに来てくれ。この人の説明を聞いて欲しい」
厳真に促されて、ふたりは渋々電柱(=シェルター)から離れた。
両者の間に立ち、厳真はそれぞれを紹介する。
「こちらは末吉春花さん。
そして、石川麻由里さん。
ふたりとも、ぼくのクラスメイトです。
この人は峰頼辰郎さん。
開発中のゲーム機を、お試しで使ってもらおうとしている。対象は小学生らしい。
話をする限り、怪しい人ではない──見た目はともかく」
勝気な方──春花が、金切り声を上げる。
「怪しいって! 人間は見た目がすべて!
プリント見てないの?! 特徴全部当てはまってるよ、この人! ジャストイン変質者!!
往来に立つ白衣の成年男性! 怪しい笑顔で小学生に声をかけまくる!
時代が時代だったら悪即斬だよ、この人!!」
厳真は頷く。
「ぼくも警官だったら発砲を躊躇わないとは思うが、とにかく落ち着いてくれ。
この人は、ゲームの開発者なんだ。新機軸の機械で、だからゲームソフトも一緒に作ってるみたいだ。
この人のゲームは、画面を見る必要がないんだ。
頭の中に、直接ゲーム画面が投影される。脳波を拾ってゲームを操作するから、両手も完全にフリーだ。
インプット・アウトプットすべてがプレイヤーの脳内で完結するから、プレイヤーはゲームをしながら普通の生活も問題なくできるんだ。
すでに賢人が試していて、見た目には問題なさそうだ。
ぼくもいまから試す。
末吉さんも石川さんも、ぼくらと一緒にこのゲームの試験運用者をやってみないか?
細かい説明は峰頼さんから聞いてくれ」
全員の視線が集まり、辰郎は厳かに頷く。
「うん、もう説明することないね。
ありがとう、長谷くん。きみの説明、今度から営業で使わせてもらっていいかい?」
春花は辰郎を見て、厳真に向き直る。
「──頼りなさそうだよ、この人。
わたし、ゲームのこととか良くわからないんだけど。
テストって、小学生限定でやらなきゃならないの?」
「大人のテストは、もう実施済みで結果に問題はないそうだ。
だから子供でも大丈夫だろうという予測が立っていて、それを確認するためのテストになる。
協力して欲しいんだ」
厳真は辰郎に進言する。
「二人を仲間にしましょう。
通報を断念させるためにも、二人の取り込みは必須です」
春花が悲鳴を上げる。
「悪?! 悪の組織?!?!
ゲンさんが暗黒面に堕ちた!!!!」
「落ち着こう、ハルちゃん。
長谷くんって、普段から割とこんな感じだよ?」
おとなしい方の女の子が──麻由里が春花の袖を引いてたしなめる。
麻由里が、辰郎に向かってお辞儀をする。
「石川麻由里です。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします。
──つまり、試験運用者になってくれるんだね?」
「はい。
ハルちゃんは、どうする? たぶんわたしのこと心配して、一緒にきてくれるとは思ってるけど」
「……ときどき図太いよね、マユって」
「ううん。わたしも割と普段からこんな感じ」
にっこりと、麻由里は春花に笑いかける。
春花はぐるりを見渡す。
「みんな、もうその気になってるんだ。ノリが軽いんだから。
──で? 最初のモルモットはやっぱりこいつだって?」
春花の冷たい視線に、賢人は親指を立てて見せる。
「おうよ。だっておれ、勇者だし」
「バカケント。そのうち拾い食いでお腹こわすよ」
「ふっ、甘い! おれがいつもいつも腹を下すと思っているのか!!」
「すでにやってる言い方じゃん、それ!!
信じらんない!!」
辰郎が、恐る恐る声をかける。
「えーと、末吉、さん?
無理に頼み込むつもりはないんだ、そこは誤解しないで欲しい。
ただ、ぼくは、ぼくの作ったゲームを多くの人に楽しんでもらいたいんだ。快適にプレイできるように、想定外の問題がないかをテストプレイで検証したい。
テストプレイを、手伝ってくれる人を探しているんだ。必要な資格はただひとつ、『ゲームを楽しめる人』、だよ。
だから、無理強いでは意味がないんだ。ゲームを楽しもうとして、その過程で感じた不都合や違和感を教えて欲しいんだ。
最初からゲームに抵抗がある人を除いておくつもりじゃないよ。ただ、テストプレイとはいえ、楽しんで欲しいんだ。ボランティアなのに、苦痛を感じながら頑張って欲しくない。そんなことのために、ぼくはこのゲームを作ったわけじゃないんだ」
賢人は春花に肉薄し、何度も辰郎を指差す。
「聞いたか、スエキチ!
タツローはゲーム開発者のカガミだ!!
おれは感動した!
おれはタツローのために戦う!
てゆーかもう戦ってる!
このドラゴンみたいな敵、すげー強いんだけど、序盤でこんなの出てくんの?」
「いや、それはデモ機だから、見栄えのいい戦闘シーンを集めてあってだね」
十年来の親友のように辰郎に接する賢人を、春花はどこまでも冷たい視線で見ている。
「ほんと、こいつの頭の中、見てみたいわ。
──で、見れるんですよね? 峰頼さん?のゲームをすれば」
急に話を振られて、辰郎はたじろぐ。
「ああ──うん、そうだよ。
同じゲームをしているプレイヤー同士は、ネットワークで繋がる。高井くんが見ているものを、きみはきみの視点で見ることになるよ」
「わたしもテストプレイに参加します。
ゲームとか、正直あんまりしたことないんですが、よろしくお願いします」
「大歓迎だよ。ゲーム慣れしている人が問題なく通過するところでも、初心者は躓くことがある。
改善点がわかれば、ゲームの質の向上に繋がる。
きみのように意欲的な初心者にこそ、テストプレイをお願いしたいんだ」
賢人はガッツポーズをし、踊り、いつまでも回り続ける。
「よっしゃぁぁぁあ!! 六人もいれば、ちゃんとしたパーティーが組めるぜ!
おれたちはチームだ! 一緒にがんばろうぜ!!」
春花が眉をひそめる。
「パーティー?」
「助け合い、一緒にゲームを進める単位のことだ。
後で賢人が言い直しただろう? ぼくたちは、チームになる。
──つまり、いま賢人がやってるのは、オンラインのRPGなのか?」
厳真の問いかけに、賢人は両手の親指を立てる。
「見事な推理だ、ゲンさん!
おれ、さっきから四回くらい焼き殺されてる!
早く合流してくれ、おれはおれの仇を取るぜ!」
辰郎は、子供たち全員を見回す。
「きみたちは、全員が友だち──というか、同じ学校なのかい? 高井くんは四年生だったね。長谷くんは上級生?」
「いえ。全員四年生で、同じクラスです」
厳真の返事に、辰郎は目を丸くする。
「いや──だって、長谷くんは『ゲンさん』って呼ばれて──」
「愛称です。『さん』まで含めて愛称です。
ぼくは子供らしさに欠けるので、からかいの気持ちも込みでそんな風に呼ばれるのです。
『部長』と呼ばれることもあります。クラブの部長ではありません。課長、部長の『部長』です」
必死でフォローの言葉を探す辰郎に、気にした風もなく厳真は促す。
「車は近くですか? 皆で移動しましょう。
峰頼さんが戻るのを待つより、時間が節約できます」
全員がデバイスを『着用』するのを待って──待っているという有様ではなかったが──賢人は勢い込んで尋ねる。
「な?! すげーだろ? ほんとすげーよな!!
おれ感動しちゃったよ、一生分くらい! 千年分くらい!!」
「一〇世紀生きるつもりか、きみは」
厳真は賢人をたしなめる。
「まだ──ちょっと良くわからないよ。少し時間かかるんじゃ?」
広宣は律儀に現状報告。
「やっぱ大げさじゃん、ケントの言うことって。
全然痛くないよ、これくらいで大騒ぎしてたの?」
額をさすりながら、春花が賢人を小馬鹿にする。
「針が飛んでくるとか、おれは聞いてなかったの!
いきなり頭にビシッてきて首がガクッてなって地面にゴロッて転がって──」
「口が利けなくなるくらいのダメージで良かったかも。ケント限定で」
喋り方にイライラするらしく、春花は眉を吊り上げる。
「これ、後はどうすればいいんですか? ゲームを始めるには──」
辰郎に尋ねようとして、言葉が途切れる。
自分の周りが真っ白であることに、春花は気づいた。
いや、微かにクリームがかっている。
象牙色の床が、壁が、天井が、どこまでも遠くに見える。
巨大な立方体の空間に、春花はいた。宙に浮いている。重力を感じているのに足に地面の感触はなく、それでいて落下の気配もない。
その状況より先に春花を驚かせたのは、賢人の絶叫だった。
「どこ?!?! ここどこ?!?!
戦闘どうなった、もうちょっとだったのに!!!!」
「もうちょっとで勝てそうだったのか?」
「ううん。敵にキルマーク一〇個目献上するところ」
厳真の問いかけに、素に戻った調子で賢人が告げる。
辰郎が苦笑して話しかけてくる。
「高井くん、試験機との接続切り替えが完了したよ。
これで、正規のサービスが受けられるようになった。
デモ機は回収するね」
賢人たちのやりとりを聞きながらも、春花は自分の驚きに気を取られていた。
そして、驚いているのが『いまここにいる自分』だけだということも自覚する。
もう一人の自分がいる。デバイスを手にして、ゲームのことをあれこれ尋ねている。
平然と元の路上にいる自分。
どこか異世界で宙に浮いている自分。
どちらの『自分』も春花は認識していて、しかもそれぞれの状況を混同せずに個別に対処している。
それぞれの『自分』が、それぞれの『現実』に向き合い、適切に応えているのだ。
そうだ、これは現実だ。現実にしか、思えない。
どうしようもない現実感を持ちながら、それでいて作り物であることを、春花は知っていた。
これが、ゲームの世界。
畏怖さえ混じるこの感動を共有したい。
春花は叫びたい気持ちで友人たちの姿を探し──声を失う。
「ゲーム!! ゲームゲームゲームゲーム!!!!
何でいまできないの?!?!」
「どうやらロビー的な場所のようだ。いろいろとインフォメーションが引き出せる。すごいな」
「殺風景だね。もう少し、新規プレイヤーを歓迎する仕掛けがあってもいいのに」
「まだ課金サービスが始まってないんでしょう? 仕方がないよ」
賢人が、厳真が、広宣が、麻由里が、淡々と現状を受け入れている。喜史が、『わたしは鳥』的な動きでそこらを優雅に飛び回っている。
「感動がない!!!! どうゆうこと?!?!
あんたたち本当に小学生?!
中身だけ別の誰かに入れ替わってるんじゃないでしょうね!!」
春花の金切り声に、厳真たちは顔を見合わせた。
全員が、胸を張る賢人を指差す。
「これが別人に見えるのか?」
厳真の言葉に、賢人の表情に、春花はたっぷりと固まった後、大きく長く息を吐く。
麻由里が、気遣わしげに声をかけてくる。
「これからゲームだって、もう頭が切り替わっていたから。
感動はあるよ、もちろん。凄いと思ってる。
でも、驚きよりも期待がずっとずっと先行しちゃってて」
疲れた様子で、春花は友人を眺める。
「……マユって、ゲームやる人だったんだ。
普段、そんなこと話したりしなかったよね?」
「お兄ちゃんと取り合いでやってるよ。
でも、ハルちゃんは興味なさそうだったし、わたしひとりだけ盛り上がるのも寂しいし。
──怒ってる?」
「ううん。
初心者に、心強いベテランのパートナーがいるってことだもんね。
嬉しいくらい」
二人は両の手の平を合わせて飛び跳ねる。
一段落した女子組に目もくれず、賢人は辰郎に食って掛かる。
「なあ、ゲーム!!!! どうしてできないの!
さっきはすぐにプレイ画面が始まって、オレツエーヒャッハー!な感じだったのに」
辰郎は困り顔で賢人をなだめにかかる。
「デモ用に作ったお試しプログラムだったからね。
いまは、正規の開始手続きが進行中なんだ。プレイヤー個人の登録や認証データの作成、あとスキャンできる範囲での健康状態を確認したりとか、とにかく決め事をひとつひとつチェックしている段階なんだよ。
少し時間がかかる。問題がなければ、三時間もあれば終わると思うよ」
「三時間?!?! いまから三時間?!?!
おれ死んだ!!!!」
賢人は絶叫し、大の字に転がる。
「プレイヤブルな環境でのゲーム体験はできないけど、ムービーとして『体感』できるプログラムはあるよ。
さっき高井くんがやってたのは、視覚と聴覚に限定したものだったけど、これはすべての感覚がリンクしたものになる。
自分でキャラクターを動かせないから、テレビの旅番組とかコマーシャルを見てる感じになっちゃうけど、やってみるかい?」
辰郎の提案に、厳真が頷く。
「全員、お願いします」
辰郎が笑い──その笑顔が──姿が、消えていく。
気がつくと、高台にいた。
丘──いや、崖の上だ。
見下ろす大地が、すべて深い緑に覆われている。
人の営みに割れるところのない、未開の地平だった。
すべての色を塗り替えるように、夜明けが始まる。
太陽が、太陽だけではなかった。
陽の光が、ふたつ。連星の日が昇る。
朝の輝きが、肌を温く焼いていく。太古の木々を渡る、風の匂い。
いきなり、馬の背に跨っていた。馬の全速力に、体が、視界が跳ねる。
森の中だった。まばらな木立を縫いながら、騎手が──自分が──巧みに手綱を操る。
横目に、追いすがる異形を睨む。
緑の陰から、巨体が凶暴に躍り出てくる。
大型の、猿。だが、首が蜥蜴のようだ。
艶を打つ灰色の毛並みが、血走る獰猛な目が、肉薄する。吐きつける息が、目を焼くように生臭い。
剣を抜き放った。鋼を振り切る重さが、敵意ある命に撃ち込む高揚が、心臓に響く。
薄暗さに目が慣れるのに、しばらくかかった。
笑いさざめく人の声。
飲食を提供する、店の中のようだった。
席に着き、目の前の皿を平らげている。好物の味が、舌に、喉に馴染む。
差し出された杯に、自分のを打ち合わせる。
仲間の笑顔に、空の杯に、心が満ちる。
空を飛んでいた。
鞍を置いているのは、馬ではない。
飛竜の首が、目の前に太く、長く伸びている。
見下ろすと、雲の下に森を蛇行する川が見える。
川面に敷かれたような軍船の群れが、どこまでも小さい。
叩きつけるような風が、体を持っていこうとする。
手綱に、鞍を締める両脚に、力を込める。
飛竜が、鉄を掻き毟るような声を上げる。
耳障りとは思わなかった。主を──自分を案じる声だ。
鞍の前に手を置き、飛竜の背中を撫でる。体温を返さない硬い鱗だが、冷たくはない。命を、感じる。
飛竜は、翼を空へと叩きつけた。さらに大きく、力強く。
地上が、霞むように遠ざかっていく……。
しばらく、誰も動かなかった。
やがてお互いに顔を見合わせ──歓声が上がる。
「すっげー!! これすっげー!!
手触り! ヤベーって! コントローラ震えるどころじゃねーよ、ドラゴン触っちゃったよおれ!!」
「ほんと凄かった! 風とか味とか、どうなってるんですか、これ!」
「味は、ちょっとなあ。
見た目はビーフストロガノフって感じだったけど、プリンだよ、味。どの具を口に入れてもプリン。
プリン好きだけど」
「好みで違う味が再現されてるんだね。
ぼくは、カレーだった。あんまり違和感なくて助かったよ」
賢人、麻由里、春花、広宣が口々に感想を述べ合う。
厳真が辰郎に近づき、頭を下げる。
「びっくりしました。感動しました。
あと、あのビジュアルで鯖の煮付けはないと思います」
「ごめんごめん、あれはちょっとした洒落っ気でね。
本サービスでは、好きなものの中からもっともビジュアルに合ったものを選択するようになってるから」
「ぼくは高いところが苦手なのですが、あまり恐怖を感じませんでした。
リアルな作りで、現実ではないから怖くなかったというのではないと思うのです。
ゲームの機能で、何か補正が入っているのですか?」
「うん、その通り。身体感覚のいくつかを鈍らせたりして、恐怖を抑制するようになってるんだ。
リアルなモンスターを出すのはいいんだけど、怖くて戦えないんじゃゲームが成立しないだろう?」
二人の話に、賢人が強引に割り込んでくる。
「平気だぞ、おれ! ゲームってわかってれば、ゾンビだって素手で殴れる!!」
「うん、その感覚で敵に突っ込んでいくと死んじゃうから。気をつけようね」
賢人を適当にあしらい、辰郎は全員に向き直る。
両手を広げ、得意満面で高らかに告げる。
「これが、ぼくの作ったゲームだ。
白昼夢を体感し、しかも共有できる。
こう名付けようと思っている。
ディ・ドリーム・キャスト(仮)と!!」
広宣は厳真と顔を見合わせる。
「……古いゲーム機で、似たような名前のなかった?」
「ある。ほぼ一字違い。商標とか、大丈夫なんだろうか」
辰郎は抗議の声を上げる。
「(仮)ってついてるだろ、(仮)って!!
実際に命名するときに問題あるようなら考えるよ、涙を呑んで別案を検討する。
本当のところ、このゲームはセ○さんから出してもらいたかった! ぼくは、セ○さんにゲームの素晴らしさを教えてもらったんだ!
あのゲーム機だって素晴らしかった! 競合機に負けたのが無念でならない!
だが、当時のぼくは子供で経済的にも無力だった。
湯○専務、ごめんなさい! 不甲斐ないぼくを許して!」
広宣は、また厳真と顔を合わせる。
「──誰? ナントカ専務って」
「気にしなくていい。昔話だ。天国に近い縁側で、エンドレスに繰り返される類の」
厳真は辰郎に尋ねた。
「峰頼さん、質問が。
このゲーム機では──DDCと呼んでいいですか?──どんなゲームができるんですか? オンラインのRPGができるのはわかっていますが、他にもラインナップが?」
賢人が得意げに割り込む。
「おれに聞けよ。確認済みだぜ。
定番のボードゲームとかカードゲームは、一通りそろってるみたいだ。オンラインの対戦環境も整ってる。
DDCオリジナルのゲームは、まださっきのRPGだけみたいだぜ。
あのRPG、何て名前なんだ?」
辰郎は大きく頷く。
「永遠の楽園! 果てしない興奮の冒険郷! そんなイメージで名付けました。
ネバーネバーランド・アドベンチャー(仮)だよ!」
広宣と厳真は、また顔を見合わせる。
「……(仮)って付けると、そんなに安心?」
「『ネズミの国』から抗議が来そうだ。
『フ○ク船長、怒りの艦砲射撃!』とか」
厳真は声を張り、仲間たちに提案する。
「一旦解散しよう。手続きが完了するのを待ってから、再度ログインした方がいい。
計算だと、夜の七時になる。七時になったら、みんなここに集まってくれ。
──で、いいですか?」
辰郎は厳真に親指を立ててみせる。
「大丈夫だ。万端整えておくよ」
広宣が笑顔で頷く。
「よし、戻ろう。
みんな、また七時に」
麻由里が春花の手を取る。
「楽しみだね、ハルちゃん」
「何だかお客さんな気分だけど。
マユが嬉しそうだし、わたしも嬉しい」
厳真は口を引き結び、気合を入れる。
「ぼくは、塾だ。
集合は講義の最中になるな。早速同時進行が可能かどうかの確認ができる。実に待ち遠しい」
「ゲーム!! ゲームゲームゲームゲーム!!!!
何でいまできないの?! 何で?!
人生は短いんだ、いま、いま、いまが大事なんだよコンチクショ~~!!!!」
喚き立てる賢人が、厳真に手を引かれていく。
それぞれの姿が、薄れ、揺らめき、幻のように消えていく。
ログアウトした子供たちを見送り、辰郎は満足げにため息をついた。
ふと気づき、一瞬だけ頭上を見たが、何も言わずに辰郎もログアウトする。
誰もいなくなったロビー空間で、鳥のままの喜史が天高く輪を描き続けていた。
──続く
当時も今も、ちゃんとしたゲーマーの人から見れば、お話にならないライトユーザーだとは思うのですが。
セ○は、愛です。
愛なんですってば。