奇々怪々 / 理の外れで [訪問販売]
スーツを着た男が突然玄関先に立っていたら、貴方はドアを開けますか?
在学中に片っ端から就活した結果、辿り着いた先がペットボトルの製造メーカー。
大学卒業後にそのまま入社し、気のいい同期や優しい先輩に恵まれて割と順調な社会人ライフを謳歌出来ていたと思う。事業もペットボトルの構造やラベルの企画など、自分で何か作ったものが世に出回るかもしれないとあの頃は残業も営業も苦とも思っていなかった。
事実、俺の頑張りが実って市場に出た製品もいくつかある。
ある日、会社の方針で新規事業に手を出すことにした。
[ウォーターサーバー]
最近自宅にも置かれるようになったようで、今なら売れ筋間違いなしと大量購入され、専属の部署まで立ち上げられた。そして幸か不幸か、営業としての実績があった俺はソコに組み込まれてしまった。
気乗りはしなかったが、営業の腕を評価されての判断なのであれば多少は喜ぶべきかもしれないと、部署異動の話が出た時は気楽に考えていた。
しかし俺が担当した案件は[訪問販売]だった。
正直な意見を言わせてもらえれば、個人宅を襲撃する販売員や勧誘は日常を脅かす社会の癌とすら思っているのだが、ソレを自分がやらねばと知った時の絶望は計り知れない。
ピンポーン
返答はない。
ピンポーン
・・・・・・・・・ガチャ
「こんにちわ~○○会社の世良と申します~。弊社の製品で今人気のウォーターサーバーを」
「結構です」
「興味ありません」
「……」ガチャン
堂々と居留守を実行する者もいれば、人をゴミのような目で拒絶する者まで、とにかく反応は最悪だった。富豪層あたりを回ればそれなりに売れるかもしれないと高を括ったが、それでもうまくいくわけではない。
自身が嫌悪する仕事を行い、営業としての自信も砕けそうになるなか、次の家で今日は最後にしようと住宅街の一番端っこの家を訪問することにした。ミニチュア版の洋館というべきか、ヨーロッパに行けばありそうな趣の家に少し癒されるが、この家の住人にも拒絶されるのかと思うと気が重くなる。
カランコローン
聞き慣れないチャイムの音に一瞬驚くも、しばらくすると小奇麗な女性が出てきた。身長はそれなりにあり、化粧もしているがパッと見で妙齢な女性が頑張ってめかしこんでいるように見えてしまう。
「どなたですか?」
「あ、えっと、こんにちわ~○○会社の世良と申します。弊社の製品で今人気のウォーターサーバーを販売しておりましてですね」
「うぉーたーさーば?」
「はい、いつでも美味しいお水を飲めまして今では会社や病院だけでなく、自宅でも設置されるのが主流なのですよ?」
「…水道水やペットボトルじゃ駄目なの?」
はっきり言えば何故こんな商品が売れており、会社が取り扱おうとしたのか全く理解できていない。しかし、仕事は仕事。2言以上会話できたのはこのおばさんが初めて、何とかして売り込みたい。
最近は震災が多く、水道だって安全ではないしペットボトルで水を確保するのも難しくなる。ウォーターサーバーがあれば会社からいつでも安全な水を提供できるし、お湯も出せるし、と自分でも思ってもいないようなことをペラペラとまくし立てる。
女性は一応話は聞いてくれているが、反応の薄さから興味がないことが薄々と伝わってきており、最後の方は諦め半分で適当に話して切り上げようとした。
「…それで、美しい女性にも人気の商品なのでどうかと」
「美しい!?」
掴みかかる様に迫ってくる様相に思わず1歩引いてしまうが、これはいけると長年の営業魂が俺の耳に囁いてくる。
「そ、そうなんですよ!貴方のような美しい女性にはぴったりの品かと」
「まぁお上手で」
「いえいえ、そんな」
もはや完璧に怪しいセールスではあるが、手ごたえを感じた俺はガンガン押していき、気を良くした彼女は詳しい話を聞きたいと家に上げてくれた。
[田所理恵]
そう名乗った彼女は俺の前を歩いてくれるが、家の中は外観からも想像できる洋装ではあったが、1点だけ気になることがあった。
[時計][時計][時計][時計][時計][時計][時計]
[時計][時計][時計][時計][時計][時計][時計]
壁一面に現代物の無骨なものから、歴史を漂わせるような古びたものまで、大小様々な時計が飾られていた。家具も少なく天井も大分高いため、思う存分壁にかけられており、まさに圧巻であった。
チクタクとそれぞれが刻む音が煩わしいなか、最初は重度の時計収集家なのかと思っていたが時計とは別の違和感に気付くことになる。
「時刻が全部…ずれてる?」
7:36を指していれば4:56を指すなど統一性が全くなく、自分の腕時計を見なければ現在の時刻が分からない程だ。ちなみに今は4:20。朝10時から販売訪問を始め、6時間ほど何の成果もなしに彷徨ってたわけだ……田所さんからの了解を是非取りたい!!
「何もお構いできませんが」
居間につくと新品同然のような木製のテーブルがあり、その横の薄緑色のソファへと腰を下ろし、紅茶とクッキーが乗った皿を差し出される。
「とんでもないです。ここまでして頂いて大変恐縮です」
「ところで、[美しい女性]に相応しいという商品ですが、お水にも効能はあるのですか?」
「山脈から直接採取されたものを精製し、肌に潤いを与えてくれるものとなっております」
その後もお茶をしながら会話を進めるが、どうも[美しい]という言葉に良くも悪くも過剰に反応しているようで、ウォーターサーバーを買おうと判断したのもそこが理由のようだ。他の営業マンからすればカモ同然なのだが、そもそも初対面の男を家に上げている時点で無防備もいいところだ。
やがて話が日々美しさを保つための秘訣だとか、昔はミス・なんちゃらにも選ばれただの、どうでもいい話を吹っかけられ、愛想笑いで相槌を打っていると尿意に襲われた。
「厚かましいようで申し訳ありませんが、お手洗いをお借りしても宜しいでしょうか?」
「どうぞどうぞ。あちらの方にありますので遠慮なく」
ありがとうございますと言いつつ席を立ち、指し示された方向へと向かうが、相変わらず時刻の合わない時計がずらりと並んでおり、いい加減気味が悪くなってきた。さっさと話を進めて、速攻で帰らせてもらおう。
その後、無事トイレでの用事を済ませ、手を洗っていると彼女の元へ戻ろうとすると、また理解ができない事態に直面した。
[鏡]がないのだ。
普通、どこの洗面所にも鏡は置いてあるものだと思うのだが、代わりに時計がびっしりと壁を埋め尽くしている。洋装だと鏡は置いていないのかと、強引に自分を納得させながら席につく。田所はニコニコしながら再び美容についての話を再開するが、ここに至るまで一切時計に関して触れないことから俺から切り出すこともしなかった。収集家なら自慢くらいするだろうと思ってのことであったが、逆に美容関係でここまで話しかけられると時計のことに触れると朝まで話すのではないかと不安がよぎったのもある。
「そ、それではウォーターサーバーの購入の方は…」
「ええ、問題ありませんよ?美容にいいと言われれば黙っていられるはずもありません」
「あ、ははははは……えっと、それではこちらに書類がありますので内容をご確認の上、サインの程お願いできますでしょうか?」
一通り金額やその他もろもろの説明をしたうえで、彼女は抵抗なくサインをしてくれる。水は確かいいものを使っている、という話は聞いているし100%騙しているわけではない。それに彼女の心の隙を突け狙ったという負い目はあるが、悪徳商法を実行するつもりはないのでしっかりアフターケアをしたいと思っている。
「我が社の製品のご購入、誠にありがとうございます。それでは設置場所について検討を」
「それでしたらもう場所は決まってますよ。ついてきてください」
彼女の後を追って2階へ向かうも、相変わらず道中にはずっと壁に時計がかかっている。やがて1つの部屋に入ると寝室であることが分かる。
そこには時計は一切なかった。
想像通り洋式美といったところだが、いままでがいままでだったので逆に違和感があった。流石に寝室で時計の音が鳴られるのは困ったのだろうか?
「こちらに設置しようと思いますが、問題はありませんか?」
部屋の一角を指さす彼女の指示に従い、確認をしてみるが設置に問題はなさそうであった。問題ないですよと振り返った際、壁に巨大な肖像画がかかっていた。
美人、一言で言えばそういった感想した出てこない。椅子に座り、物憂げに明後日の方向を眺めている赤いドレスの女性は絵の中であるにも関わらず、息をしているように艶めかしいものがある。
呆然と眺めていると知らぬ間に田所が隣に立っていた。
「どうですか?私の肖像画ですよ」
誇らしげに語る彼女は子供のように目を輝かせ、魅入られるように肖像画を見つめている。確かに彼女をもっと若くすればこうなるのかもしれない、むしろ劣化させたものが横にいる彼女なのではと思うが、ふと周りを見渡すと化粧棚があるのに鏡が取り付けられていないことに気付く。どうやって化粧をしているのだろうかと疑問に感じていると、彼女は突然話し出す。
「貴方は数年後、数十年後の自分を想像できますか?」
「…数十年後、ですか?そうですね。仕事がうまくいけば昇格しているかもしれな」
「そうではありませんよ」
微笑みを浮かべながらやんわりと遮られるが、その表情には似つかわしくないほど目の色に多少の恐怖を一瞬感じた。
「[老い]ですよ。誰しもが蝕まれる不治の病」
気付けば彼女は自らの腕を抱きかかえ、血が滲むのでないかというほど強く握りしめている。しかし彼女の見開かれた目だけは、しっかりと俺を見据えていた。
「でもね。私は悩みに悩み抜いて1つの結論に達したの…何故人は、生き物は老いるのだと思う?」
「……ね、年月が過ぎるからですかね」
「半分正解…答えは[時間]が存在するからよ。時間さえなければ老いることはないのよ。えぇそうよ、私は美しさを永遠に保てるのよ。素晴らしいことだと思わない!?」
居間で見せた[美]への執着は[老い]への恐怖の裏返し、彼女は狂ったように笑い出す様を俺は引き攣った笑顔で返すことしか出来なかった。
設置場所も金額交渉も契約も、必要事項は全て満たされた。いまだに肖像画を見てケタケタ笑う彼女に仕事があるからと残して逃げるように家から飛び出した。俺の声が聞こえていたかどうかも怪しいが、あのまま残っていればどうなったか知りたくもなかった。
その後、彼女に名刺を渡していたが特に連絡があるわけではなく、無事俺の実績としてカウントされた。上司にはその調子で頼むぞ!と背中を押されたが、他の同僚も1個売れるか売れないかと似たような状態らしく、この部署も近い将来潰れるのではないかと淡い期待を持って事務仕事に戻る。
「……あの時計」
それでも彼女の家と、あの狂ったような笑い声が頭を離れることはなかった。鏡がなかったのは今の自分を見なくて済むため。時計やその時刻の異常性は恐らく…
「過ぎる時間を曖昧にするため…」
…ふ。詰まるところ、彼女は老いることへの現実逃避を図っているだけだ。確かに老いは恐ろしいが生きている限り逃げることなんてできない。SFの世界やifの話をしたところで、何の意味ももたない。
先程まで真剣に考えていたのが馬鹿らしくなってきたところで、喉を潤すために席を立つ。それに今頃は製品があの女の所に届いているはずだし、問題がなければ俺が関わることはもうないだろう。水の供給の受付は事務の女の子がやるし、俺の手を離れた。
苦笑しながら肩の荷が下りたことに安堵の表情を浮かべ、我が社にも設置してあるウォーターサーバーから水をコップに注ぐ。
「全く。本当にこんな水が美容にいいのかね?」
それでも騙したような罪悪感がまだ心に残っており、この先あと何度このような経験をするのだろうと溜息を吐きながら本体に設置してある、タンクの水に映る自分の顔を思わず見る。
「ここ数日でやつれた気がするな…」
自分の頬や顎を擦りながら何の気なしに見ていると、ある事実に気付いて中身が入ったままのコップを床に落とす。
「外回り行ってきます!」
誰に言うでもなく、乱暴に営業車の鍵と鞄を引っ掴むとスピード制限を無視して目的地へと走らせる。途中、携帯で何度も電話を掛けるが一向に出る気配はない。嫌な予感がした俺はさらにアクセルを踏みしめ、現場へと急行する。
ピンポーン、ピンポーン
「田所さん、田所さん!○○会社の世良です!!田所さん!?」
ドアを殴る勢いで叩くも返事はない。出掛けているのかとも考えられたが、ドアノブに手を回すと鍵が開いていた。
警察に呼ばれるのを覚悟でゆっくりとドアを開き、声を控えて呼びかける。
「田所さーん、いらっしゃいますかー?○○会社の世良で……」
そこで異常事態に気付いた。
壁一面に飾られていた時計、
1つ1つ、
まるでハンマーで殴られたかのように叩き壊されていた。
初めて訪れた時に煩わしかった時計の音は一切なく、完璧な静寂に包まれた洋館……某ホラーゲームを彷彿させるも、全く笑えなかった。
「田所さーん」
それでも声を掛けながら、家の中を入っていく。時計の壊れた破片を気にして土足で入ってきているが、会った時に土下座でも何でもして謝ればいいと考えていた。
一通り1階を見回したが、全ての時計が同じように破壊されているだけで、彼女の姿は見当たらなかった。
「…そうなると2階か」
生活スペースに無断で上がり込むのは気が引けるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。恐る恐る階段を上がっていくが、ここの時計もやはり残らず破壊されている。
2階につくと真っ直ぐ当社の製品を置いたであろう、彼女の寝室へと足を運ぶ。ドアは半分開いており、ゆっくりと室内を覗き込む。
「た、田所さ~ん?○○会社の世良で、す…が」
彼女はベッドに仰向けで横たわっていた。歳不相応の、肖像画で見たような赤いドレスを着て天井を見つめている。そしてその手には…
「包丁?」
彼女の胸に深々と突き立てられるソレは、一瞬ドレスの一部なのかと見間違えるほど深く差し込まれており、ベッドには赤黒い染みが彼女から放射線状に広がっていた。その横に置いてある弊社製品、俺が売りつけたウォーターサーバーのタンクは床一面に水をまき散らしており、観察すると彼女自身もびしょ濡れであることが分かる。美容のためと言われた水を浴びてまで彼女は美へ縋り付いたのか。
目を限界まで開いたまま一切動かず、素人目から見ても彼女が死んでいることが分かった。
「と、とにかく警察に連絡だ」
部屋を、いや家を出ようと振り返ると例の肖像画が嫌でも目に入ってしまった。
その肖像画の顔の部分は刃物でめった刺しにされたのか、顔の判別がつかないほど酷い状態になっていた。
「…妄執の果て…か」
ウォーターサーバーのタンクの水。
光の加減で鏡のようにもなることに気付いた時は、まさかここまでの惨状になるとは想像していなかった。とにかく警察に連絡をと、腰を抜かさないように部屋を出ようとした時、囁くように風が耳元を吹く。
「私……綺麗でしょぉぉぉおおおあああああああああアアァァァァ!?」