なんと別口で狙われているようですっ!④
空は爽やかな五月晴れ。
風も心地良く、どこからか甘い花の香りを運んでくる。
そんな中庭の草っぱらの上で、わたしは紘一先輩と並んで座って一緒にお弁当を食べるという、なんとも不思議な状況になっていた。
持参した大きめのボックスに、きれいに詰められたサンドウィッチを手に取りながら、紘一先輩はわたしのお弁当をのぞきこんでくる。
「桂ちゃん、そのお弁当は自分で作ったの?」
「え? まさか! とんでもないです」
「ああ、そうか。そういえば、昨日の調理実習でも手こずっていたもんね」
そういって大笑いする紘一先輩に、わたしは恥ずかしさでいっぱいだった。
せっかくの女の子らしさアピールができるところで、この体たらく。
紘一先輩は、いったいわたしのどこが気にいったのだろう?
紘一先輩が手を伸ばし、ぼんやりとしているわたしのお弁当からウインナーをつまみあげたとき、背後から涼しげな声をかけられた。
「楽しそうですね。わたしたちもご一緒していいですか?」
慌てて声のほうへ顔をあげると、女の子三人が笑顔で近寄ってくる。
つけている校章の色は二年。
ということは、紘一先輩と同学年だ。
三人とも、浮かべている微笑みは大人っぽく、三人ともがわたしよりも美人だった。
なんといっても、わたしと違って女の子っぽい。
もともと女の子に対して軽そうな紘一先輩だ。
きっと喜んで彼女たちの座る場所をあけるのだろうと思ったわたしは、移動しやすいようにとお弁当を手に立ちあがろうとした。
けれど。
「ごめん。邪魔しないでくれる。いまは彼女とふたりっきりで過ごしたいんだけれど」
わたしが蒼ざめてしまいそうなほど、紘一先輩は予想外に冷たい態度をみせた。
笑顔がこわばり、その場に凍りついたように佇む女の子たち。
「――ごめんなさいね」
三人の中のひとりが、どうにか声を発して、ようやく彼女たちはそそくさとその場を立ち去っていった。
「だって、いまはオレ、桂ちゃんとふたりでお弁当を食べたいしね」
まるで何事もなかったかのように、紘一先輩がわたしへ笑顔を向ける。
その素敵なチョコレート色の瞳と妖艶に形作られた口もとを、わたしは不思議なものをみるように、呆然と見つめた。
五時間目は体育で、バレーボールの授業が入っている。
体操服に着替える時間を考えたわたしは、余裕を持って早めに教室へ戻りたいと紘一先輩へ告げた。
名残惜しげな先輩を残して、わたしは早々に中庭から逃げだす。
――わたしと一緒にいたいから彼女たちを断ったのだろうけれど。
なにかがすっきりしない。
自分のどこが先輩に気にいられたのか、わからないからだろうか。
彼女たちに申しわけない気持ちがあるからだろうか。
わたしは、からのお弁当箱が入った袋を振りまわしながら、先ほどの紘一先輩の態度を思いだす。
そして、二年の教室が並ぶ三階を通り過ぎ、四階へと続く次の階段へと片足を乗せたとき。
「ねえ、そこの一年生」
背後から呼びとめられたわたしは、振り向いたとたんに、近くの女子トイレへと連れこまれた。
朝のように手荒い扱いじゃなかったけれど。
壁際へ追い立てられて囲まれると、驚きと恐怖で心臓が縮みあがる。
わたしをとり囲んでいるのは、先ほど紘一先輩に断られた女の子たちだった。
学年がひとつ違うだけなのに、上級生の集団というだけで不思議なことに恐怖が増して、わたしは足がすくむ。
今日は朝からこんなことばかり。
わたしはただ穏やかに高校生活を送りたいだけなのよ。
なんて心の中でため息をつきながら、わたしは真正面の女の子が口を開く瞬間を待ちかまえた。
「あなた、図に乗るんじゃないわよ」
先ほどとは打って変わって険しい表情を浮かべた彼女は、居丈高に腕を胸の前で組んで、わたしの予想した台詞を口にする。
「あなたのために、忠告してあげるんだから。あなたとのことも、紘一くんにとっては遊びなの」
「――あの~。紘一先輩は、やっぱり軽い性格の方ってことですか? あ、もしかしたらあなたが紘一先輩の彼女さんですか?」
余計な波風を立てたくなかったわたしは、いかにもしおらしく従順にうつむきながら訊いてみる。
彼女は、自分たちのライバルを減らしたいために、こんなことをわたしに告げようとしているのだろうか。
それとも、紘一先輩と一緒にいたわたしに、単なる八つ当たり?
けれど、目の前の彼女が続けた言葉は半分だけ、わたしの予想をはずしていた。
「わたしは残念ながら彼女じゃないわ。それに、紘一くんにはいま、付き合っている女の子はいない。ただ、彼のことをよく知らないだろう後輩に、本当に心配だから教えてあげているの。紘一は二股をかけることはしないけれど、ひとりの女の子と付き合う期間が異常なくらいに短いのよ。あなたも悲しい想いをしたくないでしょう?」
「――それって、どういう意味ですか?」
「言葉通りよ。常に付き合う女の子はひとりだけ。その辺りは誠実なんだけれど、すぐに別れちゃうのよね。そして、すぐに違う彼女を作るの」
それって、誠実といえるのだろうか?
そう考えたわたしだけれど。
すぐに、あっと思いあたった。
なんでも相手の心が読めてしまう「覚」の能力を持っている紘一先輩だ。
みたくない相手の内面を、付き合ってそばにいる時間が長く増えることで、どうしてもみてしまう瞬間があるのではなかろうか。
なんて考えていたわたしの前で、二年の彼女は言葉を続けている。
「わたしだって、なれるなら彼女になりたいし。なれたら、絶対に長く付き合えるように努力するわよ」
薄っすら頬を染めて力説する彼女は、わたしからみて、純粋に可愛らしいと思った。
けれど。
はたして恋愛っていうのは、努力して付き合うものなんだろうか?
たしかに努力する部分はあるだろうけれど、それは付き合う前から付き合うことに対して考えることなのだろうか。
付き合うこと自体は、自然に惹かれ合うという前提ではなかろうか。
――そうなると、わたしはまだ、紘一先輩に惹かれているという部分が感じられない。
女の子扱いしてくれているところが、嬉しいだけだ。
ということは、わたしの中ではまだ、紘一先輩を恋愛対象には思えていないってことなんだな。
わたしは、舞いあがりかけていた気持ちを、ゆるりと地上へ引き戻す。
うん。
冷静な目で見つめられるようになったこれは、さみしいことじゃない。
うっかり急いで決断しなくて良かったと思わなきゃ。
わたしは笑みを浮かべ、彼女たちへ向かって告げた。
「先輩、いろいろ教えてくださってありがとうございます! わたしは紘一先輩のことを、恋愛対象ではなく先輩として慕っているのだとわかりました!」
はっきりと言い切ったわたしの言葉は、彼女たちの気勢をそいだようだ。
どうやら、先輩に従順な後輩という印象を与えたらしい。
「あ……そう。わかればいいのよ。わかれば。これからも態度に気をつけなさいよ」
拍子抜けをしたような表情で、三人はわたしが通れるほどの道をあける。
なので、わたしは丁寧に頭をさげて、無事に脱出することができた。
そうだよね。
紘一先輩は、付き合いを考えてっていったけれど、いまは大切な試験中だ。
まだ紘一先輩のことを、そんな目でみることができないし。
ここは先輩に従う素直で可愛い後輩の位置をキープしよう。
そう自分に言い聞かせながら、わたしは昼休み時間の終了ぎりぎりで教室に飛びこむ。
「桂ちゃん、遅い!」
すでに体操服へと着替え終わった晴香が、わたしを見つけて駆け寄ってきた。
五時間目のバレーボールは、運動場にポールを立ててネットを張るところからはじまる。
もうボールを触ることに慣れてきていたためか、準備運動のあとにすぐ試合となった。
六人制のグループが三組できていて、わたしは晴香と同じ班だ。
ボールが身体に当たるだけなら、異常なほどの力が加わるわけじゃなく、コントロールが悪くて変な方向へ飛ぶだけだ。
それはそれで困るけれど、サーブのときとアタックで打ちこむときだけ、とにかく世間の常識を逸しないようにと、わたしは細心の注意を払いながらボールを目で追った。
サーブ権が自分のチームへ移るたびに、コート内の位置が順番にいれかわる。
そして、わたしがネット際の真ん中になったとき、お約束通りにネットへ背を向け、晴香からのサーブを待つように視線をぐるりと巡らせた瞬間。
運動場のそばに建つ五階建てマンションの屋上に、人影を見た。
――誰だろう?
こちらに向いている顔は確認できない距離だけれど、あの背恰好は、知っている人のような気がする……。
あれは。
「桂ちゃん!」
晴香の叫び声がしたそのとき、振り向くわたしのおでこへ衝撃が起きた。





