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06-07

 06




 穢れ無き白は嫌いだ。

 純粋そうに見えて、どこか脅迫的でもあるから。


 似たような理由で、白から連想される雪も嫌いだ。

 弱々しくて、いまにも融けて消えちゃいそうだから。

 まるで、わたしのようだから。


 そういうわけで、わたしは空を見上げて、意味もなく街を睨みつけていた。

 青い空。

 白い街の中で、わたしは、はあ、と白いため息を吐く。

 陽射が少し程度傾き始めたところで、東京の街は相も変わらず真っ白。

 わたしは、なるべく歩きやすい道を選びつつ、足を進めている。


 振り返る後ろには真也と玲奈がいる。

 真也は玲奈を気遣いながら、その小さな歩幅に合わせて、几帳面にもさらに歩きやすいルートを選んでいた。再度目隠しした玲奈は、当然だけど視界が利かない。いっそのこと抱きかかえるのも手段の一つだろうと思うけれど、それも過って転んだりしたら目も当てられない。

 捨ててある車を横目に、真也は遠慮しがちに訊いてきた。


「それより、本当にいいのか? 案内してくれるってのはありがたいけどよ」


 わたしは立ち止まり、応える。


「構いませんよ。どうせやることもありませんでしたし。“こんなご時世”ですからね」


 こんなご時世。

 自分で言っておいてなんだけど、なんだか実感の湧かない言葉。

 恐らくは相手も共有してる『大変』って感情を、ひとまとめに『ある程度の共感』に変えてくれるこんなご時世において、『こんなご時世』という言葉は、どうしたって他人事にしか聞こえない。

 こう言いきってしまうと、まるで矛盾に聞こえるかもしれないけれど――人の言葉は、一歩引いて聞くと装飾以外のなにものでもない。

 それがちょっと可笑しくて、わたしは笑った。

 真也は、そんなわたしの笑みを善意的に捉えてしまったのか、


「悪いな……。そう言ってくれると助かるよ」


 と、照れくさそうに言った。

 少しだけ申し訳ない気持ちになる。

 追って玲奈が口を開く。


「ねー。思ったんだけど、なんで雪さんは、まだここにいるの?」


 眼が塞がれている彼女だから、その声はよく聞こえるように大きめだった。

 子供は野暮という言葉を知らない。

 内心苦笑しながら、わたしは言葉を返す。


「……なんで、だろうね? わたしにもわかんない」

「……? 変なの。自分のことなのに?」

「うん。もっともな指摘だけど……でも、それは玲奈ちゃんたちだって同じだよね」


 玲奈が問うたのは、なぜわたしが隔離区域であるこの東京にまだ留まっているのか――っていう、単純にして異様な行動についてだと思う。

 けれど、それはそのままオウム返しでもある。


「誰にだって捨て切れないものってあるよ」


 と、言い訳を口にするわたし。

 そもそも、『わたし』という人間の意識が、これまで大したことをしてこなかった以上、それがなくなったというだけで、これからなにかが変わることなんてあり得ない。


 わたしはただ、

 昨日と同じように買い物に行ったり、

 昨日と同じように家でくつろいでいたり、

 昨日と同じように誰かと笑っていたり、

 昨日と同じように誰かのために厚かましくも泣いていたり、

 昨日と同じようにシュウのそばにいる自分が、ずっとずっと続くものだと思っていた。


 たぶん、わたしは強くなかった。

 だから、自分の部屋に閉じこもるくらいしか出来なかった。

 わたしがまだここにいるのは、臆病者だから。

 消え去った人間に、いつまでも縋り続ける臆病者だから。


 いまさら考えることでもない。

 そんなの最初から解っていたこと。

 だけど、荒廃した世界で、この街で、まだ欠片を捨て切れていないのは、きっとわたしだけじゃない。真也だって、玲奈だって……。


 わたしは臆病者で、卑怯者だ。

 生きる勇気もなく、死ぬ勇気もない。迎える最後のために行動している真也や玲奈のように、なにか目的があるわけでももちろんない。

 ただ終わるまでの時間を無駄に過ごしているだけ。


 照りつける陽射は傾き、もうすぐ夕暮れを迎えようとしていた。

 目指す東京タワーが、崩れかけた穴ボコのビルの合間から、ようやく顔を出す。




 07




 ここでひとつだけ保管しておかなくちゃいけない。

 “これ”を視ている“わたし”が住んでいた街――つまり、2052年の東京は、技術進歩も甚だしく情報通信回路が都市全体に及んでいて、人間の手足を末端と置き換えるならば、それを統括する脳が設けられている。

 簡単に言ってしまえば、東京という都市自体が、ひとつの巨大なシステム。

 昔にあった信号機がシステムによって統制されて交通を潤滑に回しているのと同じように、東京の都市システムは色々な端末を管理している。


 それは車だったり、

 電車だったり、

 自動歩道だったり、

 人間の身体の中に埋め込まれたNLOインプラントだったり。


 ここであえて詳しくは説明しないけれど、NLOインプラントというのは、人の体内――頭の中に埋め込まれた一世代前で言うところのスマートフォンみたいなもの。ただし、ナノマシン技術によって構築された疑似神経によって脳と繋げられているので、スマートというよりはスティールといったほうが適当かもしれない。

 ちなみに、いま見ているのはこれ。


<?etl//iaai=yuki-siraki import_deta>

<emotino-in-text markup:>

<encoding=lost_X'mas>

<record.06-07>

<etl:jp>


 そういうわけで。

 わたし自身はもちろんのこと、別意識である真也の目が見た世界や、思考が視えるのは、この破廉恥も極まりないNLOインプラントのおかげ様であって、別段わたしが精神疾患をきたした妄想サイコ女だったとか、知的障害区分6ランクを飾る脳内お花畑女というわけじゃない。

 そこだけはハッキリさせておこう。


 迷惑ついでにもうひとつ、


「欠けたもの抱いて願うよ♪ きみの影を追って、もがき続けると誓うよ~♪」


 変わらず可愛らしい音色で唄う玲奈の思考は、これを視ているからといって、わたしに読むことはできないし、視ることもできない。その理由は簡単で、幼い脳に疑似神経を構築させることが危険だ――って法律で決められているから。

 頭の中にNLOインプラントがそもそもないから、玲奈にリンクすることは無理。


「欠けた翼で飛ぶ……わた……し……」


 だからわたしは玲奈の思っていることが読めないし、

 だから道すがら、いきなり倒れ込んでしまった玲奈の身体が、すでにナノマシンによって侵食されていただなんて気付きもしなかったし、思いもしなかった。


 パタリ、と。


 歌が途切れると同時に、玲奈は粒子の絨毯に身を傾けた。

 夕暮れ近い道路はオレンジ色に、輝く金の粉を巻き上げながら玲奈を包み込む。

 さながら彼女の意識を導くように。

 

「……えっ?」


 なんて、呆気にとられるわたし。

 対照的に、真也はすぐさま玲奈に駆け寄り、玲奈の小さな身体を抱きかかえた。

 ふわり、と浮いた腕。

 ぽろり、と崩れ落ちた指が砂まみれのアスファルトを打つ。

 玲奈の末端が、まるで融けた砂糖菓子のようにズブズブになっていた。

 それは驚くほどの侵食力をもって、瞬く間に肉だった玲奈の指を粒子に分解させてみせる。“生きていないもの”と誤認識したナノマシンが、玲奈の零れおちた肉をゴミと判断したんだろう。

 ある種見慣れた――そんな光景を目の当たりに、わたしは驚倒のままに身体を震わせていた。


 別段、玲奈の身体を犯していた機械に驚いたわけじゃない。

 彼女を可哀想と思ったわけでもない。

 ただ、崩れかける玲奈の姿に、シュウを思い出した。

 シュウに抱かれた粉っぽい感覚が、

 わたしの指を抜け落ちていったシュウの砂のような感覚が、


「玲奈! 玲奈っ!」


 真也の目は血ばしり、わたしの目からは、とめどなく熱い涙が溢れていた。

 しっかりしろ、と叫ぶ真也に、もはや身動きもままならなくなった身体で、玲奈は懸命にうん、うんと頷こうとした。真也の腕の中で――かさり、かさりと軋む身体は――刻々とやわらかさを失っていく。

 両の手で塞ぐわたしの口から嗚咽が漏れた。

 脳裏に、クリスマス・イヴのあの光景がフラッシュバックする。


 雪。

 さらさらと降り積もる数百万の命。

 東京最後の夜。

 失われた聖夜。


 呼吸が難しくなる。

 空気が喉につかえて、息を吐いても吐いてもまだ吐き足りなくて、身体が酸素を求めて吸おう吸おうとするけれど、まるでわたしの周囲にだけ空気がないかのように息が詰まる。


 両手で首を押さえ、悶えるわたし。

 を、

 わたしは静かに見つめている。


 後悔。

 後悔の念が、大津波となってわたしの頭を埋め尽くす。



 ごめんね、シュウ。

 ごめんね、シュウ。

 ごめんね、シュウ。


 本当に、


 ごめんね。



 そんなわたしを、わたしは静かに見降ろしている。





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