04-05
04
「あの辺りは特に侵食が酷くて……あの砂も、元々はビルだったんですよ」
見る影もありませんけどね。
と、
説明するのはわたしの音声。
自分の知っている――聴き慣れている――声とは違ってて、なんだかちょっと違和感がある。
「……どうりでか。いきなり道に砂山だからな、ありゃどう頑張っても避けきれん……」
と、
落胆と安堵が入り混じったのが真也の声。
「――なんて、バカにぃは言い訳を重ねるのでした」
と、
悪戯に微笑むのが玲奈の声。
「……悪かったって言ってるだろ。そろそろ機嫌直せよ、玲奈」
ぷいっとそっぽを向く玲奈に、真也はバツ悪そうに頭を掻く。
その様子を見て、わたしは優しく微笑んだつもり。
道すがらで自己紹介を交わし、この女性の名前が白姫雪だということがわかった。なんだかファンタジーにでも登場してきそうな名前だ――なんて、そんな風に思ってくれている彼だけれど、実際にはよく白雪姫と読み間違えられて、色々と面倒だったりする。
なんでか、
なんでだろう?
人間の目っていうのは、どうも自分の都合の良いように解釈するきらいがある。
「結構年が離れてるようですけど……二人は兄妹ですか?」
左隣に歩くわたしが、思いついたように訪ねてきた。
「うん! でもお母さんは違うけどねー」
「えっ?」
玲奈の元気な頷きに、わたしがうめく。マズイことを訊いてしまった、といわんばかりに表情をこわばらせた。
……そうやって申し訳ない顔をすれば、少しは許されるって思ってるのかしら。
「あの……ごめんなさい」
そう視線を落とすわたしに、
「なんで謝る?」
と、真也は無愛想な気持ちで問う。
それは問い、というよりは、否定の想いだ。
「えっ、だって……」
うろたえるわたしに、真也は小さく息を抜いた。
「あんたが思うような複雑な家庭事情とかはねえぞ。単に親が離婚して再婚した。それだけだ」
「ご、ごめんなさい」
「だから、なんで謝る」
真也は優しい。
けれど、ある面において頑なでもある。
わたしには理解出来てない。
理解出来ない。
仕方ないよ。
だって、他人の顔色を窺って、事なきように済ますのが、一番の処世術だと思っているから。
それは、
生きるうえで必要だった、
悲しみという、
切なさという、虚像?
はたまた、
生きていくうえで必要だった、
欺瞞と、
虚偽によってカタチ造られた、気持ち?
それら面倒な感情を押し隠すために、
わたしは魔法の鏡にでもなるつもりだったのだろうか……。
『鏡よ鏡、鏡さん――この世で一番美しいのはだあれ?』
『それはもちろん、わたしの目の前にいるあなたです』
……と、誰にだって分け隔てなく言い返す、どこまでも優しい魔法の鏡に。
ホント、笑っちゃう。
返す言葉を迷っているように、わたしは言葉を探している。
でも、思いつかなかったのだろう。結局うつむいて黙り込んでしまった。
そして真也はこう考える。優しい性格というのはうかがえる――が、それはお節介と言い換えることもできるだろ、って。
現にそれは違う。
わたしはちっとも優しくなんてない。
沈んだ空気を変えようと、今度は真也から質問を投げかける。
「……なあ、東京タワーってどっちにある?」
「え?」
唐突な問いに、わたしは首をかしげた。
少し考えるような素振りの後、
「え、えと……こんな状態だから、安全な道順はわからないですが……」
ビル群の向こう側を指す。
その簡単なアクションでひとつで、田舎者の真也に通じるはずもない。
くぅ
と。
目の前にいるわたしの隣で可愛らしい音がなった。
真也が音のほうへ視線を移すと、玲奈が頬を赤らめてお腹を押さえていた。
「……そういや、昼飯まだだったな」
休憩を入れようと思っていた矢先、砂丘にぶつかったことを真也は思い出す。もう成人している彼はそうでもないだろうけど、育ち盛りの玲奈はそうはいかない。
しかし困ったな……と、真也は暗雲たる気持ちになる。食糧とかその他諸々を詰めたリュックは、もうすでに砂丘のお腹の中だからね。
わたしは何の気なしに、それが正解だって言葉を投げかける。
「あの、良かったら私の家に来ませんか?」
「え?」
「玲奈ちゃんお腹空いてるようですし、大したものは出せませんけど……」
真也は、なぜわたしがそんな親身になってくれるのか理解できなかったみたい。
けれど、隣に控える無邪気の申し子が真也より先に返事を返す。
真也は嘆息して、バツ悪そうに頭を掻いた。
そうして、わたしは笑って彼らを自宅に迎えた。
とても偽善的に。
強いて恣意的に。
05
「それでも君と、同じ景色がまた見たいから♪ 同じトコロでまた見たいから~♪」
食卓から聞こえる幼い歌声に、食材を切り分ける包丁の音が重なる。
リズムを刻むって言い得て妙かも……なんて思いつつ、わたしはまな板の上に並ぶ食材を鍋へと入れる。メニューは何の変哲もない、野菜炒めとご飯と味噌汁。
本当に大したものを出せない台所事情にちょっと後悔。
後悔。
わたしはいつだってそればっかり。
「……後悔……か。変なことを訊いちゃったな……」
思い返す数十分前の記憶に嘆息。
幸薄そうにぽつりと呟いて、カウンターキッチンから二人を見る。
真剣な様子でノイズがかったテレビを凝視する真也。ソファでくつろぎながら、小唄を歌う玲奈。一回りくらい歳の差がありそうな兄妹――玲奈が真也のことを「真にぃ」と呼ばなかったら、わたしだってとても兄妹だとは思えなかった。
なにも考えずにうっかり訊いてしまったけど、後になって思えば、そりゃ何かあるに決まってる。だから尚更、目を覆い隠すように包帯を巻いた玲奈のことは訊けなかったし、この都市にやってきた理由も、もちろん訊けなかった。
『ナノマシンによる侵食は一旦は収まりましたが、その被害は甚大で――』
垂れ流されたテレビの中では、キャスターが重苦しい雰囲気と声色で、その態度がさも当然のように話していた。
こんなことがあっても国営放送だけは辛うじて行われているメディアは、連日『分子器械災害』の被害情報と、各国情勢のニュースばかりをやっていた。
「……ナノハザード」
はい。
ここでちょっとアーカイブを拝借。
<i:『分子器械災害(nano hazard)』>
<d:それは東京を白く荒廃の色に染めた未曾有の大災害>
<d:その原因となったのが、ナノマシンと呼ばれる小さな器械群>
<d:東京湾のゴミ処理施設で、ゴミの分解に使用されていたナノマシンがエラーを起こし、環境中に流出。有機物を分解するようにプログラムされていたそれらは、東京の街を瞬く間に侵食。尚も続く暴走に、やがて無機物をも分解し始める>
災害が起きたのは、ちょうどわたしの22歳の誕生日を翌週に控えた、2052年12月17日。
迎えた誕生日、
クリスマス・イブ。
には、
既に数百万の人間が、
建物が、
車が、
シュウが、
数え切れないほどのモノが分解され、
白い粒子となって、破廉恥にも東京の街に降り積もっていた。
<d:東京は隔離区域となり、生き残った人間はすでに大抵が避難し終えている>
そしてわたしは東京に残っている。
『――二次的災害、または再度ナノマシンの暴走の可能性も、いまのところ否定はできません。隔離指定区域における住民避難状況は把握できておらず、国民からは非難の声が――』
映像にノイズが混じり、キャスターの声が遠くなった。
「…………」
電子プレートの上でフライパンを返す。
この国の首都は、もう崩壊している。
対応に当たるはずの政府だって、みんな綺麗に分子にまで分解され、クリーンな粒子となって降り積もっている。東京都民は身体を張って地球環境保全に取り組みました――だなんていうと不謹慎にも程があるけれど、それでも他の環境に気を廻せるほどの余裕があったことには違いない。
この排他的白に覆い尽くされた東京に、もはや環境を気にしている余裕なんてない。
もしかしたら渋谷のスクランブル交差点辺りに、ちょっと前まで国を回していた日和見の頭脳たちが、チリのように積もり転がっているかもしれないけれど――まあ、そんなのは、わたしにとってどうでもいい話だ。
……とはいっても、生活に直結するインフラはそうはいかない。
マンションの屋上に設置された高機能リジェネータのおかげで、生活に必要な電気はしばらくは持つだろうけれど……それもやっぱり有限。いつ電気が使えなくなるか、誰にだってわかったものじゃない。
そんな消失都市にわざわざやってきたこの二人だ。浅い事情なんてあるはずがない。
わたしは出来上がった料理を皿に移して、テーブルへと運ぶ。
「わぁ! 美味しそうな匂い!」
「おお……白飯なんていつぶりだ? ありがてえ」
皿を並べると、二人は歓声を上げた。
相当荒れた食生活を送っていたらしい。
待ちきれない様子の玲奈に、真也はご飯のお椀に野菜炒めを分け取り、受け渡す。箸を取り易いように玲奈の正面に置くと、味噌汁の椀を倒さないように自分のほうへ寄せた。
……やっぱり目が見えないんだ……。
わたしは眉を落として同情する。
仕草をする。
その気持ちが、正しい優しさだと思っているから。
「――もうっ! この包帯邪魔! 外すからねっ!」
玲奈が叫んだと思った次の瞬間、くりっとした可愛らしい目が露になった。
……いや、見えるんかいっ!
と、胸の内で突っ込みを入れるわたし。
なんとも釈然としない気持ちになったけれど、しかし、ここから繰り広げられた兄妹げんかに、わたしの小さな疑問を挟み込む余地はなかった。
そうやってお腹を膨らませながら、強いて偽善的なわたしは――期を逃して他に思いつく話題がなかったというのもあるけれど――先ほど真也が言っていた話を再度持ち出す。
「で。なんで東京タワーなんかに行きたいのですか? わざわざ、こんなときに」
「こんなときだからだよ」
真也はわたしの問いが気に入らない様子で、水の入ったコップを煽る。
もちろん水道水なんて信用できない。
これは火事場泥棒に荒らされたコンビニの冷蔵庫から拝借したものだ――とは言っても、その泥棒にはわたしも含まれているのだけれど……まあ、こんなご時世に倫理とか常識とか法律に構ってる余裕なんてない、って言い訳をしておく。
「分子器械災害が起こる前だ」
真也は玲奈を見、
「いつか東京タワーに連れてってやる、ってコイツと約束しててな。俺も忙しくてあやふやになってたんだが……まあ、こんなご時世だ。最後にコイツが望んだモン見せてやろーって思った」
それだけだ。
と、簡単に話を結んだ。
『最後に』が無ければ、なんとも牧歌的な台詞に聞こえただろう。
こんな環境じゃなければ。
ひとつの単語の意味も、その重さも、人と同じで環境に対して双曲線的比例を示す。
ぐにゃーって曲がって、あらぬ方向に比例する。
「それに、時間もないっぽいしね」
玲奈は楽しそうに付け加えた。
まるで、ずっと一緒に遊びたかった友達と旅行に来たような、そんな風。
誰が求めたわけでもないハザードは、東京という都市を崩壊させ、数百万の人間の命を奪い、数百万の希望と意識を消し去って、こんな形で少女の小さな夢を叶えようとしている。
それが皮肉なことなのか……。
わたしにはわからない。
玲奈の笑顔に、わたしはどんな感情を持てば正解なのか……それがわからない。
感情。
感情は、わたしにとって地獄だ。
決して逃れられない煉獄だ。
神さまが人間にそれを与えて以来、人は感情という坩堝に悩まされてきた。
多くの自殺者と、心理学者と、文学者を悩ませてきた自意識という厄介なシロモノ。
そんな自意識の世界から解き放たれ、
分解して砂となった人たちは、
ある見方からすれば幸運と呼べもするのだろうか?
生き残った人たちは不幸なのだろうか?
とりわけ、玲奈はそんな風には思っていないように思う。
けれど、少なくとも降りかかった不幸を理解し、謳歌している人間がここに一人いる。
わたし。
ぶっちゃけて言えば、
後にも先にも、わたしにとって、真也と玲奈の存在は、なんら価値のないものだった。
道すがらで出会って、その場の良心とか倫理的なよくわからない感情に支配されたわたしが、そのとても人間的で酷く偽善的な段取をとりあえず踏んで、なんとなく助けて、家に招いて、食事を与えて、やっぱりなんとなく話を聞いただけの、その程度のどうでもいい存在。
死のうが生きようが関係ない。
ただ、わたしは、自分が良い人であろうとしただけ。
このときのわたしなら、あるいは死んだ人間にだって、
『あらあら、大変。こんな寒空の下で死んでいては、風邪をひいてしまいますよ』
『どうぞわたしの家へ。あたたかい毛布でもご用意します』
『それとも、棺桶に詰めて火葬場のほうがお望みだったでしょうか?』
なんて言えたかもしれない。
その程度に、わたしは既に終わっていた。
そして、それを受け入れていた。
「……案内、しましょうか?」
わたしは言った。
これも人間的な段取りの一つだったのかもしれない。
あるいは、ただ罪滅ぼしの吐け口を見つけたから、か。
わたしが視返すこの時のわたしは、だから笑顔で、こうも優しく小首をかしげてみせた。