00-01
00
ごめんね、シュウ。
ごめんね、シュウ。
ごめんね、シュウ。
本当に、
ごめんね。
01
……あのクリスマス・イブ。
東京の街は、真っ白に染まっていた。
心が雪のように零れ落ちる夜。
皮肉なことに、夜に浮かぶ満月は濡れたように揺れていて、
静寂にたゆたう街は鮮やかに、
溺れそうな闇を悲しい白で彩るように、どこか寂しい光に満ちていた。
わたしは喧騒に耳を塞いでいる。
薄いカーテンから月明かり零れる部屋のすみっこ。
縮こまっているとドアを叩く音がした。
のたうつように、わたしは玄関へと走った。押さえ込んでいた感情を吐露するように……あるいは、その音に縋るように。
「や」
扉を開くと、そこにはシュウがいた。
さらりさらりと崩れ落ちる高層ビルの欠片を背景に、ぎこちない笑みを浮かべる彼。
そのやわらかそうな頬には、涙の軌跡がくっきりと残されていて……黒が消えた片方の目は、もうすでに乾いた白濁の色に染まっていた。
「……ああ、これ? かき氷みたいだろ」
わたしの視線に気が付いたのか、シュウは茶化すように嘯く。
バカ。
わたしは言った。
すくめた肩が震えている。
……バカ。
……本当に、バカだ。
ぎゅっと心臓を握られたような痛みが走った。
喉の奥から込み上げてくる嗚咽。
それを必死に呑み込もうとするけれど……だめ、殺しきれない。
「……シュウ」
彼に触れようと伸ばした手が宙を泳ぐ。
目を逸らすようにように顔をうつむかせると、頬に冷たいものを感じた。それは片側から一筋。頬を伝い、地面に落ちると、ダムが決壊したように止めどなく、止めどなく溢れ出てくる。
なんで……
「……なんでユキが泣くんだよ……」
シュウは困ったように呟く。
彼が見せるその顔は、わたしが大好きな、わざと意地悪したくなるくらい、愛おしいもの。
だけど、その愛おしい顔を、わたしは直視できない。
ふっと腕を引かれた。
わたしの身体は彼の胸に収まる。
壊れ物を扱うように抱き締め返すと、砂のような感触が手の平に返ってきた。
ああ、ほんとうに……
ぞっとする。
「ごめんな、ユキ」
頭を撫でるシュウの指が、まるで砂のように崩れて、ぱらぱらと顔にかかった。
わたしはそうだと理解したくなかった。
拒絶したかった。
……お願いだから目を背けさせて。
……わたしに現実を教えないでいて。
懇願する。
想い。
けれど、
それは無理だ。
嫌でも理解させられてしまう。
粉っぽい彼の胸が。体温が。
肩に優しく置かれた手が。その感触が。
シュウの黒かったはずの髪色は、おぞましいまでの純白に移り変わっていて……それがわたしの胸を貫き、無慈悲にも抉って、どこまでもどこまでも絞めつける。彼の鼓動が生きていることを訴えかけるたび、揺れて、欠けて、崩れて、足もとに雪のように散り積もっていく。
まるで甘い甘い砂糖菓子。
綺麗にパウダーで彩られた、人間という名のスポンジケーキ。
「……いやだ……いやだよ……」
わたしは何度も呟く。
まるで駄々をこねる子供だ。
わたしはシュウに縋りつくことしか出来なかった。
ごめんね。
ほんとうに、ごめん。
だから、
そう。
だからあの時、彼を見上げれば良かったと、いまになって思う。
見上げていれば、ぼやけた視界の向こうで、きっとシュウは微笑んでいたに違いない。
いつもの優しい笑顔で、
変わらない笑顔で、
頭をぽんと叩いて、馬鹿だなユキは、って、言ってくれるって。
ああ……なんで、
なんで、いっつも、こうなっちゃうかなぁ、わたしって……。
そのときのわたしは、明日が当たり前にあって、明後日が当たり前にあると思っていた。
意識しなくても、そうだって信じていた。
困らせるつもりなんてなかったのに、
シュウの言葉を遮るつもりなんてなかったのに、
それが取り返しのつかないことだって、そう気がついたのは、笑えるほどにどうしようもなくなった後。ようやく、いまになってからだった。
「 」
彼の擦れた声は、わたしの啜り声が邪魔をして耳に届かなかった。
そして彼の声が消えた。
わたしは、まるで傷つきやすい女の子みたいに、細い月灯りのような嗚咽を零した。
さらさらと、シュウが指の間をすり抜けていく。
満月が雲に隠れて陰り、彼のぶんだけ世界の温度が下がった気がした。
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