66. ブランコ乗りと信号手
北川の手は、依然リト右腕を掴んだままだ。
しかし、リトはそれを振りほどこうともしない。
この距離。リトにとっては好都合だ。
そのまま術を発動させる。
サーカスの兄弟。
それが阪田兄弟の通り名だ。
しかし牧歌的な見世物になぞらえるには、彼らの技は残虐でありすぎた。
兄であるダイムの特技はナイフ投げ。
しかしその的は風船やリンゴではなく、生きた人間だ。
そして弟のリトの受け持つ演目は、空中ブランコだった。
ただし、ブランコの乗り手はリトではない。
ブランコに乗って宙を舞うことになるのは、ターゲットの方だ。
北川がどう出るかなど、関係がない。
リトは自分の力に、絶対的な自信があった。
――仕掛けてくる。
プレッシャーに北川の肌が粟立つ。
ひるんだ訳ではない。しかし、反射的に体が動いた。
北川はリトの手を放し、後ろへと飛んだ。
「セット」
その短い言葉を言い終えると同時に、リトの両手に出現したのは、魔力によって編まれた二本の鞭だった。
淡い乳白色の輝きは、雲母を思わせる。
しかしその鞭は、鉱物の硬直とは無縁だ。
しなやかに躍動するそれは、使い手の両手も同じだった。
リトの魔力によって意思をも与えられた鞭は蛇のようにうねり、北川の手首を絡め取る。
北川の作ったわずかな間合いは、すぐに0に戻される。
間髪いれずに2本目の鞭が風を切り、北川の首筋へと襲いかかる。
急所への攻撃を避けようと、北川は防御の体勢を取った。
しかしガードしたその右手に、鞭は巻き付いた。
これで、北川の両手の自由は完全に奪われた。
その鞭は敵を打ちすえる為の物ではない。
敵を拘束するための道具。
そして自らの魔力を強制的に敵へと流し込むための、導線だった。
しかしそれより半瞬早く、まだ片手の自由が残るうちに北川も行動に出ていた。
あらかじめ北川が仕込んでいたもの。
それは左手に握られた小さなナイフだった。
いくら手を伸ばしても、敵であるリトには届かない短く脆弱な刃だ。
北川がその刃を突き立てたのは、鞭に自由を奪われた自らの右の手の甲だった。
赤い血が滴り落ちる。
リトは目の端でそれを補えていた。
だが躊躇はない。
次の手でリトの仕掛けは完了するのだ。
鞭の淡い光が、強さを増した。
捕えられた北川の両手が、むなしく空をかく。
鞭の締め付けが、緩むことはない。
二本の鞭から送られるのは、雷の力を帯びた魔力だ。
痺れなどという生易しいものではない。敵に与えるのは、熱と打撃だ。
一撃で楽にしてやる。
リトは短いスペルを呟いた。
その衝撃を与えられれば、痛みを感じる間もなく敵は倒れる……筈だった。
ざわっ。
リトの右手に何かが這いあがって来た。
リトの放出した強力な魔力の間をすり抜けてやってきた微かな、しかし異質な力。
「チッ……」
リトは攻撃を中断した。
リトの力を一方的に流し込まれ、北川は倒れる筈だった。
「さすがにやらしてくれねえか。そっちの腕を貰うつもりだったんだがな」
棒立ちになり一方的に嬲られていたはずの、北川がニヤリと笑う。
今やリトの手から伸びた鞭は、乳白色の輝きを失っていた。
代わりにその色を鈍い赤に変える。
それは血の色だった。
北川は自ら傷つけ流した血で、敵の武器を自分の色に染めたのだ。
「反スペル。緋文字か」
一度受けただけで、リトは北川の術を見抜いた。
血は引き金。
もがいているとしか見えなかった動きは、式の構築のための行動だったのだ。
リトが驚いたのは、その精度の高さだ。
北川はリトの技を100%見切っている。
リトの攻撃を無効化したうえに、カウンターまで仕掛けてきたのだ。
気付かないまま攻撃を続けていれば、手痛い傷を負っていたに違いない。
「なるほど、対魔専戦隊の元・□隊分隊長の肩書は伊達じゃない。流形の信号手か。その2つ名の意味がよく分かった」
思わぬ強敵の出現。
だが、むしろ嬉しげにリトは笑う。
北川は舌打ちをして応えた。
「嫌いなんだよ。そのあだ名」
流形の信号手。
それは無詠唱の術使いである北川の、空を切る手の動きから付けられた呼び名だ。
誰が最初に呼んだのかは忘れた。
しかし、ひどく子どもっぽくて間抜けじゃないか。
それにもうひとつ、口に出すわけにはいかないが北川には言いたいことがある。
――俺も買被られたもんだ。
阪田兄弟は最強の冒険者だ。
北川のレベルでは、彼の技など見切れるわけがない。
ただ知っていただけだ。『アカバネ』で読んだからだ。
しかしアドバンテージはそこまでだ。
一撃で仕留めそこなったのは、致命的ともいえるミスだった。
手の内を知っていても、これ以上はかわせない。実力が違いすぎる。
リトの表情には、僅かな怯みの色さえ見えない。
すぐに彼は次の手を撃ってくる。
勝てない、絶対に。
自分ひとりの力では……
北川は決断した。
「楽に眠ってもらおうと思ったのに、残念だ。北川君よ、ちょっと痛いぜ。こっからはな!」
更なる鞭がリトの両手から出現した。
1、2、3……その数を数えあげることはできなかった。
空中で鞭は弾け、数を増やした。
枝分かれした鞭はまるで獅子のたてがみのように、風雨を受け揺らめく。
そしてリトは魔力の色を変えていた。
燃えろ。
リトが鞭に籠めたスペルだ。
単純な分だけ、より強力な呪法。
北川の魔力は、跳ねのけられ剥がれ落ちた。
鞭が赤銅色に変化する。
それはこの阪田リトの本質を表す色だった。
その力は敵に絡みつき、内側に滑り込む。
そして中身を激しく揺さぶる。
振動を与えられたターゲットは逃れられない熱を孕み、やがて内側から燃え上がる。
鞭に繋がれた敵は、炎に身を焦がし踊るようにもがき死ぬ。
その様を悪趣味な誰かが空中ブランコになぞらえた。
――これで終わりだ。
リトのスペルを受けて、鞭の束は北川の体に殺到した。
攻撃の魔力を流し込まれた、北川の体が大きくのけぞる。
その唇からは苦痛の呻きが漏れた。
だがそれは、リトが予想していた効果とは異なった。
おかしい。鞭に籠めたスペルは熱だ。
しかしわずかな影響さえ、北川には現れない。
初めてリトは焦りをおぼえる。
リトは攻撃を更に重ねた。
北川は確かに、第一撃目を見事にかわした。
だが次の守りの式を、構築している時間などなかったはずだ。
そしてようやく、リトは気づいた。
自分の力が、奪われていることに。
痙攣する両手を交差し、北川はリトの紡いだ鞭をその手で掴んだ。
ハラハラと、掴まれたその鞭の束は、北川の手の中で崩れていった。
「それは、まさか無位の双眸!?……なぜ、そこにある!?」
リトが呻いた。
リトの魔力の赤さを吸い取ったように、北川の胸元には赤い光が灯っていた。
リトはもはや引くことさえままならなかった。
遺物である無位の双眸の力は貪欲だ。
奪う力の眼は、対象者の力を根こそぎ吸いつくすまで止まらない。
だがその無為の双眸の矛先は、リトだけに向けられたのではない。
術者である北川も、また渦の中に飲み込まれようとしていた。
リトと北川、ふたりの力が無位の双眸の上で線を結び、ひとつに溶けあおうとしている。
自分が自分でなくなる。
自我さえも、強大な力にえぐり取られる。
北川は、このおぞましい感覚を知っていた。
以前、北川は翼に向かって言ったことがある。
「魔法は技術だ。種も仕掛けもあるんだぜ」
思いの強さが勝敗を左右する?
そんなのは、マンガの中でしか通用しない常識だ。
練習帳にルーン文字を書きつけ、成果のでないことに悶々と悩む彼に、北川はそう言い聞かせた。
「君の世界の誰が、心の力で自動車を動かせなんて言う?同じことだ。知識と修練がすべてだ。お前のカスみたいな自意識なんてどーでもいい。唸ったところで、力は出ねえよ」
そして翼と出会った日には、北川はこうも言った。
「敵わない敵に出会ったら、一目散に逃げろ」
いま北川は、自分の言葉を否定する行動に出た。
心の力を頼りに、かなわぬ敵に立ち向かおうとしている。
しかも一度は成す術もなく屈服し、自分のすべてを飲まれた忌むべき力、無位の双眸の手を借りてだ。
「聞こえるか!テバサキマン……いや中野翼!起きろ!俺の声が聞こえないのか!?」
意識を切らすまい。
北川は空を仰いで、大声で叫んだ。
両足を大地踏みしめ、爪が食い込むほどに拳を強く握る。
時間がない。
北川の持つ無位の双眸はまがい物だ。
すぐに、ほころびができる。




