56. もっともっと、ずっといっぱい
「落ち込むくらいなら、中野君と喧嘩なんてしなければ良かったのに」
ここは学園寮のツバサの部屋だ。
蝋月はここまで押しかけて、ツバサから夜の教会での出来事を聞き出した。
予想通りだ。
問題だったのは、六坂ダイのサイン会のことだ。
「喧嘩じゃないもん……わたしが一方的にわめいただけ。翼さんは自分が何をしたかなんて、まるで分かってないんだから」
ツバサはベッドに寝転んで膝を抱え、蝋月に背を向けていた。
彼女の不機嫌の理由の半分以上は、自己嫌悪だ。
蝋月は勉強机の椅子に腰かけ、床に届かない足をバタバタと動かす。
「そうだよ。彼は分かってない……ぜんぶ自分次第ってことを。『アカバネ』世界や、君のことが嫌になって、すべてを終わらせたいと思えばそれまでだ。彼は自分の手で、扉をそっと閉じればいい」
そう、何も六坂ダイなんかにちょっかいを出す必要なんてない。
てんで見当外れの行動だ。
けれども、それは絶妙にツバサの神経を刺した。
翼が何も知らないことは分かっている。
「……わたしも翼さんが分からない」
ツバサちゃんが想い悩む必要はない、と蝋月が言った。
「あれこれ考えるのはわたしの役目。バタバタ走り回るのが、北川君の役目だ。国本さんは、そうだね……そんなわたしたち二人の襟を、たまに後ろから引っ張ってくれる。やり過ぎないようにしなさいってね」
「わたしは待つことしかできないの?」
「ああ、信じて待つんだ。中野君とツバサちゃんが出会って、世界を結ぶ細い道ができた。そして、みんなで力を合わせて、その道を固めていく……それがツバサちゃんの望むことならね」
「そう、全部わたしのワガママ。お父さんも国本さんも、北川さんも巻き込んで……ううん、それだけじゃない。きっと他の色んな人たちにも、迷惑も心配もかけてる」
「それでも中野翼君は特別で、ツバサちゃんが絶対手に入れたいもんなんだろ?」
「うん」
短いが迷いのない、肯定の返事。
「うん、それでいい。じゃ、わたしはそろそろ戻るよ」
蝋月は勢いを付けて椅子から、トンっと飛び降りた。
「ツバサちゃんも一度、屋敷に帰っておいで。そろそろまた、中野翼君が顔を出す頃合いだ。最後に見たときは、あの子すっかりショゲてたよ」
「……」
ツバサは無言。
けれどその丸まった背中に、彼女の思っていることが現れていた。
できるならすぐにでも、翼のところへ飛んでいきたいという気持ちだ。
「あ、さっきの話だけど。迷惑だなんて、わたしは思っちゃいない。もっとツバサちゃんに、甘えて欲しい。わたしは、君の父上なんだから」
「本当に?本当にわたしが頼めば、何でもしてくれる?」
「うん、嘘じゃないさ」
ガバッとツバサがベットから起き上がった。
期待に満ちた目で、蝋月を見つめる。
「だったら、早くわたしをこの学校から卒業させて」
「あー……そうきたか。ごめん、それだけは無理」
蝋月の顔めがけて、枕が飛んできた。
命中寸前。蝋月は軽くそれをキャッチした。
「ツバサちゃん、卒業後の進路はどうするの?」
「帝都に出て、対魔専戦隊に入る」
ツバサの答えを聞いて、蝋月は盛大にため息をついた。
「他の道なら何でもいい。お医者さんでも、花屋さんでも、魚屋さんだって、何でもいい。ツバサちゃんが何になりたいって言っても、応援するのに」
「あくまでも反対を続けるつもりなら、わたしにも覚悟があります。あともう一回、わたしを留年させてみなさい。家を飛び出して、阪田兄弟みたいな冒険者になってやる!」
「ひどい脅迫だ」
しかし、それがただの脅しではないことは蝋月にも分かっている。
彼の娘は、言い出したらきかないたちなのだ。
「お父さん」
ツバサは身を起して、ベッドの上に正座した。
「兄上の後を継ぐ……なんて、今の未熟なわたしには言う資格がありません。でも二条隊長と北川さんに出会って、そのお仕事に触れて思ったんです。わたしは少しでも、おふたりに近づきたい」
自分は兄にはなれない。
それでもまだ、この心に残る意志がある。
「わたしが持つ、この力を認めてくれる人がいて、それを最大限に活かせる場所が、対魔専戦隊だと思うから……挑戦したいんです」
蝋月は長いため息をついた。
娘には普通の女の子として、もう少し楽な道を歩いて欲しい。
それが父親としての思いだ。
「人生には他に楽しいことがいくらでもあるのに。なんで恋もまだ知らない乙女が、むさくるしい男どもの群れにまじって、汗水たらして剣を振り回さにゃいかんのだ」
「対魔専戦隊には、女性も多数在籍していると聞いてます。ムサいなんて言ったら怒られちゃいますよ」
ひねくれた物言いだが、蝋月が自分のことを心配してくれてるのは分かる。
ツバサはクスリと笑った。
「それにお父さん、わたしが恋をしたことないって、なぜそう思うんですか?」
「えっ……?」
冗談だよね?と蝋月はツバサの顔を見返した。
しかし彼女は、何も言ってくれない。
「ちょ、ちょっと待って。誰?相手は誰なの!?二条君?北川君?まさか中野君なんてことはないよね?それは斜め上に飛び過ぎだ。それとも、わたしの知らない他の誰か?」
恋って……うちのツバサちゃんに限って、と蝋月はパニックに陥った。
あまりの蝋月のうろたえぶりに、ツバサは呆れかえる。
「どうして、そこで二条隊長と北川さんの名前が出てくるんですか?」
尊敬する先輩に、不埒な視線を向けるなんてとんでもない!とツバサは抗弁した。
「それに翼さんなんて、大ハズレです!」
そういうんじゃないんだから、とツバサは言った。
「翼さんは、もっともっと、ずっといっぱい、特別なの」
ツバサは手を伸ばして、涙目になっている蝋月の頬をプニッと摘んだ。
「冗談に決まってるでしょ。わたしはまだまだ半人前の身。恋だの愛だの、浮ついたことを考えてる暇なんてないんだから」
「そうだよ。まだそういうの早いんだから!お嫁に行きたいなんていってもね、あと30年は許さないんだからねっ!!」
過保護な父親というよりは、駄々をこねている子どもだ。
「フフ、30年は長いなぁ。ちょっとまけて」
ツバサは蝋月をきゅっと抱き寄せた。
その時、蝋月の端末とツバサの携帯電話に、同時に知らせが届いた。
メールの差出人は北川だ。
彼は向こうの世界でひと仕事終え、いまこちら側へ帰ってきたところなのだ。




