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2.初対面なのは間違いない

 一間しかない中野翼のアパートの部屋。

 そこに立っているのは、紺色の制服を着た少女だった。

 

 年は十代の前半。

 身長は150センチそこそこだろう。ずいぶんと小柄だ。

 泥棒でも変質者でもなさそうな意外な侵入者の正体だった。


「え?あ……う……」


 呆然と立ち尽くす翼の姿をみとめると、彼女は真正面に向き直った。

 床に膝を付き、正座に直る。

 そして翼に向かって、深々と頭を下げた。

 翼は振り上げようとしたバッグを、ゴトリと取り落とした。


「お邪魔してます」

「…………」


 お前は誰だ?

 どうやってこの部屋に忍び込んだ? 

  聞くべきことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。


 あまりの衝撃に、翼は固まったままだ。

 突然点けられた明かりが眩しかったのだろう。少女はしぱしぱとまばたきをした。

 少女の目は赤かった。

 いや白目が充血しているという意味ではない。

 彼女のその瞳の色は、燃えるような紅だった。

 彼女の短いスカートの裾からは、眩しいほどに白い太ももがのぞいている。

 翼の目はその太ももではなく、正座をし頭を下げる彼女の後頭部に釘づけだった。

 まるで少年のような、ごく短いショートヘア。

 絹糸のように光沢のある髪は、白銀に輝く。

 銀髪と深紅の瞳。

 カラーコンタクトにウィッグ?

 いや、そんな人工的な匂いはしない。


 まったくもって日本人ばなれした外見。

 なのに彼女は流暢な日本語を話した。


「突然押し掛けてしまって、申し訳ございません」


 はにかんだ表情。

 その硬質な見た目とは裏腹に、表情はひどく幼く柔らかい。

 そのキラキラした目が言っていた。

 あなたに会えて嬉しいと。


「中野翼さん……ですよね?」

「う、うん……」

「良かった……直接ご本人にお聞きするまでは、やっぱり不安で」


 きっとこの子は、訪ねる部屋を間違えたんだ。

 名前を呼ばれてしまったことで、その可能性も消えた。


「お初にお目にかかります。わたし……」

「ちょっ、ちょっと待った!!」


 自己紹介を始めようとした少女の言葉を、翼は慌てて遮った。


「ごめん、待って。まだ……まだ僕、心の準備ができてない!」


 翼は彼女の名前を、すでに知っていた。

 この少女と翼はこれが初対面だ。それは間違いない。

 しかし翼は前に別の”場所”で、彼女を見かけたことがあった。

 彼女はいまこの場所に、決していてはならない人間だった。

 翼はその名前を確かめることが怖かった。


 ――落ち着け、落ち着け僕……

 

 まず先人の知恵に寄って、自分の頬を思い切りつねり上げた。

 よし、ちゃんと痛い。 

 この24時間、アルコールの類は摂取していない。

 どこかで幻覚剤で一服盛られた……なんてわけもないだろう。

 そうだ、これは現実だ。

 自分でも分かっている。

 こんなとっぴな夢や幻を見るほどの、想像力の持ち合せなんてない。


「…………」


 言われた通りに口を閉ざし、少女は心配そうに煩悶する翼の様子を見ている。 

 数十秒後、翼はどうにか次の言葉を絞り出した。


「君は、なんと言ったらいいか……ええっと……もしかして、すっごく遠いところから来た人だったりする?」

「はい」


 こっくりと少女はうなずく。

 そう、ここまではまだいい。

 おっかなびっくり、続けて尋ねる。


「そこは外国よりもずっと遠い、飛行機や船でもいけないところだったりしたり?」


 自分でも何をバカなことをと思う。

 彼女もこんな質問、笑い飛ばしてくれればよかったんだが。


「船ではいけない場所なのは確か……ですね」


 彼女から返ってきたのは、またしても肯定だった。

 大きく深呼吸。

 翼は覚悟を決め、核心へと切り込んだ。


「君の名前は僕と同じ、ナカノツバサ。そうだよね?」


 それを聞いた彼女の顔がパッと輝く。


「はい!わたしナカノツバサです。やっぱり翼さんもわたしのこと、知っていてくれていたんですね。感激です」


 ナカノツバサは立ち上がり、また深々と頭を下げた。


「やっと会えましたね。はじめまして中野翼さん」


 彼女は夢でも幻覚でもない、確かな実体を持った人間だ。

 いや、だからこそおかしいのだ


「君がナカノツバサなら、君は本当にあの、マンガ中からやってきたっていうの……?」


 今度はすこし間が空いた。


「わたしがいた世界は、なぜかこちらでは、ひとつの物語として認知されているようですね」


 少々回りくどい。が、確かにそれは肯定だった。

 


                 ***



 正式タイトル『Akashic&Banned Emotion――アカバネ』

 通称『アカバネ』

 週刊少年ファイブで、3か月前まで連載されていた。

 コミックは全24巻は好評発売中。

 

 内容は王道ファンタジー。

 主人公の少年が仲間とともに旅をして、敵と戦い成長していく……

 まあ、よくあるタイプの少年マンガだ。

 中野翼は視聴したことはないが、なんとTVアニメにもなったらしい。

 

 国民的人気作!ではないが、それなりの知名度のある作品だといえるだろう。

 ナカノツバサ(漢字で書けば、彼とまったく同じ中野翼)。

 彼女は『アカバネ』というマンガの中に生きる、いわゆる脇役というやつだった。



                 ***



 『アカバネ』というマンガと、登場人物のナカノツバサ。 

 その存在を中野翼に教えてくれたのは、彼のバイトの後輩だ。

 後輩は翼より3つ年下の女子高生だ。

 

 ふたりが働くのは喫茶店。

 フロアに置かれたマガジンラックには、客が自由に手に取れるよう、新聞や雑誌が常備されていた。

 そして客が読み古した雑誌類は、従業員の休憩室へと回ってくる。

 『アカバネ』が載っている週刊少年ファイブも、その古雑誌の中の一冊だった。


「中野先輩、見て見てこのマンガ。なんと、なんと、なんと!先輩と同姓同名の子が出てるんだよ」

「うん?」


 ある日の休憩時間。

 後輩は週刊ファイブのページを広げ、ぐいっと翼の顔の前につきだした。

 白黒のページの大ゴマの中には、制服姿の少女が描かれていた。

 それがナカノツバサだった。

 

 緊迫したシーン。

 ナカノツバサは仲間とふたり、巨大な魔物と対峙していた。

 彼女に寄り添うように立つのは黒髪の剣士だった。

 ナカノツバサの手に、武器らしきものは握られていない。

 敵のモンスターも味方の剣士も、いかにもファンタジー漫画の住民といった感じなのに。

 なぜこの子だけ学生服姿なんだろう?

 そんなことを思ったことをおぼえている。


 見開き2ページ。

 そのとき翼が得たのは、たったそれだけの情報量だ。


「この女の子が、ナカノツバサ?」

「そう、めさめさ美少女だしょ?こっちのツバサちゃんは、なんとわたしと同じ16歳なのだ」 


 後輩は翼と雑誌を交互に見て、いたずらっぽく笑う。

 マンガの中にいる戦う美少女のナカノツバサと、現実のこの中野翼。

 その落差がおかしいんだろう。

 週刊少年ファイブを後輩からうけとり、軽くパラパラとページをめくりながら翼は聞いてみた。


「このマンガ、人気あるの?」

「まぁまぁ」

「面白いの?」

「マジ沼」

「沼?……ああ、深くハマるほど面白いって意味ね」


 会話はそこで終わった。

 後輩の猛プッシュもむなしく、その後翼が『アカバネ』というマンガを、じっくりと読む機会もなかった。


 けれど今日、翼は彼女を目の前にして気づいた。

 目の粗い紙、マンガ雑誌のページ。

 あの日一目見たきりの彼女のことを、自分は決して忘れてはいなかった。

 

 もうマンガのキャラクターに憧れるような年じゃない。

 中野翼なんて、よくある名前だ。運命を感じるほどのことでもない。

 白黒のページの中にいたナカノツバサは華奢な体を気迫で満たし、額に汗を浮かべていた。


 そうだ、翼が記憶していたのは、彼女の名前でも顔でもない。

 敵を見据えた、そのひたむきな視線だった。

 あの時、彼女は何のために戦っていたんだろう?

 翼はなにも知らなかった。


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