12.散策
昼食を終えると、ツバサは翼を屋敷の外へ連れ出した。
街の中心部までは距離があったが、ふたりは歩いた。
腹ごなしにはちょうどいい。
よくしゃべる後見人にあてられでもしたのか、ツバサの口数は少なかった。
秋の空は高く、空気はしんと澄んでいる。
ここ東菜種ヶ原市(ひがしなたねがはらし)は、小さな街だった。
魔力という力に蝕まれ疲弊した現在と過去。
街並みにはふたつの時代の色が、完全に溶けあうことなく混在していた。
古い時代から残る建物の間に、急ごしらえの安普請が顔を出している。
街の歴史とは、人の営みの蓄積のはずだ。
しかしそんな温かみというものが、全く欠落している。
ここは遠く離れた帝都主導の都市計画が生んだ、何ともいびつな街だった。
『アカバネ』で描かれた数か月前から、さらに荒廃の度合いは進んでいる。
進行する異界化により、凶暴性を増した魔獣の侵入を防ぐため、ひとつを除き街の外へと通じる道は封鎖されている。
よどんだ空気。
街はいま静かに、死を迎えつつあるのだ。
街に残る人間の大部分は、帝国軍の兵士たちだ。
彼らとすれ違うたびに、ツバサは敬礼を交わした。
帝国軍は慢性的な人手不足だ。
見習いであるツバサも、よく軍の仕事にかりだされている。
ひとりぼっちで自習をしているよりは、楽しいとツバサは笑った。
翼も現在、帝国軍の制服姿だ。
見とがめられて、所属を聞かれたらどうしよう……しかし、そんな心配は無用だった。
ナカノツバサと連れだって歩くことが、翼の身分を保障してくれていた。
ここは剣と魔法の世界。
だが魔法を使うことのできる人間は、わずか数%に限られる。
そして魔法使いの中でも、戦闘向けの上位の魔法を扱えるものは更に少ない。
ナカノツバサは、まだ見習いという身分だ。
しかし序列を越えた一定の敬意を、彼女は一般兵士から払われていた。
翼もそんなツバサの同類とみなされたのだろう。
「これから『アカバネ』に登場した場所をご案内します。主人公の吾輝人さんも歩いた道を、歩いてみよう!というプランです」
しかしツバサは浮かない顔だ。
「でも、ごめんなさい。既にお気づきでしょうが、この街には楽しい場所なんてないんです」
ツバサが言ったその時だった。
突然、頭上から影が差した。
翼は反射的に空を見上げる。
竜だ。
現実世界の日常、遥か上空に飛ぶ旅客機を見上げるのとは、まるで違う臨場感。
竜はこの東菜種ヶ原でいちばん高い建物――城門脇の見張り塔だ――スレスレの高さを飛翔していた。
地面を歩く翼と、竜の距離は20メートルとない。
両翼のはばたきが起こした風さえも、感じたような気がした。
その金色の目、鮮やかな緑のうろこの光沢までもがよく見える。
竜は街を一周するようにゆっくりと飛び、城壁を超えていってしまった。
いったい、どこへ戻っていくのだろう?
「…………ん。あっ!ごめん」
ツバサからの視線で、翼はハッとした。
だいぶ長い時間、上を見上げて固まっていた。しかも口をポカンとあけて。
この『アカバネ』世界では、竜なんて日常風景なのだ。
まったく、異世界人丸出しの行動だ。
あの竜は、帝国軍の預かりなのだと、ツバサが説明した。
「あの竜は、この街の常駐部隊の元にいます。彼女は――そう、あの竜は女の子です――いまから2か月前に、この街にやってきました。城外に巣食う魔獣から、街を守るために」
しかし外敵から街を守るといっても、番犬と同様に考えられては困る。
竜の役目は、単純な威嚇ではない。
竜という霊獣が配されることにより、この街全体の魔力の安定が図られるのだ。
デカい!強そう!しかも飛んでる!超怖い!
本当に自分は『アカバネ』の中に来てしまったのだ。
いま、翼はそれを実感した。
「そんな顔しないで下さい。彼女が人に危害を加えるなんて、ありえません。竜はとっても優しくて、賢い生き物なんですよ」
「……あの高さから、こっちの頭の上に糞が落ちてきたら大変だ。そんな死に方だけはしたくない」
「彼女は、そんなお行儀の悪いことしません!」
ツバサに怒られてしまった。
***
ツバサが案内してくれたのは、小さな商店だった。
「ここはゆらぎ姫とキューブさんが立ち寄られたお店です」
ここが、この街の観光名所?
そんなわけはないと一目で分かる。
知らなければ行き過ぎてしまっただろう、看板も出ていない半閉店状態の店だ。
自給がままならないこの街では、食料をはじめ生活必需品は原則支給制となっている――山井蝋月の家は、もちろん例外だが――当然、商店は寂れる一方だ。
現代日本ではお目にかかることもない、閉架式のよろず屋さん。
ひやかしだけで帰るのはどうも気が引ける。
ふたりはその店で、焼き菓子を買った。
翼の世界の鈴カステラに良く似た、甘い匂いのする小麦粉の菓子だ。
紙に包まれたそれは、ほんのり温かかった。
食べたばかりの昼食は、まだしっかり腹に残っている。
しかし満腹を押して、翼もひとつ摘んでみた。なんとも素朴な味がした。
「おいしい」
「良かったぁ、喜んでもらえて。きのう翼さんのお部屋でいただいた、珍しくて美味しいお菓子のお礼には、とてもなりませんけど……」
「ん?待った。きのうって……?」
翼はツバサの話を遮った。
ツバサが彼の家にやって来たのは、2週間前のはずだ。
しかし、ツバサの認識は違う。
ツバサが現実世界の翼の部屋から、この『アカバネ』世界に戻ってきたのは昨日のこと。
そして、その日の晩のうちに翼は彼女のベッドの上に出現した。
それがツバサの認識だった。
「ふたつの世界を流れる時間の早さは違う……これにも何か意味があるのでしょうか?」
ツバサが首をひねる。
「分からないことが、またひとつ増えちゃったね」
翼がため息をついた。
まったく謎だらけだ。
歩きながらも、ツバサは菓子をつまむ手を休めなかった。
さきほどの食事で、黙々と翼以上の量を平らげていた気がするのだが。
思わず、翼は口に出して言ってしまった。
「よく食べるなぁ」
「……買い食いしたことを、お父さんと国本さんには黙っておいていただけませんか。行儀が悪いって怒られちゃう」
「言わないでおくよ」
「翼さんも、ひとつ食べたんだから共犯ですよ」
「はい、分かりました」
こんな他愛のない会話。
学園の閉鎖前には、ツバサは学友ともこうして連れだって歩いたりしていたのだろうか。
友達がいなくなってしまって、寂しいだろう。
そう聞いてみたが、返って来たのは否定だった。
「友達……ですか?……そういうのいなかったので」
そういうのって。
聞いた翼も困ってしまう。
ツバサが所属しているのは兵学校だ。
翼が知る日本の高校とは違う。
才能ある少女たちが帝国中から集められ、立派な兵士となるべく訓練を受ける場所だ。
学業と訓練から外れたものの入り込む余地なんてない。
学校行事や部活動なんてぬるいものは、ツバサの学園には存在しない。
クラスメイトは全員、友達である前にライバルだ。
けれどもそんな厳しい環境だからこそ、芽生える友情もあるだろうに……
そこまで思いめぐらせたところで、翼は気づいた。
ツバサは選りすぐられた生徒の中で、さらに抜きんでた才能を持っていた。
翼と初めて会ったあの時、ツバサは人の持つ魔力を星にたとえた。
魔力とはまさに、星のめぐり合わせで決まるのだ。
血統でも、環境でも、努力でもなく、天分だ。
鍛錬や経験によって、伸ばすことのできる能力も確かにある。
しかし生れついた魔の才を、変質させるのはとても難しい。
壁を超えてみせた、主人公・朱音吾輝人は例外中の例外だ。
朱音吾輝人たちが学園を訪れた日まで、ツバサは兄の威光で入学したと陰口を叩かれる平均点以下の生徒だった。
ツバサに劣等生のふりをすることを命じたのは、彼女の兄の中野司だ。
司が妹を学園に預けたのは、その力をコントロールするすべを学習させるためだ。
だが、司は妹に自分と同じ騎士としての道を歩ませたくはなかった。
そう、少し考えれば、ツバサに友人がいなかったわけが分かる。
ツバサは器用に演技ができるタイプではない。
自分の力を抑え込む。そのための無理が、級友たちとの間に溝を作ってしまったのだろう。
そしてツバサの実力が明らかになってからも、わだかまりは解けなかった。
級友たちは、ツバサの才能を妬んだのではない。
ツバサが、その力を隠していたことが許せなかったのだ。




