酸いも甘いも
透明な椅子に座った私は、パックに嵌められた卵みたいだ。固定されて簡単には抜け出せない。オレンジ色の瓶の淡い光が青いタッガールを半分だけ緑に変える。なんで泣きたくなるの、わかったら絶対に泣いてなんかやらないのに。
「ばっさり切っちゃって下さい、これくらいまで」
そう吐き棄て積み上げられたファッション雑誌にわざとらしく目をやる。にこやかに笑む複雑な髪型のお姉さん。そして躊躇いなく差し込まれる梳き鋏。神経が通ってないから痛みもないけど、確かに喪われて逝くものがある。黒に詰まった月日が、思い出が無残にも散っていく。それでもこの髪に付着しているであろうものには、棄てたいものが多すぎたから。
「トリートメントお付けしてもよろしいですかぁ」
「え、はい」
「あまいのかすっきりするのかどっちが良いですかぁ」
「えっと」
「あまいのがイチゴで、すっきりがオレンジですよぉ」
「あ、うーん。じゃあオレンジで」
「かしこまりましたぁ」
どちらを選ぼうが頭皮が果物の匂いになるのかと少しげんなりしたが、どんな仕上がりになるのかという期待感もあった。お姉さんが瓶のノズルを一押しすると、爽やかな香りが辺りに広まった。毛先まですぐに辿り着いてしまう長さになってしまったから、少しの量で事足りるのだと気付いて苦しくなった。
「終わりましたよぉ。後ろ、鏡でお見せしますねぇ。どうですか、よろしいですかぁ」
よろしくなくてももう取り返しがつかないんだよ、そういうことは世の中に沢山あるんだよ。
「はい、ありがとうございました」
「お顔が明るく見えますよぉ」
心の底からそう思うというように、お姉さんははしゃいだ声を出した。
「すっごくいい感じですよぉ」
そう、なんだろうか。
そうなんだろうか。
私は緩く内巻きになった髪を軽く左右に振ってみた。ふわっと文明開化のかほりがした。
帰りにケーキでも食べようかな。真っ赤な苺がちょこんと乗った懐かしい味のやつ。そうして子供のように笑うんだ。




