その6.
掃除が終わったので職員室に視聴覚室の鍵を返しにいったところ、笹塚先生に捕まった。
中身が謎なダンボール箱を、特別棟の化学準備室に持っていくのを手伝えとおっしゃる。うへぇ。
まあ、普通のお嬢さんならば「そんな重いの無理です~」とか可愛く拒否できたのだろうが、あいにく私がちょっぴり他の女子生徒より力持ちなことはバレているので、この手は使えない。
仕方ない、とっとと運んでとっとと帰ろう、と、前向きに承諾したところ、機材を持った先生と一緒に歩く羽目になった。
私は別にイケメンが好きなわけでもないが嫌いなわけでもない。サド男のせいで綺麗な顔は見慣れているのでどうとも思わない。むしろ大事なのは中身だと思う。
しかし笹塚先生は、中身も悪くない。そして本人無自覚に色気を垂れ流すので、興味なくてもクラリときそうな恐ろしさがある。正直近くにいたくないです切実に。
ああでも、自分のそちら方面に未熟な感情を鍛えてもらうには丁度いいのかもしれない。
いやいやまてまて、相手は教師。ネタで脳内擬似恋愛するにしても、相手が悪すぎだろう自分。もっともこれは脳内妄想の中での話であり、現実に教師に云々とかは全くない。
それ以前にこの笹塚先生はそういう対象にしてはいけない気がする、なんとなくだが。本能的にこの人はNGと感じる。
大学時代にホストのバイトしてたとか女社長のヒモだったとか色々な噂が流れているが、それはこの「リアル18禁」と言いたくなるような、全身から垂れ流される色気のせいだろうな多分。
服装はちょっと着崩れている感じがまた色気ダダ漏れ。特に胸元あたりが危険です。おまわりさーん、ここに危険人物いますよー。
「なんか失礼なこと考えてないか?」
元担任にジロリと睨まれ、慌てて視線を明後日の方向に向ける。やばいやばい。
しかしこの人、性格は悪くない。同じ美形でも性格悪すぎる佐々兄弟とは雲泥の差なので、結構揺らいでしまう、危険だ。
「とりあえず色気過多な男は滅びればいいと思ってます」
「何だソレ」
笹塚先生は、自分のダダ漏れの色気を自覚していない。恐ろしい話である。
女生徒にやたらモテルのは、単に自分が独身で大人でちょっとだけ顔がいいから、だと思っている。確かに顔もいいよ、ちょっとどころかすごくいいよ。でもな先生。
本気で先生はリアル18禁の怪しげな雰囲気満点なんですよ、よく採用したな校長。いや、するか。T大教育学部卒だしなこの人。
うちの高校は、県下では一、二を争う進学校である。私なんかがよく入れたなと今でも思う。勿論サド男のスパルタ教育の賜物である。
幸いその下地のお陰で、いまも授業になんとか食いついている。基礎は大事だ。恐怖とともに刻みこまれたのでそうそう忘れないあたりが、また何とも言えず。
当初の予定では、自転車通学圏内の楽な地元校に行く予定が、ヒデジの「皆で一緒の高校に行きたいねぇ」の一言で私の平穏は打ち砕かれた。
サド男はヒデジを大事にし過ぎだと思う。しかし何故サド男のランクまで私とヒデジを引きずりあげることになったのかは謎だ。正直ヒデジも私と同じ地元校を希望していたのに。
ちなみにヒデジのうっかり発言はなんと中二の頃である。それ以降、サド男が真性のサドと化した。
「一年半かければ、そこそこいけるものだな」
無事高校に合格した私達に、サド男はうんうんと頷いた。私とヒデジはこれでスパルタ教育とお別れだと、互いに涙を流し抱き合って喜んだ。うん、合格も嬉しかったんだけどね。
確かヒデジはあの時、迂闊な発言は慎むと誓ったはずだが、その誓いは未だに守られていない。奴の失言癖はもう一生このままなのだろうか。
私が必死で笹塚先生の色気に籠絡されないように他所事を考えていると、やっと化学準備室に辿り着いた。
これでお役ゴメンだとばかりに、荷物置いて立ち去ろうとしたら何故か手首を掴まれた。
「まあまあ、どうせ部活もやってないし用事ないだろ? お礼にコーヒーでもいれてやるよ」
そういって、隣りの化学教官室に連れ込まれた。ひい。
予想外の展開に、教官室のパイプ椅子上で凍りついている私とは対照的に、笹塚先生は呑気に鼻歌なぞ歌いながらインスタントコーヒーを淹れていた。
とりあえず、目の前の教師は基本的に学生には興味ないと言い切っているので、この場合危険なのは私だ。この駄々漏れ色気にあてられて妙なことしでかさなきゃいいけど。
出されたコーヒーに砂糖とミルクを入れる。砂糖は二杯だ。正直コーヒーは苦手なのだが、出されたものはいただかなければならない。なので少しでも苦味を消したくて砂糖二杯。紅茶だと私はノンシュガーなんだぜ。
とっとと飲んでとっとと逃げようと決意している私に、笹塚先生はちょっとためらいながら話を切り出した。
「なあ浦河。お前この間春名と一緒にいるのを見かけたんだが、友達なのか?」
おや、意外にも春名さんの話題でしたか。それならば
「はい、そうですが、それが何か」
「いや、あの転校生な……なんというかこう、危なっかしい感じがするから、お前みたいな妙な奴が傍にいたら落ち着くかな、と」
「どういう意味ですか」
色々文句を言いたい部分の多い発言だが、それは横においておこう。
「ほれ、お前とは対照的に儚げというか、妙に現実感がないというか、そのままだと消えちまう危うさがあるだろう」
対照的で悪かったな。つまりあれか、私はどっしりしててそう簡単には消えないたくましさがあるということか。別にいいだろうそんなこと。
「そうですか? 普通によく笑う娘さんだと思いますけどね」
お昼は勿論のこと、サド男が春名さんへの気持ちを自覚して以来、なんだかんだと理由をつけては四人でよく遊んでいる。
最初の頃こそ少し戸惑っていた春名さんだが、最近はよく笑うようになった。ツッコミの仕方も私が色々レクチャーして、サド男に私が殴られている日々だ。
「ふむ。お前といるとそうなのか。まあ佐々も、お前や赤川といると雰囲気変わるしな」
それはサド男がドS全開モードになるからですかね先生。
「まあ奴は巨大な猫を被るのが得意ですからね」
「猫、まあそうだな。他人が自分の内に入るのを極端に嫌うタイプだな、あくまで表面的な付き合いで終わらせようとする。あ、お前らは例外な。がっつり内側に入り込んでるし」
ふと、先日のサド男ファンクラブの彼女たちの発言を思い出した。
サド男と喋れるのは私と春名さんくらいだ、とか、正面から見つめられたら会話どころか緊張して言葉も出なくなる、とか。
何言ってんだこの人達、と思っていたが、そういえば奴は人見知りが激しい。むしろ、よくあんなに早く春名さんに打ち解けられたことの方が驚きだった。
「佐々は、お前らがいるから救われてると思うぞ。本音晒して莫迦できる仲間ってのは貴重なんだ。お前らがいなかったら佐々も多分、今の春名みたく、どこか浮世離れした危うさを持ったままだったろうし」
何処か浮世離れしてる危うさ、とは何なんですか先生。サド男は単に頭のすこぶるよろしいどSなだけだと思うんですが。いやそれ以前に
「なんか、笹塚先生の中では、ささやんと春名さんが似たもの同士な印象なんですか?」
「と、いうより、お前らが傍にいなかった場合の女版佐々だろうあれは。あの美貌と纏う空気、異質で異端、多分もっと本質的なところでそっくりだと思うぜ」
女版サド男、と言われて私が受けた衝撃はいかほどのものだったか、ご想像に難くないと思われる。
いやいや、ないわ。春名さんのどこがサド男と似てるのさ。あの外道っぷりを知らないからそんなことを言えるんだよ先生。
「いやあ、似てませんて。春名さんは可愛くてなんか構い倒したい衝動があるけど、サド男は殴って踏みにじりたい衝動に駆られるし」
そして倍返しされるんですねわかってます。だからやらない。
「それはまあそれまでの環境のせいだろ。お前らがガキの頃から四六時中傍にいてつるんでたらそりゃ染まるわ」
気のせいだろうか、何やらボロクソに言われている気がするのだが。
「むくれるなって、褒めてるんだから。あのままだと"冷たいお人形"になるしかなかった奴を、人間にしたのは間違いなくお前らだからな」
ふと、違和感を感じた。なんでだろう、笹塚先生の言動はまるで
「先生はもしかして、昔からささやんを知ってましたか?」
私の問いに、先生は肩を竦めて同意した。
「ああ、家の関係で、あいつが赤ん坊の頃から知ってるよ。だからあの無気質無表情無感動なクソガキだったあいつが、お前らといる時だけ普通の感情豊かな悪ガキになってるのをみて、すげぇたまげた記憶がある」
サド男は昔から感情豊かだった記憶があるのだが、はてこれは笹塚先生の記憶違いだろうか。
それとも、私達がいる時といない時とでは、サド男はまるで別人だったのだろうか。だとしたら器用だなサド男。
「春名は、多分俺達にみせている笑顔は、表面だけのものだ。あれは本質的に佐々と同類だ。だからこそ、お前らが春名にまとわりついているのは、彼女にとってよい転機になるだろう。多分佐々も気づいてるんじゃないのか?」
「ささやんが、何に?」
「だから、春名が自分と同じ存在だってことさ。多分春名のことは、佐々が一番理解できるだろう」
何故だろう。私は、先生の言葉を否定しながらも、それを心の何処かで肯定している自分に気づいた。
春名さんとサド男は本質的に似ている。そして、サド男はナルシストだ。
だとすれば、惹かれて当然なのだ。だが待て、春名さんの気持ちはどうなんだろう。本質的に似ているというこの二人は、だとしたら。
彼女は今ヒデジと付き合っている。
なのにまさか、実はサド男に惹かれているとかそんな莫迦なこと……いやいや落ち着け自分、笹塚先生の言葉に引きずられてどうする。
「知恵熱がでそうです先生」
「いやそこまで真面目に考えこまなくてもいいんだぞ?! 単に、お前らが普段通りに春名の傍にいれば、多分春名ももう少し周囲に打ち解けられるようになるんじゃないかってだけで。あいつ、クラスで浮いてるんだよな。赤川が色々とフォローしてるみたいだけど」
あの転校生なんか不気味なのよ、そう先輩は言った。
私には今でもよくわからない。春名さんは、私達といると大概吃驚するかどん引きして一歩下がるか、一緒になって笑っているかのどれかだから。しかし最近慣れてきたのか、私とサド男が突然殴り合いをしても笑っているようになった。いいのか悪いのか。
「むしろ私達といることで、妙な方向で耐性を付けさせてしまった気がしてなりません」
「お前……いや、まあ、うん。必要な変化だろうと思っておくよ」
必要なのか、暴力への耐性って。
仮にも相手は教師なので、そのあたりの詳細は口にしなかったが。じゃれあいとはいえ生徒が殴りあうとか色々問題アリだろう。
お前も一応仮にも女だし、同性として春名のフォローをしてやれ。と、何やら色々不愉快な言動を残して会話は終わった。
どうせ『一応』『仮にも』程度な女ですよ。自覚してるよそのくらい。