その4.
日曜日。私は家まで迎えに来たサド男によって、抵抗虚しく映画館に連行された。
カップルシートは全力で反対した。「照れてるんだ」とかいうんじゃないサド男。心の底から嫌がっているんだ。判ってるだろうが貴様。
春名さんにはシャイなのだと誤解された。違う、何かが違う。
まあどうせ偽カップルだし、一緒にいるのはいつものことなので別に今更演技することもなく、結局自然体でいればいいと割り切ることにした。
どうせ学校では未だにバレてない。というか、別に今までも一緒にいたので、今更誰も気にしてないともいう。
ちなみに選んだ映画は、春名さんの希望により恋愛物だった。気づくと寝てたので内容は覚えていない。
ヒデジもサド男も、間違いなく私が寝ると踏んで、春名さんから一番遠い席にされた。そして終了直前にサド男によって起こされた。
事前に口を塞いだ状態で襟首に小さい氷を落とすという、実に鬼のような所業である。叫びそうになったが口を塞がれていたので叫べなかった上、上半身に覆いかぶさるように抑えこまれていたので、暴れることもできなかった。
映画も終わり、昼食を手近なファミレスで済ませようという話になった。
当然ヒデジの横には春名さん、私の横にはサド男が来た。
案内してくれたおねえさんがサド男に色目を使っていたが、サド男は意にも介さず春名さんにメニューをすすめた。お前ね、それヒデジの仕事だからね。
水を置きにきた人と注文を取りに来た人は別人だった。どうも向こうの裏方ではちょっと騒ぎが起きている気配だ。モテるなサド男。しかし性格は悪いぞ、いいのかおねえさん方。
適当に注文を済ませ、映画の感想の話になり、私は沈黙した。うん、記憶ないね。寝てたし。
この時、春名さんが凄い勘違いをしていることが判明した。
映画が終わってふとこちらを見たら、サド男が私に覆いかぶさってキスしていた、とか、そんな有り得ない。誤解です誤解。
実際は単に起こそうとしてただけで、しかも方法が方法なだけに叫んだり暴れたりしないよう抑えこまれていただけでしてね?
ああ、確かに声がでなくてムームー騒いでいたけどさ。それキスしてたわけじゃなくて、手で口を塞がれてただけだからね。
むしろ私の様をみて嘲笑ってたからねサド男。
そう言い訳したかったが、先にサド男によって口を塞がれたのでそれもかなわず。
「ごめん、彼女照れちゃって。俺も抑えられなかったし」
貴様が抑えきれなかったのはサド心だろうがよ。
みろ、ヒデジが「信じられない」と言わんばかりにこちらを凝視しているじゃないか。私は眼で訴える。違うぞ、こいつがそんな真似するはずないだろう。
どう状況を打開するか思案していたら、注文していた品がドカドカとテーブルの上に並べられる。ああ、うん。まずはご飯だよね。
結局その話題はそれで終わった。ヒデジの視線が痛いが、わざわざ蒸し返して更に状況を悪化させるのも嫌なので黙っていた。どうせ確実にサド男に妨害されるだろうしな。
その後も会話でサド男はさりげなく私と付き合っていることを強調し、私はもはや勝手にしてくれと会話に参加せずフリードリンクを楽しんでいた。
何やらヒデジがずっとショックを受けている感じがしたが、誤解だから。違うから。私とサド男は決してそんな関係ではない。偽カップルだけれども。
ヒデジは春名さんを送っていくとのことで途中で電車を降り、私とサド男はそのまま家路についた。
「ヒデジがずっとショックを受けてたんだけど、いつまでこの嘘を続けるつもり?」
「ああ、うん。そうだな。貴様への罪の意識は欠片もないが、秀治へは罪悪感が半端ないな」
そこは少しでも罪の意識を感じてほしいものだ。切実に。こいつの中の私の立ち位置って一体どうなっているのだろうか。
「あのさあ、私がいうのも何だけど、嘘は重ねれば重ねるほど辛くなるよ?」
「…………ああ、判っている」
いや判ってねぇだろ絶対。逃げても事態は好転しないぞこの野郎。
それでも、サド男は春名さんと話せて嬉しそうだった。こんなサド男は初めてみた。
基本、他人は全て自分以下、な、この俺様傲慢不遜男が、である。
「何度も言うけど、カラオケ位なら付き合うから、でかい声で叫びたいときはいつでもいいなよ」
付き合うのはカラオケであって、男女交際では断じてない。
「ああ」
サド男は心ここにあらず、といった感じだった。そんなに好きなのか。私にはよくわからない感情だ。
こういう時に理屈は通じない。結局、心が満足するまで付き合うしかないのだろう。やれやれ、面倒な男だ。私のあつい友情に感謝するがいいよ本気で。
この時はそう思った。多分映画だけではなくご飯もおごってもらったので、殊勝な気になったというのもある。
しかしそれも、後日、学校にてサド男のファンクラブからの呼び出しを受けた時点で霧散した。
同学年に上級生から下級生まで勢ぞろいだ。さて何を言われるかと、ポケットにICレコーダーを潜ませて覚悟して出向いたところ、
「なんなのあの転校生!」
開口一番、予想外な言葉が飛び出してきた。あれ?
「私達の佐々君や赤川君に、いきなり馴れ馴れしいのよあの子!」
いつから君たちのモノになったのだろうか、あの二人。否、問題はそこでなく。
「ええと、お話が見えない」
「だから! 最近あのお二方に纏わり付いてる転校生よ! ちょっと美少女だからって生意気よ!」
春名さんのことであろう。
むしろ、あの二人が彼女に纏わり付いてるんじゃなかろうか、と思ったが、命の危険を感じるので黙っておく。
どうやらまだ私とサド男が偽カップルになっているという情報が流れたわけではないらしい。しかしそれも時間の問題。さてどうするか。
彼女たちの話というか愚痴を聞いてみると、どうも春名さんはあの二人だけではなく、上級生のアイドル、生徒会長や、その親友、更に下級生では子犬系美少年とかとも親しくなっていたらしい。
まああれだけの美少女、男の方が寄り付くわなあ。
「それだけじゃないの! 笹塚先生にまで色目使ってるのよあの転校生!」
笹塚先生とは、何でこんな片田舎の教師やってんだよ、と聞きたくなるくらい無駄に大人の色気を周囲に振りまく、危険な二十七歳教師である。もっとも、生徒に手を出したことはない。実態はむしろ真面目な先生である。無駄に色気垂れ流してるけど、実は本人自覚がない模様。
ふと気づいてみれば、こんな田舎の高校の割には結構美形が揃ってますねうちの学校。意外、意外。それとも田舎だから基準が下がっているのか。この程度なら都会にはゴロゴロいるのか。謎だ。
「ってことよ、分かった?! 浦河さん」
「は、はい?!」
いかん、他所事考えてて声が裏返ってしまった。話を聞いてないのがバレバレだ。
「聞いてなかったわね?」
ギロリ、と先輩方に睨まれた。怖い。先輩超怖い。
「はい、すみません」
こういう場合は正直に謝るが吉である。あ、先輩が毒気を抜かれた顔になった。
「はあ。まあいいわ。とりあえず浦河さん。私達があなたに頼みたいことはただひとつ」
え、頼み事? 嫌だな。とんでもないこと言い出さなきゃいいけど。
「はあ、なんでしょう」
「こうなったらせめて、佐々君だけでも彼女に渡さないでほしいの!」
無理です。奴は既に陥落しています。
そう言えればいいのに言えないこのジレンマ。
「へ。どうやって」
「だから、先手必勝で、もういっそあなたが佐々君と付き合えばいいのよ」
「 」
最近、予想外のご意見をぶつけられた結果、思考が真っ白になる経験をよくしている気がする。
今、冗談抜きで私は真っ白になった。
「ほぇ? は? あの、どこからそんな突飛な発想が」
どうしたのだろう、壊れたのだろうか先輩方。
「私達とて嫌に決まってるわよ! でも、あの転校生なんか不気味なのよ。対抗できるような人物といったら、あなたしかいないでしょう。もともと仲いいし」
不気味って。別に普通のお嬢さんでしたけどね。てか、対抗って。
「むしろ先輩方が積極的にサ……さやんに迫ったらどうでしょうか」
あぶねぇ。素でサド男と口走るとこだった。
「佐々君が相手にしてくれるわけがないでしょう。あの佐々君と喋れる女子なんて、あなたとあの転校生くらいなものよ」
なんでだ。別にサド男は女嫌いというわけではなかろうに。
私の疑問に下級生が答えてくれた。曰く、美しすぎて正面から見つめられたら会話どころか緊張して言葉も出なくなるそうな。なんだそれ。
まあ確かに見目麗しいかもしれんが、中身は普通の高校生だぞ。嫌味でどSな俺様だけどさ。
私が唖然としていると、先輩方は勝手にまとめに入った。
「あなたなら、ちょっと否かなり変だけど、佐々君が凄く自然体で接しているから、もの凄く悔しいけれどまあ納得できるのよ」
「ということで! 私達はあなたを応援しているし期待しているわ。決してあんなぽっと出の転校生に取られちゃだめよ!」
いやあの、ちょっと待って下さい先輩方。何かが違うと思うんだよ!?
「応援しています先輩。どうか、私達の憧れの君をあんな女に渡さないでください」
「よろしくお願いします!」
「同学年のよしみでサポートするから、頑張って!」
なんという四面楚歌。救いはないんですか。
結局、私は彼女たちを説得する言葉を見いだせず、わけのわからん任務を背負い込む羽目になった。
そしてふと気づく。これは自分にとって好都合なのではないのかと。
だって今私は奴と偽カップル。偽だけど。
普段なら今の先輩方によって抹殺対象とされるところを、むしろ公認で偽になっていられるわけで。
ああ、うん、嬉しくない。
それもこれも、全部サド男が悪い。私はそう結論付けて、見かけたサド男の脹脛を蹴り飛ばし、ヘッドロックの反撃を食らった。