第三章ー1
遅くなってすみませんでした。
これからは定期的に投稿して行きますので、どうか最後まで、お付き合いください。
第三章 オアシス
1
日曜日の午後七時半。ボクは東西南の家に来ていた。白で統一された一階建ての平屋。お風呂を覗きに来たわけではない。ストーカー行為でもない。ひと眼会いに来たのでもない。事情を訊きに来たのだ。こうやってふたりっきりで会うのは初めてなので正直ドキドキしている。南先輩はいつも誰かといっしょにいる。いっしょにいるというより誰かが追従している。移動時間や休み時間を少しでも南と過ごしたいと思う女生徒はかなり多い。それは同級生、下級生問わず。それに、南先輩は部活に没頭していて、いつも誰かといるか、練習をしているかのどちらかだった。だからこうやって家まで赴いたのだ。
「あら、どうしたの。ひとり? 蘭ちゃんは」
飾り気のない笑顔、白いTシャツに短パン姿で南先輩が出てきた。ああ、やっぱり綺麗だ、とボクは思った。柔和な雰囲気が心地良い。人気の理由のひとつがわかった。
「今日はひとりですよ。ちょっと訊きたいことがありまして。実はリンが死んだ日、南先輩を見かけたという情報が入ったんです、時間は午後八時過ぎ、そんな時間にいったい何をしていたのかな、と思いまして」
しばらくの間があり、やがて、ちょっと待っててね、と云い残して南先輩は扉を閉めて姿を消した。
それからニ、三分ほどして戻ってきたとき、彼女は外套をはおっていた。
「場所を変えましょう」「何処へ行くんですか?」「いいところよ。ちょっと後ろ向いて」云われるまま振り返ると、「驚いてパニック起こして暴れないでね」と忠告して南先輩がボクを抱きしめた。え? 南先輩ってボクのこと好きだったの? え? それはうれしいけどこんなところを蘭に見られたら間違いなく殺されるボクだけじゃなく南先輩も危ない蘭は一応ネコだからトリを襲うしネコだからすばやいしネコだからけっこうハンターだしとパニックを起こしていたら、飛んだ。
足が地面からふわりと浮いた。見る間に大地が離れていく。それは乗り物によって飛び上がるのとは違った。飛ぶというより浮く。浮くというより地面が離れていく感じ。
すばらしい体験だった。想像を絶する世界だった。
人間はなんてちっぽけで懸命でいじらしいのだろうか。米粒ほどの大きさになった地上の人々、米粒のひとつひとつが必死に生きている。ここは神の場所。
ああなんて地球。
ひんやりとした風がボクの頬を撫でる。撫でたあと、行ってらっしゃいと手を振る。
ボクを迎え入れた雲、包んでくれた雲。みんなボクの初体験を応援している。
映画『ピンポン』で窪塚洋介がアイキャンフライと云って心は飛んだけど身体は落下したのをボクは両方得ている。
ボクは、飛んでいる。
すばらしき時間は瞬く間に過ぎ去り、ボクらは高層ビルの屋上へと降り立った。三十階建てくらいだろうか。感動のあまり何所をどう飛んだのかよく見ていなかったけれど、おそらく隣町のゲーム会社のビルだろう。
南先輩はボクの右側に腰を下ろして、遠くを眺めながら云った。
「ここね。私のお気に入りの場所なの。空の旅、どうだった?」「最高でしたよ、ありがとうございます。トリがみんなに嫉妬されるのも無理はないと思いました。やっぱり、空を飛べるということは、自由を感じますね」「そうね。重力からの解放。しがらみからの離脱。地球からの自由」「そうそれです。しょせん人間は地球の囚われ人、だけど……なんて云うか、地球と対等になったような感覚でした」「でも、地球からは出られないんだけどね」と笑顔で返す南先輩。
風がボボボボとボクたちの会話を邪魔している。うるさい。この幻想的な時間を壊さないでくれ。ビルのはるか下からポツポツとボクたちを見上げているいくつもの黄色や青や赤の眼。ボクたちをそっとしておいてくれ。
そこでふと、背筋に冷たいモノが走った。
ボクの心の芯に浮かんできたのは、恐れ。不安。そして、警告。
何故、南先輩はボクをこんなところに連れてきたのだろうか、という疑問。
「それじゃあ本題に入ろうか」と、彼女がボクに視線をよこした。薄暗いビルの頂上。彼女の眼の色はよく見えない。どんな気持ちをはらんでいるのかわからない。だけどボクはなんとか『怯え』を悟られないように、彼女の眼を真っ直ぐに見据えた。
「恵造くんは、私を疑っているの?」「いえ、そんなことはありません。ただ、目撃情報があったのでその真意を確かめようと思っているだけです。あんな時間に学校で何をしていたのですか?」「………………」
ボクは彼女の返事を待った。しかし、いっこうに口を開こうとしない。何故だ? 何故口を閉ざしているのだ? 答えられない何か、つまり彼女は、今回の件に関与しているのか?
「それは、今は云えない。でもこれだけは信じて。私はリンを殺していない」
はい信じます、もちろん信じます、とは素直に思えない。やっぱり心にしこりが残る。蘭の云ったとおり、トリ(南先輩)がリンを天井まで連れて行き、チョコレートを食べさせ、夢中になっているリンに気づかれないように南先輩はこっそりと下りる。鉄筋にぶら下がりチョコレートを食べ終えたところで下ろしてと云うが南先輩は無視。やがて力尽きてリンは落下。と、こういうわけなのか? いや違う、ともボクは思う。その疑いを疑いではないと納得するために、確信するために、ボクは南先輩に云う。
「話しは変わりますが、獣人化現象っていったい何故起こったのでしょうか? まあ、そのうち専門家やら科学者やら素人がピコーンと謎を解くのでしょうけど、南先輩はどう思います? それと、トリ化して、やっぱりうれしいですか?」
南先輩はその質問に笑顔で答えた。
「私はトリに選ばれたのかしらね……ずう~っと、空を飛びたいって思っていたから。その願いをかなえてくれた、それって、つまり獣人化現象って、神様が私たちに与えてくれたプレゼントだと思う。男性は力が強いし世界を引っ張っている。差別がおおやけには囁かれなくなってはいるけど、根底にはくすぶっていると思うの。だってそうじゃない? 女性初の何々、女性初の快挙、これらの言葉って、けっきょくのところ女性を下に見ているのと同じだと思うの。男性初の快挙という言葉はあまり聞かないものね。そんな、不遇の女性たちに神様はチャンスをくれた。それが、この獣人化現象。私はそう思っている」
ボクは獣人化現象を罰やら天災やら人災と考えていた。ああ、なんて南先輩。そんな解釈があったなんて。
「獣人となって、普通の女の子ではなくなって、それでも私は感謝している」
正直、彼女の言葉に感銘を受けた。
感銘……①忘れられないほど深く感動すること ②日常会話ではまず耳にしない言葉。③これを口にするとまず小説が好きなんだ、もしくは、この人なに行ってるかわからない、と思われること
ボクの内で南先輩が犯人である可能性がほぼ消えた。それもそのはず、意味のある根拠はもともとなかったのだから。
女性ならではの感性――その言葉は女性差別となるかもしれない――が南先輩から感じられたからだ。彼女ならではの言葉、彼女ならではの想い、それらがなければ決して口に出来ない言葉であっただろう。そういう気持ちを少しでも持っていない者ならば、脳内にも浮かばないだろう。だからボクは南先輩を信じる。いや、信じようと思う。
今はもう、足元に広がる小さな光たち、ビュウビュウと身体を叩く風も、恐れを運んでこない。高いところに連れてこられた理由に対する不安は、強い風に飛ばされて行った。
じゃあ、いったい犯人は誰なのだろう?
ふと、脳裏によぎった疑問をボクは南先輩に問う。
「そういえば南先輩、夜なのに眼は見えるんですか?」「私はワシだから一応見えるのよ」「ワシだったんですね」「たぶんね」「え? たぶんってどういう意味ですか?」「もしかしたらタカかもしれない。ワシとタカの違いって大きさだけなの。大きければワシ、小さければタカなの」「意味がわからないんですけど」「ワシも、タカ目タカ科に属するのよ」「なんだかはっきりしない種ですね」「まあどっちでもいいんだけどね。私は背が高いでしょ、だからワシかなって」「それにしても、フクロウ以外でも夜目がきくトリっているんですね」「『渡り』だからね」「はあ」「でも引っ越しや転校はしないわよ。面倒くさいし」「はあ、それはなによりです」
何がなによりなんだかわからないけどこのとき脳裏をよぎった疑問の答えはわかった。
そして同時に、ボクが信じたものは、音もなく消え去った。再び、不安が蘇る。阿仁角高校に、南先輩以外にワシはいない、それにタカもいない、それからフクロウもいないのだから。
体育館の暗い中、犯行は行われたはずだ、という推測。そういう状況で行える人物。それを考えると、南先輩がまた灰色に変わった。
つづく