第八章ー3
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ボクの脳裏に今までの事件が繰り返し再生される。
矛盾点がジレンマとなって脳髄を震わす。相容れないものは何をしたって相容れないと理解することによってひとつに帰着する。深読みしすぎていた。犯人に上手く転がされていた。そう、事件は一貫していなかった、それを素直に受け入れていればよかったのだ。阿仁角高校を恐怖に震え上がらせた事件は、二種類の犯行が同時に行われていたのだ。
舞亜に事件の真相をつかんでいるのかと訊いたとき、こう答えていた。
『すべてではない。半分だ』と。
リンが死んでしまった日、《かっこいい男を見た》と空子は云った。
兵児は上空で死んでいる。河口院もまた空から落とされたように見える。
云いかえれば上空ですでに死は確定していたことになる。
時鮫空子と白家まよいのふたりは宙で死んだ。外向リンもまた上空で死は確定していた。
一見、同じように見えるそれらの事件の違いは何だ?
それは、《歪み》があるか無いかの違い。
外向リン、時鮫空子、白家まよい、三人の死は加工されている。
兵児、河口院、頭部の違いがあるとはいえ、ふたりの死は純粋だ。
犯人は別人。
兵児と河口院は貫井可子が殺した。いや、可子と他の人格の仕業だ。
じゃあ、リンたちは誰が?
リンたちの死はトリの犯行のように見える。しかし、リンの場合は天井にチョコレートを仕掛けられていた。空子とまよいの場合は、ふたりの足首に不審な絞め跡があった。これは何を意味する?
トリだとあり得ないような状況が存在した。
トリだと意味のないような痕跡があった。
だから他の動物、とボクはちらりと考えた。しかもそれをさらに裏読みして、トリではないとトリは思わせようとしている、と。実際はそうではなかった。もうひとつ手前かさらに裏だったのだ。
不審な跡はワザとつけたのではなく、つけざるを得なかったのだ。そう、ロープがあればすべての説明がつく。
それから、香り。
犯人は、香りを残したのではなく、残してしまった。
このにおい、ボクは知っている。思い出せ。違和感を見つけろ。
不審な行動をちらつかせていた者――居た。
導き出される人物は、ひとりしかいない。
ボクは矢野未をじっと見据えた。
「ここは、富良野先生の家なんだね?」
もうひとつ思い当たる節がある。確固たるモノにするため、ボクは続けて問う。
「それから富良野先生は、本当は男性だ。そうじゃないかい? 矢野未さん」
眼を見開き、口をパクパクさせる南先輩とは違い、矢野未は大声で笑い出した。
「あはははは。富良野は女もうらやむ美貌なのによくわかったわね。でも私は、ちょっとした知り合いから聞いたの。『あの人は以前、同じお店で働いていたのよ』――とね。それがどんなお店だったか知ってる? あはははは」
危機迫るような、狂ったような形相で、矢野未は続ける。
「それでも私は半信半疑だった。だからハッタリをきかせたの。『富良野先生、私、先生の秘密を知っています。本当は男の方だったんですね。でも誰かに云いふらしたりなんてしないわ。だって私、先生のことが好きなんですもの。でも私には悩みがあるんです。最近、彼氏が冷たくなって、欲しいバッグを買ってもらえないの』てね。先生ったら、おこづかいあげるから家においで、だって。バカよね。あはははは」
バカはお前だ、と思ったけど口にはしない。
「富良野先生が男だと何で気づいたの?」と、南先輩が不安げな声でボクに問う。まだ自分の内で現実を整理できていないのだろう。
「便座が上がっていたんです。外蓋も内側もぜんぶ。ボクと父さんは母親によくこう云われました。『終わったら蓋をしなさい』と。両方を上げたままにするのは、男だけなんです。それもそうです。いちいち蓋を上げ下げするのは面倒ですからね。富良野先生は独り者だと聞きました。彼氏もいないそうです。そうすると、何故便座が上がったままだったのでしょう」
「掃除でもしてたんじゃないかしら?」と、南先輩。
「その可能性はあります。それでも不可解な部分があります。ここのお手洗いには、ゴミ箱が置かれていないのです。女性はイロイロな意味でゴミ箱を必要とします。だから小さいながらも片隅に置くはずです。でもここにはそれがない。そして、お手洗いの何処にも、生理用品がなかった。そう、男なら、ゴミ箱も生理用品もいらないのです。それでも確実にそうとは云い切れなかったので、ボクは、矢野未に鎌を掛けてみたのです。富良野先生は男じゃないのか?――と。獣人と化した女性ならば、手の込んだ細工など必要なかった。そしてこのにおい。保健室です。この香りを嗅いだのは。外向リン、時鮫空子、白家まよいの三人を殺害した犯人は、富良野先生です」
先生はボクがリンの様子を尋ねたとき、前日のことなのに、左上を見上げて必死に思いだそうとしていた。それは記憶をたどっていたのではなく、警察に伝えた言葉を一語一句、思い出していたのだ。
そして、ボクと蘭が家に来たときは、追いだしたくて説教をしたのだ。
「富良野は何処へ行ったの?」
急にうろたえだす矢野未。その顔は、映画『スクリーム』で犯人を知ったときのネーヴ・キャンベルのように見えた。
「私たちがここへ来たときにはいたんだけど。それから恵造くんの容態を確認して、少し横になっていればすぐ良くなると云って部屋を出て行った」
「何処に行ったのよ!」
「知らないわ」
「私はもしかして……」
やっと気づいたか、とボクはあとを続ける。
「殺される、予定だったんだよ」
部屋の中が凍りつく。だけどボクは負けずに言葉を奮い立たせる。
「ボクたちという予想外の客が現れて、逃げたのか、もしくはまだ何所かで、虎視眈々(こしたんたん)と狙っている」
ヒイッ! と、矢野未は部屋から逃げ出す。
「待て!」というボクの声はしかし届かない。彼女を追いかけてボクも部屋を出る。矢野未は真っ直ぐ出口へと走る。眼の前に広いリビング・ダイニング、右手の白い壁には厳かにこちらを睨んでいる誰だかわからないおっさんの肖像画、茶色の長テーブルと薄いテレビが絵の反対側に。出口への短い通路上に、乱雑に積まれた雑誌。矢野未はそれを避けるため足元へ注意を払った。だけどボクは違和感に気づいた。以前、ここへ来たときは、奇麗に整頓されていたことに。
「罠だ!」と叫んだときにはすでに遅かった。
天井に仕掛けられていた先端が輪になったロープがブツンと落ちて矢野未の首に巻きつく。
ピンと張り巡らせたロープが引かれて矢野未は後方に倒れてさらに引きずられる。
ロープは隣の部屋から伸びている。彼女――否、彼が今このとき、矢野未を殺そうとロープを引っ張っているのだ。ボクはすかさず駆け出して身体をすぐ右へターンさせて矢野未を救おうとスライディング、が間に合わず、矢野未の身体は部屋の中へと吸い込まれた。すぐさまバタンとドアが閉じられる。
駆けつけてきてボクを助け起こす南先輩に向かってボクは云う。
「隣に富良野先生がいます。止めないと矢野未が」
南先輩は力強くうなずいてすぐさま駆け出した。それを見てボクは感心する。やっぱり先輩はすばらしい人だ。最悪な過去を知る矢野未を救ってもなんの利益もない。むしろ居なくなってしまったほうが南先輩にとっては都合がいいはずだ。だけど先輩は躊躇することなく駆けて行った。それは、ボクには信じられないし、深い包容力を持っているということで感心させられた。だけど今は見とれている時間はない。急いで立ち上がり追いかける。中に足を踏み入れた瞬間、南先輩は窓から外へ消えて行くところだった。冷静に、ボクは室内を観察した。
ロープはカーテンレールの隙間を通してすべらせていたのだ。矢野未は引きずられ窓の前で持ち上げられ、その勢いで外へと投げ出されたのだ。救うために南先輩は外へ飛び出したのだ。そして、つながれたロープの先には――。
富良野はボクのすぐ右側にいた。
ゆっくりと視線を外からボクへと移す。先生の顔に浮かぶ笑顔は不自然なほど自然だった。
「先生、もうやめてください」
その言葉に富良野はニヤリと口を開け、固く握りしめていた手を、パッと離した。シュルシュルとロープが離れていく、が、すぐにピタリと止まり、窓の外から南先輩の声が響く。
「こっちは大丈夫。矢野未は無事よ!」
ノゼゾマオズル~! それまでの笑顔が一変し、意味不明の言葉を叫びながら富良野がボクに襲い掛かった。それは一瞬の出来事で、どうすることも出来ず両手で首をつかまれた。
ものすごい握力だった。血走った眼がボクの瞳を睨んでいる。グイグイとボクの身体を揺さぶり、その都度、指が首の肉の中に食い込んでくる。軌道を圧迫されて、助けを呼ぶことも出来ない。
すぐに辺りが暗くなり、ボクは、深い闇の中へと落ちて行った。
つづく




