第八章ー2
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酸素が美味しい。酸素が心地いい。酸素が快感。酸素様ありがとう。眼を覚ますと円形の蛍光灯がボクを照らしていた。やけに明るく感じる。ふかふかのベッド、もう少し寝ていたかったけどそうもいかず、眼を細めながら上半身を上げた。隣に顔色を蒼白にした南先輩がいてボクの顔を覗いていた。
「大丈夫? とても心配したんだから」
「ええ、大丈夫です。何があったんですか?」
南先輩は大きな息を吐いて背もたれに体重をあずけた。
「酸欠を起こしたんでしょうね。唇は紫色になっていたし意識障害も見られた」
可子がボクを上空に放り投げるとき喉の気道を痛めたのだろう。それでうまく吸い込めなくて酸素を欠乏したのかな。気を失う瞬間、もしかしたら南先輩はボクを殺そうとしているんじゃないだろうか、といった不安がよぎったが、どうやらそれは勘違いのようで安心した。安心すると、次は、ここはいったい何処だ? という疑問が浮上した。もしかして南先輩の寝室? うわお! などとドキバクしている場合ではない。
「可子は?」と、掛け布団を払いのけベッドから起き上がる。するとグラグラグニョグニョ世界が回る。まだダメよ、という声がはるか遠くから聞こえる。もう遅いですよだって立ってしまったのだから、と思っていたら喉の奥からすっぱい液体がグポグポ。部屋中に充満する柑橘系の甘い香りも吐き気に拍車をかけている。よろよろと部屋を抜け出しトイレを探す。トイレというのは何処の家でも入り口が狭いのが大半だと信じていたので迷わず見つかる。中に入り便座の前に跪いてゲロゲロしてお口の汚れをトイレットペーパーで拭き拭きしてザシャーと流して濡れた口をもう一度トイレットペーパーで拭き拭きして、丸く固めたトイレットペーパーを捨てようとしてちょっと困る。そこであれれ? と思う。しばらく待って水が再補給されたところで丸めたペーパーをザシャーと流す。この一連の動作の中に違和感がある。もやもやを解消するためにボクは南先輩の元へ戻る。
彼女は先ほどと変わらずパイプイスに腰掛けていた。ボクは彼女が何かを云いだす前に切り出した。
「ここは南先輩の《彼氏の部屋》ですか?」
☆
祈り、とはなんだろう。
祈り……①祈ること ②祈祷 ③祈願 ④心から望む ⑤希望する ⑥無駄なこと
人知を超えた力によって自分の願いをかなえてくれることを願っているのか。
努力を放棄して誰かが願いをかなえてくれるのを期待しているのか。
中には努力して、その結果を願う者もいるだろう。だけど大半は前者だと思う。
そして、努力することが不可能な状況に置かれている者もいる。
僕のように。
☆
南先輩が口を開こうとしたとき、背後のドアが勢いよく開けられた。
ドキッとして振り返ると、そこには、引野矢野未が立っていた。
余裕のある白いロングTシャツにデニムの短パン。矢野未はボクたちを見て一瞬驚いた表情をしたが、すぐにいやらしくゆがみ、いびつな笑顔に変わる。
「あらあら、こんなところで何をしているのかしら?」
何をしているって云われてもすぐには答えられない。まだここが何処なのかもわからないのだから。すべてを知っているはずの南先輩もダンマリ。その沈黙をどう勘違いしたのか、悪意のある笑みをさらにゆがめて矢野未は続ける。
「南先輩って、本当に好きね~」
何を好きなんだ? とクエスチョンが渦巻いていると、矢野未は勝ち誇った表情で続ける。
「今度は恵造なんだ、へえ」
「あんたに何がわかるっていうのよ。進級できないと言われたらどんな気持ちになるか。私たちにとっては学校がすべてなのよ。学校を無事に卒業することが一番なの。社会がどうとか世間がどうとか関係ない。大学へ行くにも就職するにもまずは卒業しなくてはならない。それを妨害するものがあったら、なんとか乗り越えようと思うじゃない」と、急に南先輩が顔を赤らめながらまくし立てた。
「あはははは。だからって、身体を売っていいわけないでしょ。見たわよ見たわよ。スズメも視力はいいのだから」
それを聞いてボクは理解した。ああ、ふたりは兵児のことを話しているんだ、と。ということは、あの噂は真実で、しかも、南先輩はその被害者のひとりということ。南先輩は、卑劣な罠に掛かったトリだったのだ。
「本当は、兵児が死んでさみしかったんでしょ? だから恵造をこうやって――」
歯を食いしばる音が響いてくる。今にも南先輩は血の涙を流しそうだ。
「ロープは何所かしら?」「ロープ?」とボクが口をはさむと、「しばられていたのよね? 先輩」「うるさい!」
「兵児もそういう気があったのかしら。いや、途中からそういう性癖が芽生えたのかもしれないわね。先生は、自分の首を絞めさせた。だけど先輩は、ついつい力を入れすぎて、窒息死させてしまった。そのままだと痕跡が残るから首を切断して肉体をつぶした。とまあ、私の推理だと、南先輩、あなたが犯人なのよ。もしかしたら事故ではなく、あきらかな殺意でもあったのかしら。あははは」
南先輩は怒りをあらわにして腰を上げ矢野未に襲いかかろうとした。が、ボクはそれを制して、「こんなかわいそうなヤツを殴ることはないよ。ボクにとっては南先輩のほうが数倍、数千倍、かっこいいから。こんなことでキレちゃダメだよ。先輩は頑張ったから。ものすごく我慢したから。だから、怒る必要なんてぜんぜんない」
「かわいそう?」顔を赤くし、ブルブルと身体を震わせる矢野未。
だけどそれをなだめている暇はない。だからボクは、
「ここは矢野未の家なの?」と話題を変えた。
「違うわよ。私は呼ばれたの」
「誰に?」
つづく




