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第四章ー3

     3


 河口院は小学校から高校卒業まで、空手部に所属していた。出る大会はかならず上位に名を残した。にもかかわらず、卒業したあとプッツリと空手をやめてしまったのだ。まわりから批判された。さらに上を目指せる実力を持っているのに、とさんざん説得されたが、河口院は首を縦に振ることはなかった。

 何故なら、ケンカと空手は違う、それを知ったから。

 ルールのない路上バトル。黒帯を取得し自分はもう無敵だと思っていた当時高校三年生の河口院は、ぶつかってきた中学生にケンカを売り、左腕を折られて武力の無力さを知ったのだった。頭ではわかっていた、空手の限界、ルール無しの戦いでの注意点、武器を持った者と対峙したときの行動、それらを意識していればまず負けないと。ところがだ、腕を折った中学生は何か格闘技をやっている風ではなかった。素人だった。しかも素手。そんな相手に、手も足も出ずに負けてしまったのだ。その敗北により、河口院は今まで無駄な時間を過ごしてしまったと後悔し、勉学に励むことにした。

 それでも十二年間身体を鍛えていた名残か、週に一度はジムに通っている。

 毎週金曜日、なので、木曜日の夜は特に予定もない。二十八歳独身。世間体を気にする職業なのだが、時には息抜きも必要で、少し寄り道をすることにした。教職はとにかくストレスがたまる。教師同士の付き合い、生徒とのかかわり、いわゆるモンスター・ペアレンツとの(いさか)い、いろいろな理由でストレスがたまるのだ。

 河口院の足は保健室へと向けられた。目当ての人はちゃんと居た。富良野(ふらの)(ひかる)。ボーイッシュな感じが、河口院にとって他のネコをかぶったような女らしい女ではなく好感が持てた。

 今夜はゆっくりと何処かで飲みながら話し合いたい、そう思っていた。だけどその日、富良野は時間を気にしていて話に身が入らない様子だった。これほどの器量なのだ、男だな、と推測した河口院は、それじゃあこの辺で、ああそうそう、今度二人でご飯にでも行きましょう、もちろん僕のおごりで、と云い残して保健室を後にした。

 長い廊下を進み、誰にもすれ違うことなく校庭へ。このまま帰るのもなんだか苦やしかったので、河口院は誰かを誘うか、と考えをめぐらせた。三年一組の久仁子(くにこ)(キツネザル)、同じく一組のナオリ(ウマ)、三組のアサノ(ウォンバット)あたりもいいだろう。いや、久仁子は少し飽きてきたので他のふたりか、と、携帯を取り出そうとしたそのときだった。

 河口院の前にひとりの女性が立ちふさがった。そのたたずまいは異様で、ニット帽とマスクで顔を隠している。黒のバイク・ジャケットに身を包んでいるが、身体のラインから女性だとわかる。異様だと云ったのは容姿からだけではない、全身からほとばしる殺気。それは、空手の大会の決勝戦で対峙したヤツが幼稚に見えるほどの違いがあった。柔道、柔術、ボクシング、総合、いかなる格闘技を体得した者でも、これほどの恐怖を相手に与えることは出来ないだろう。無意識のうちに河口院は拳を固め胸の辺りに両手を上げて軽く膝を曲げていた。中段蹴り、上段回し蹴り、正拳突きを繰り出せる体勢を取っていた。

 女が、殺気の濃度を保ったまま、近づいてきた。河口院の足が下がる。

 肉食獣であることは間違いない。しかし、身体をすっぽりと隠しているため、種類はわからない。だから、河口院は相手の出方を待つしかなかった。いかなる攻撃が繰り出されようとも、それを寸前で見極めるしかない。逃げようとは考えなかった。背を向けることは、イコール死だと悟ったからだ。

 女の片足が河口院の攻撃の間合いに入った。女はなかなかの長身で、あと一歩で彼女の間合いに入るだろう。その前にけん制の正拳突きを繰り出すべきか、それとも一歩下がってもう少し様子を見るか。選択に迫られて、河口院は一歩下がることにした。しかし、その弱さが裏目に出た。逃げ腰の心が相手を優位に立たせた。瞬時にして女は自分の間合いまで詰め寄り、岩をも砕くかのような左フックを繰り出した。そこまでの動作はまばたきひとつくらいだろう。格闘技をたしなんでいない者ならば、この一撃で絶命していたに違いない。動体視力を鍛えていた河口院だからこそ、この一撃を回避することが出来たのだ。鼻先をかすめる女の腕は、空気を切り裂き、河口院の戦意をも弾き飛ばした。

 いかなる手段を用いようとも、この女に勝つことは出来ない、そう河口院に確信させるには充分な空振りだった。

 ところが、女の一撃をかわした矢先、河口院の身体が勝手に動いていた。カウンターを身体が覚えていたのだ。意識外での反撃。河口院の左足が大きく振り回された。上段回し蹴り。完璧なタイミングだった。女は体制を崩している。今までにも何度かこのタイミングで繰り出したことがある。それらは確実にヒットした。その率が、河口院に勝利の確信を与えた。女の攻撃には劣るが、それでも意識を刈るにはじゅうぶんすぎる足の角度速さ重さだった。が、女のフック同様、河口院の回し蹴りも空を切った。大きく体勢を崩す=敗北。河口院は死を覚悟した。それでも万に一つの可能性を信じ、眼だけは正面を見据えた、が、いない。女の姿がない。

 いつの間にか背後に回り込んでいた女に髪の毛をわしづかみにされ後方に引きずられる。抵抗できない強さ、それと抵抗を忘れさせる痛みだった。河口院にはただ相手の腕をつかんで髪を引きちぎられるのを防ぐしか術はなかった。ずるずるとその巨体を引っ張られる。河口院は身長一八二センチで体重八九キロの巨躯の持ち主だが、女はまるで紙袋を運ぶかのように苦もなく引きずっていた。

 河口院の身体は、校舎の壁を登って行った。

 何故こんなことが出来る何故こんなところに登っていく上に行く必要はあるのか上で何をするつもりだ上で何が起こるのだそういえば兵児先生は壁に肉片をぶちまけられていた僕もそうやって殺されるのかこの女が犯人なんだなということは僕は兵児先生と同じように死ぬんだなでもなんで上で殺されるのだそんな習性を持った動物はなんだ考えろ思い出せ上上上上ああなるほどわかったぞ、犯人は、《ヒョウ》なんだ。

 それが、河口院がこの世で考えた最後の思考となった。


     ☆


 金曜日は学校中が騒然となっていた。

 警察の姿も今までの倍、百人くらいはいるだろうか。物々しい雰囲気にさすがの蘭もおびえの色をにじませていて、ボクが教室に入るなり、駆け寄ってきた。

「聞いた聞いた? 河口院先生が殺されたんだって。しかもそれだけじゃないのよ」

 それだけじゃないとはどういうことなのだろう。ただでさえ河口院が殺されて気が動転して犯人は誰だ? 何故殺された? 今度はどんな殺され方なんだ? 事故じゃないのか? とプチパニック脳になっているので、それだけじゃない、の意味がわからない。このごろちょっと変じゃないか? 異常すぎはしないか? はははは。などと思考が混乱しているところに蘭の追い討ちが来た。

「白家まよいと時鮫空子のふたりも死んだんだって!」

「ウソだろ……」

 ボクのそのつぶやきに、そのときまで窓の外を眺めていた舞亜がこちらに顔を向けた。

 奇妙な連続殺人は、とどまることを知らない。

 舞亜が遭遇したチーターが一連の事件の犯人なのだろうか。それとも共犯者が存在するのだろうか。真犯人は巧妙に姿を隠しているだけで今もすぐそばにいるのか。それとも部外者が執拗にこの学校の関係者を狙っているのだろうか。

 何もかもが闇の中。

 いいようにもてあそばれているが、ボクは、舞亜を静かに見つめて、彼女の過去を思い出し、これ以上の惨劇を起こさせない、と固く心に誓った。


            つづく

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