少女、狂乱
「……ふふふ、随分と突拍子のないこと言うわね。どうしたの?」
からかう様にデュランダルは笑い、項垂れるルセインの顔を覗き込もうと、ルセインの隣にしゃがみ、両手を添えて顔を合わせると、デュランダルは息が詰まったように、声が出せなくなった。デュランダルの目に映ったルセインの顔、それはいつも見慣れている顔ではなく、どことなく焦点の合わない、希望も光も夢もあるものすべてを失ったその先に存在する絶望、虚無に包まれた両目に支配された顔である。今まで一度も見たことのないその顔に、デュランダルは呼吸も忘れ、忍び寄る絶望の冷気に身を震わした。
「あ…………ああ……」
「…俺の話を聞いているのか? ただ、俺を殺してくれればそれでいいんだ。なんなら、いつもみたいに剣に変身してくれ。後は自分でやる」
声色から口調まで、すべて今までのルセインそのもの、しかしルセインが口にしている言葉は、普段のルセインからは絶対考えられないワードばかりなのが、一層不気味さを醸し出している。このただならぬ事態に、デュランダルは震える体を必死に押さえつけ、ない声を振り絞って口を開いた。
「…ル、ルセイン、貴方疲れているのよ。少し横になれば、気も楽に「良いから剣になれよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
ルセインの咆哮もつかの間、デュランダルの鳩尾に拳が炸裂し、デュランダルは何が起きたのか考える暇もなく口から嘔吐物をぶちまけた。デュランダルが嘔吐物で呼吸が困難になっているにも関わらず、ルセインの暴力は止まることはなく、ゴツッゴツ、と鈍い打撃音と共にむしろ暴言と共に激しさを増すばかりだ。
「この!原子生物の、成り上がり野郎があああああ!! もうたくさんだ! ボスもアメリカも世界も、もうたくさんなんだよ! 黙って剣になりやがれええええええええええええええ!」
「がはっ…うええ…や…めて……いた…い…ルセ…」
「領主様、おやめください!」
ルセインの怒鳴り声を聞き、何事かと駆け付けた歩哨兵達が、三人がかりでルセインの体を掴み、何とかデュランダルから引き離すことに成功するが、ルセインの抵抗は激しく、三人がかりでも投げ飛ばされてしまいそうだ。
「放せ単細胞ども! 主人が放せと言っているんだ!」
「気を確かにしてください! なぜこのような事をするのです!」
「ぐう、なんて力だ……おい、笛を鳴らせ! 増援を呼ぶんだ!」
「あ、ああ!」
一人の歩哨兵が懐から笛を取り出し、ぴゅううう、と甲高い音色が屋敷中に響き渡り、数分もしないうちにわらわらと歩哨兵が集まり、夜が明けるまで、ルセインの咆哮が止むことはなかった。
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「………やけに騒がしいな」
朝からバタバタと廊下を動き回る近衛兵や文官の姿に、マリーは不信感を覚えた。昨夜、まどろみの中、外で騒ぎがあったことはマリーも知ってはいるが、眠気には勝てず、そのまま眠ってしまった。そんな情報不足の中、ルセインの姿も見えないのだ。ルセインに何かあったのではないかと思うと、不安は増長していく一方である。
しかしどれだけ心配しても腹は減る。廊下の角を曲がり、いつものように食堂に入ろうとしたその時、食堂にいた先客の姿を見て、マリーは驚愕した。
「デ…デュランダル! お前、どうしたんだその顔は、顔中痣だらけだぞ!?」
「………」
マリーが迫るようにデュランダルに尋ねるが、デュランダルは無視し、無表情のまま、ただ口に朝食を運ぶだけである。まるで機械仕掛けの人形のようになってしまったデュランダルに臆することなく、マリーは更に質問を問う。
「なあ、もしかして昨日の騒ぎと関係あるのか? 昨日何があったんだ!」
「………」
「何とか言ったらどうなんだ! 口が外れたわけじゃないんだろう!!」
「………たのよ」
食事の手を止め、視線を落としたまま、か細い声で答えたデュランダルに、マリーはもう一度、聞き返した。
「…なんだって?」
「……昨日の夜、ルセインに殴られたのよ。何度も、何度も」
デュランダルの答えに、マリーは言葉を失った。昨日の騒ぎも、デュランダルの顔に浮かび上がる痛々しい痣も、すべてルセインが原因。普段のルセインのことを考えれば、確かに猟奇的な行動をとらなかったことがあったかといえばウソになるが、少なくともこんな突発的に暴行するとは到底思えない。だが、デュランダルの顔をここまで痣だらけにするほど殴る理由も見当つかず、マリーは頭を抱え、唸ることしかできない。
「……なんでそんなことになったんだ?」
「私にわかるわけないじゃない……ただ、ルセインはもう元に戻らないと思うわ」
デュランダルの意味深い発言に、マリーは顔を上げ、デュランダルの顔を覗き込んだ。デュランダルは変わらず無表情のまま、ただ静かに涙を流していた。先程の発言とデュランダルの涙が妙な現実味を帯び、居ても立っても居られず、マリーは立ち上がった。
「ルセインはどこにいるんだ…?」
「地下牢よ。でも、会わないほうが賢明よ。特に、貴方はね」
「……ッ」
デュランダルの警告に、マリーは唾を飲んだ。デュランダルの痣だらけの顔を見れば、今のルセインに接触するのがどれだけ危険なのかは重々理解できる。あれだけ顔を合わせたデュランダルを容赦なく暴行したのだ、マリーと目を合わせた瞬間、何が起こるか分かったものではないだろう。しかし、だからと言って放っておけるわけがない。ルセインはマリーにとって、大切な家族なのだから。
「…きっとルセインは、溜め込みすぎたんだ。あいつはすぐ一人で解決しようとするから、余裕がないんだろう。全く、水臭いなあ」
それだけ言うと、マリーはデュランダルの警告に臆することなく踵を返して食堂を後にし、地下牢へと直行した。地下牢に近づけば近づくほど、暗い面持ちの女中や文官の数も多くなり、ことの重大さが計り知れる。その中に、多くの文官に囲まれて、険しい表情をしているカミエルの姿を発見した。カミエルもマリーの姿を確認すると、周りを囲んでいる文官を押しのけて、カミエルが近づいてきた。
「マリー様! もしかして領主様に会いに来たのですか? 悪いことは言いません、今日はお会いにならないほうが宜しいでしょう。医者の話では、領主様は重度の精神錯乱状態にあるようで、とても会話できるような状態ではないと…」
「お前はルセインと顔を合したのか?」
「い、いえ、しかし医者の話ではそういっておりますし、他の者も、とても話が通じないと言っていたので…」
「きっとルセインは、何か隠して、一人で悩んでいるんだ。誰かが相談に乗らないと、ルセインはずっとあのままだぞ?」
「そんなわけには参りません! デュランダル様のように暴行を加えられるやもしれませんし、何より、今のマリー様の体は、もうマリー様だけのものではないのです!」
カミエルの指摘に、マリーは腹部に視線を下した。確かに今のマリーの体には、新しい命が宿っており、名目上はルセインとマリーの子供となっている。その状態でルセインからの暴行を受けてしまえば、種こそ違えど、二人の愛の結晶とも言える子供を流産してしまうリスクは十二分にあるだろう。
マリーは軽くお腹を撫でると、にこりと笑った。
「大丈夫だ、命に代えても子供は守るし、ルセインだって自分の子供は殺さない」
気の抜けたマリーの返答に、カミエルはため息をつき、こめかみを抑えた。
「…なんの保証もないマリー様の大丈夫を、信じることができるわけないではないですか。地下牢に見張りが三人います。彼らと共に牢に入るというのなら、よろしいでしょう」
「わかった。それでいい」
「ただ、本当に気を付けてくださいよ。今の領主様は、まるで別人だそうですから」
念には念を押すカミエルの忠告に、マリーはただ頷くと、地下牢に続く階段を下がり、地下牢へと足を踏み入れた。地下牢は思いのほか広く、囚人のいない牢屋が5つほど続き、その奥に、重量感のある木製の扉と、それを守護するように三人の番兵が立っていた。恐らくカミエルの言っていた見張りとはこの三人のことだろう。扉に近づくマリーに、一人の番兵が警告した。
「マリー様、申し訳ございなせんが、カミエル様の命令により、この先の立ち入りは禁止となっています」
「そのカミエルから、お前たちと一緒にならルセインと顔を合わせてもいいといわれている。ルセインはその扉の先にいるんだろ? 合わせてくれ」
マリーの話に、三人の番兵はお互いに顔を合わせ、少し訝しげな表情を見せるが、すぐさま振り返り、コンコンと扉にノックをした。
「領主様、マリー様がお見えになりました」
「……」
扉の向こうからは全く反応はなく、まるで誰もいないかのようだ。やっぱりか、といった具合で番兵たちはまた顔を見合わせ、マリーに顔を向けた。
「ご覧のような状態でして、領主様との会話は困難かと思いますが、よろしいのですね?」
「かまわない」




