少女、婚姻
今日のルセイン領の活気は、いつもの三割増と言っても過言ではない。訪れる旅人の数はさる事ながら、列をなして商業区に入る行商隊や、ウィルデット王国を巡り歩いている吟遊詩人が、これまでに経験した旅先の出来事を歌い、それに合わせてエルフの踊り子が見る人を魅了する、なんとも艶めかしい踊りを見せ、大きな拍手と喝采を受けている。この日、これだけの往来が激しいのは、とある重大な催事が行われるからだ。その為に集まった豪商や貴族の数も少なくない。
「諸君、静粛に!」
祭事用の装いに身を包んだ兵士達が、声を張り上げて、周囲の喧騒を鎮ませた。兵士の声に、小さな子供から酒場に溢れ返った酔っ払い達も、愉快な話を取り敢えず切り上げ、兵士の言葉に耳を傾ける。
「これより、領主様とマリー様が、ここを凱旋する。皆、祝福の心を持って、お二人をお祝いするのだ!」
兵士の言葉に領民達はもちろんの事、その場にいた商人やゴロツキまでもが、声を揃えて雄叫びをあげた。今宵は領主であるルセインとマリーの結婚披露宴だ。数々の危機を善政と軍事で解決したルセインには、領民からも数々の名声を得ることに成功した。後は順調に事が進むのを見守るばかりだ。
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領主の館では、出発に向けての準備は既に終わっており、後はルセインとマリーを馬車に乗せ、決められたルートを凱旋して、また領主の館に戻って披露宴をする前に、一言ルセインとマリーがスピーチをする、という段取りなのだが、なかなか実行に移せない。その原因は、ウエディングドレスを小刻みに揺らしているマリーが原因だ。
「ルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルルセイン! おおおかしくないか!? 私大丈夫か!!?」
マリーは門から見える大衆を見て、すっかり縮こまってしまっているようだ。確かに余り大衆に囲まれる経験はないだろうが、これでは大衆の面前で恥をかいてしまうだろう。ルセインはタキシードのネクタイを締め直し、マリーの肩を叩いた。
「落ち着けマリー、おかしいのは元からだ気にするな。胸を張らないと余計恥をかくぞ」
「そんなこと言ったって…………」
「あと、スピーチの練習、ちゃんとしたんだろうな? 今此処でやってみろ」
「…………こ、こんにちは、私共の結婚披露宴にお集まりいただき、かかか感謝の極みにににに」
「てめぇ、デュランダルに代役やらせるぞ」
「ううう………」
マリーはウエディングドレスの裾を掴んで、まるで子供のように悶え始めた。これで婚儀が順調に進むんだろうか、とルセインが頭を抱えると、まぁまぁとカミエルがティーカップを二つ乗せた茶盆を持ってきた。ここで紅茶の1杯でも飲んで、マリーを少し落ち着かせようという気遣いだろう。
「聞いた話では、エルフ族には婚儀といった風習はないと聞きますし、ましてや多くの人に囲まれるといった経験もないでしょう、緊張して当然です。マリー様は右の紅茶をお取りください。少量ですが、エルフの里産の蒸留酒が入っております。紅茶で割って飲む蒸留酒も、中々美味しいですよ?」
「い、いただこう………」
マリーは紅茶を受け取ると、ゆっくり口につけ、ふぅ、と安堵の溜息を漏らした。ルセインも渋い顔をしながら紅茶を啜り、まだ何も始まっていないが、ブレイクタイムと洒落込むことにした。
「…そもそも、私の考えていた結婚式っていうのは、もっと身内でひっそりするものかと思っていたのに、なんであんなに人が集まっているんだ?」
「領主が結婚式を開くとなると、そりゃお祝いに貴族がちらほらやってくる。それに従者と兵士達がついてくるから、それ目当てに行商隊も入ってくる。んで、最後はお祭り目当てに旅人やら吟遊詩人やらが集まるわけだ。ルセイン領の豊かさの宣伝にもなるから、俺からしたらかなり大助かりだ」
「領主様、せっかくの婚儀ですので、お仕事の話は………」
カミエルの言葉に、そうか、とルセインは少し自嘲気味に呟き、再びティーカップに口をつけた。ついつい仕事のことを考えてしまう癖は、中々治ることはないようだ。この先、ルセイン一人の体ではなくなると言うのに、こんな調子で大丈夫だろうかと、マリーを笑っていられない現実に、少し眉を顰める。
「…………ふふ、あはは!」
突如として笑い始めたマリーに、緊張の余りおかしくなったのかと、ルセインは更に眉を顰める。
「何がそんなに面白いんだ?」
「あはは……いや、悪い。何だかんだ言って、ルセインも緊張しているんだなって思うとな」
どうやら、まゆを顰めているルセインを見て、緊張していると勘違いしたらしい。何を馬鹿なことを、とルセインは言いかけたが、直ぐに撤回した。あながち、マリーの言っていることは間違ってはいないからだ。今緊張していないのも、政治的側面を兼ね備えた部分があるが故に、仕事として捉えている面もあり、緊張していないだけで、今後のマリーとの生活を考えたら、震えが止まらない。結婚とはかなり無縁な人生を歩んできたが故に、その先に何をして、どう生きればいいのか、全く想像がつかない。
「………今更こんなこと言っても仕方ないが、俺はどうにもお前を幸せにできる自信がない、俺でよかったのか?」
「? 私はもう幸せだぞ。結構遠回りだったけどな」
カランカラン、と鐘の音が街の方から聞こえてきた。どうやら、これ以上待つことは出来ないらしい。ルセインはマリーの手を引いて馬車に乗り込み、馬主に目配せすると、館の大きな門が軋みながら開き、馬車を取り囲む儀仗兵達が叫んだ。
「前進!」
カラカラカラと馬車が動き出し、儀仗兵も足並みを合わせ、ピッタリと馬車に付いて動いた。馬車の後ろでは軍楽隊が調子よくドラムロールから始まり、勇ましい音楽を奏で始めた。結婚式の為、と言うよりまるで出陣する兵士を応援するかのような曲調だ。
馬車が街に近づくと、多くの歓声が人々の熱狂と共にルセイン達を迎え入れた。目に入るのは、まさに多種多様な人々であり、エルフや商人、軍人に浮浪者と身分や人種の分け隔てなく、ルセインとマリーを、ただ祝福している。
ルセイン領主万歳!ルセイン領に更なる繁栄を!
ルセイン領主とマリー様に安泰あれ! エルフと我らに更なる共栄を!
我らの領主に幸あれぇぇぇぇ!!!
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「…………うう、疲れた」
マリーはウエディングドレスを着たままソファに横たわり、ぐったりしている。凱旋が終わり、披露宴もなんとか無事に終わらせることが出来て何よりだが、その分疲労は半端ではない。ルセインがグラスに蒸留酒を注ぎつつ、頷いた。
「まあ、1日ぶっ通しだから、疲れて当然だ。蒸留酒でも飲むか?」
「………いや、今日はもう飲んだし、やめておく。赤ちゃんにも悪いしな」
マリーが眠気眼になりながらそう言うと、ルセインはそうか、と一言だけ言い、グラス片手に扉を開け、中庭に向かい歩き出そうとすると、マリーが一言、おい、と呼び止めた。
「あ、愛する妻か眠りそうになったら、何かやらないといけないことがあるんじゃないか?」
「………毛布でも掛けてやろうか?」
「………お休みのキスだろうがぁぁぁ……なんならその先もしていいんだぞぉぉ」
「子供がもういるだろうが」
「………むう」
ルセインの返答に、マリーは頬を膨らませて、そっぽを向いてしまった。これ以上マリーを不機嫌にすると、後で何が起こるが分かったものではない。ルセインは溜息を吐くと、マリーの足元に跪き、マリーがちらりと顔を向けた。
「……………また、足にキスをするのか?」
「それで機嫌が直るんならな」
「……………ばぁか」
マリーはルセインの顔を両手で掴むと、唇を押し付けた。いつもならここで舌を入れるのだが、今日は接吻だけで充分のようだ。ルセインは、ただなされるがままでいると、マリーが上唇を軽く甘噛みし、気が済むとルセインの耳元で囁いた。
「愛しているぞ、ルセイン。お休み」
その一言を言うと、マリーは後ろを向いて、横になった。耳が少し赤いところから、マリーとしても、少し恥ずかしかったようだ。ルセインはマリーの頭を軽く撫でると、またグラスを握り、部屋を出た。長い廊下を歩きながら、ルセインは暫し、今までの形跡を辿るように、記憶を掘り起こしていく。思えば、この世界に来て、かなりの月日が経ち、今まで感じていた違和感も、徐々に解消されつつある。祖国であるアメリカ合衆国が滅んだ事実も、考えてみれば、数千年先までアメリカ合衆国が存在するなど、あまり現実的ではない。必ず終わりはあるのだ、それに逆らえるものなど、この世には存在しない。
「…私の眼は神の降臨と栄光を見た、彼は怒りの葡萄が蓄えられた貯蔵庫を踏みつけ恐るべき神速の剣を振るい、宿命の稲妻を落としたのだ、彼の忠実は進撃する〜♪」
中庭に到着すると、ルセインは小さな頃から聞きなれたリパブリック賛歌を口遊み、配置された椅子に腰掛けて、夜空を眺める。幾度と夜空を眺めるが、夜空はいつ見ても飽きることは無い。常に祖国の記憶を呼び起こし、感傷的な気分にさせてくれる。酒の肴には持ってこいである。だが、今宵夜空が持ってきたのは、祖国の記憶だけでは無かった。
「………やっと見つける事が出来ました、ボス」
ボス、この世界では知るわけがないその言葉に、ルセインはあたりを見渡し、木の影にこの世界では見慣れないスーツに身を包んだ男を発見した。何人とも近寄らせない立ち振まい、その姿から、考えられるのは一つしかない。
「お前、ボス機関の人間か!?」
「如何にも。お待たせしてしまいまして申し訳ございません。何分、アメリカは広いですから、目標地点よりズレてしまうのは仕方のない事なんです」
「待て、アメリカ合衆国はもう滅んだんじゃないのか!」
「何をおっしゃいますか。アメリカ合衆国は不滅です。ただ、地上にはもう存在しませんがね」
淡々とルセインの質問に答える男の話に、ルセインは頭を抱えた。数千年経ち、アメリカ合衆国の影も形も見当たらないこの世界で、アメリカが存在すると言ってみせる男の話は、ルセインを混乱させるには充分すぎる内容だ。
「混乱する気持ちも分かります。貴方は、なんの説明も無しに現代に飛ばされたのですから」
「………なら、説明しろ。なんで、世界はこうなった?」




