少女、迷走
「マリー様、少し宜しいでしょうか?」
中庭でハーブティーを堪能し、柔らかい日光に包まれ、マリーがウトウトしている所に、カミエルから声をかけられ、眠気眼のまま顔を向けた。よく、ルセインの周りで事務仕事をしているのを目にしていたので、カミエルとは面識こそあれど、声をかけられたのは初めてだ。少し訝しげにマリーは返事をした。
「ふぁぁ……私にようなのか? 悪いがルセインの居場所なんて知らんぞ」
「いえいえ、領主様の居場所を訪ねようと思ったわけではありません。マリー様の婚儀について、少しお伝えしなけれならないことがあるんです」
婚儀、この言葉を聞いて、マリーの脳内にクロヌウスとの会話がフラッシュバックする。ルセインとの婚儀自体は大変喜ばしいことではあるが、あの時にクロヌウスは、確かに出席する、といった旨の発言をしたのだ。折角の婚儀にクロヌウスが出席すれば、全ては台無しだ。
「……なあ、婚儀には一体誰が参加するんだ?」
「そうですねぇ……まずは光の騎士教団代表としてメメル様、元領主であるフランドル様、その他領主様と接点を持とうと参加される特になんの関わりもない諸侯が有象無象と、もっと増えていく算段です」
「………その中に、クロヌウスという男はいないか?」
「クロヌウス……? はて、それは貴族ですか? 聞いたことのない名前ですねぇ………もしかして、お知り合いですか?」
「そんな大したもんじゃない………さて、じゃあその婚儀の説明をうけようじゃないか」
そう言うと、マリーは立ち上がると、カミエルがこちらです、と歩き出した。ここでふと疑問が残り、マリーはカミエルに質問をする。
「なあ、婚儀についての話は中庭でしちゃまずいのか?」
「はい。エルフ族と貴族との結婚は、恐らく今回が初めてとなりますので、大分エルフ族に対する理解が深まったとはいえ、ここは慎重に話を進めなければなりません。なので、誰にも話を聞かれぬよう、この時のために用意された秘密の部屋に行きましょう」
カミエルの説明を聞いても、いまいち納得が出来ないマリーではあるが、今はカミエルについていく他ないので、黙ってついていくことにした。赤い絨毯の上を辿っていくように歩を進めると、重量感のある鉄製の扉の前に、カミエルは立ち止まり、マリーも足を止めた。その扉の前で、カミエルはごくり、と唾を飲むと、くるりと振り返った。
「ではマリー様。こちらの部屋でゆっくりと話し合いましょう。ささ、どうぞお先に」
「………なんか怪しいな。お前、なにか隠しているだろ?」
マリーの一言に、カミエルは背筋に戦慄を覚えた。これがエルフ族のなせる技とでも言うのだろうか。いや、そもそもこんなこんな重たい雰囲気を醸し出す扉の前に連れてこられて、怪しまない方がおかしいと言うものだ。少し考慮に欠けた作戦だったと、カミエルは自分を責めるが、今更引くに引けない。だがここでマリーに直接あなたは不倫をしていますかなど到底聞くことも出来ない。言葉に詰まったカミエルの様子に、自らの不信感が確信に変わったマリーは、警戒感を顕にした。
「お前が何を企んでいるかはしらんが、それに関わっているほど私は暇じゃないんだ。帰らせてもらうぞ」
踵を返し、自室に戻ろうとするマリーに、カミエルも腹を決めなくてはならなくなった。カミエルの作戦の中には、どうしようもなくなったとき用の為に用意した、最後の苦肉の策があるのだ。カミエルは致し方なしと唇を噛むと、号令を発した。
「衛兵、マリー様を拘束しろ!」
その一声に、待ってましたと隠れて待機していた衛兵達が、7人ほど、四方八方から姿を現した。突然のことにマリーは動揺し、対処しようとする前に屈強な衛兵達に両腕を捕まれ、身動き出来ない状態になってしまった。力一杯振りほどこうとしても、衛兵達はびくともせず、寧ろ抵抗を辞めさせようと更に力を込め、関節が悲鳴を上げている。事態を把握したマリーは、ことの首謀者であるカミエルを睨みつけた。
「お前、一体何のつもりだ!」
マリーの鋭い眼光を一直線に受けながらも、もうカミエルに迷いはなかった。落ち着き払った態度で、カミエルは口を開いた。
「こうなっては致し方ありません。マリー様、率直にお尋ねします。今マリー様が身篭っている子供は、領主様との子供ではございませんね?」
「………………ッ!?」
激昂していたマリーの顔が、一気に青白くなるのを確認すると、カミエルははぁ、とこめかみを抑えてため息を吐いた。カミエルの疑惑は、確信と変わると共に、今後の事を考えると胃痛がしてくる。領民達は皆、正統な跡取りが生まれると信じてやまずに祝福する中、一体なんと説明をすれば良いだろう。少なくとも婚儀自体も取りやめにしなければならない上に、生まれてくる子供の始末もなかなか決めずらい。そして何よりも重要なのは、これが他の貴族に知られた時のリスクだ。折角名が売れてきたルセインの名に、大きな傷が付きかねない。
「な、なぜ………ち、違うんだ! 私が望んでできた訳じゃない!」
「過程などどうでもいいのですよ、マリー様。問題なのは、今身篭っている子供に領主様の血が一滴も入っていないことです。本来ならば、磔刑か縛り首となりますが、領主様もそんなことはお望みにならないでしょう。それに、今なら揉み消すことが出来ます」
そう言ってカミエルは顔を鉄製の扉にむけた。マリーもつられて顔を向けると、カミエルが説明を始めた。
「マリー様は運がいい。この事を知っているのは私と、女中一人と、ここにいる口の硬い衛兵だけです。この部屋は、我が館で代々疑いをかけられた婦人が潔白を証明するために用意された部屋、と言えば聞こえはいいですが、要するに堕胎部屋です。この中には、オークと言う怪物がいまして、そのオークと性交すれば、確実に、領主様にもバレずに、そして比較的安全に堕胎出来ます」
「オ、オークと性交!? 無理だ! オークと性交したら死んじゃうじゃないか!」
「毒を飲むよりはだいぶマシですよ。それに、私も無理にとは決して言いません。その際には荷物を纏めてエルフの里にお帰りいただき、代役を立てるだけです。ここもマリー様の幸運とも言うべきか、まだ臨月に入っていないので、腹部は膨れていませんしね。代わりは見つかりそうです」
澄ました顔で非情な態度を取るカミエルではあるが、カミエル自身、もうこうする以外に手立てはないのだ。カミエルにもわかる。あそこまでルセインを愛していたマリーが、そんな簡単にルセイン以外と関係を持つほど、尻軽ではないことを。望まない関係だったと言うことも。だが、世界は純愛を優先するほど器は大きくない。器からはみ出さないように対処するほか方法がない。
「………嫌だよぉ」
マリーの頬に、1粒の大粒の涙が伝っていき、床に水音を立てた。ポツ、ポツと涙が溢れ、あの男勝りなマリーの表情が、まるで1人の少女のようだ。カミエルは平静を装うとするが、カミエルは感情を完全にコントロール出来るほど、心を捨てている訳では無い。心苦しさは感じるが、決断は覆さない。
「ひぐ……折角、折角ルセインと解り会えたんだ………私が欲しかった本物を、あと少しで手に入るんだ………手放したく、ないよぉぉ」
「………では、入りますか? 一度入れば、もう引き返せませんよ?」
カミエルの問いに、マリーは力無く頷いた。もう、マリーを抑え付ける必要も無いだろう。カミエルが顎をくいっと動かすと、衛兵はマリーの両腕から手を離した。ダランと垂れ下がる力無い腕に、若干の震えが確認できる。恐怖を感じている、当然だ。誰だって、オークと性交したい者など、1人だっていないだろう。
まるでギロチン台に立たされた死刑囚のように、1歩、また1歩とマリーは歩みを進め、震える指でドアノブに手を掛ける。嫌な汗が滴り、呼吸が止まりそうだ。覚悟がなかなか決まらないマリーは、呟くように、名前を呼んだ。
「…………ルセイン…」
「呼んだか?」




