少女、肌
「ううう……………」
ボスに姿を見られ、マリーは少しでも体を隠すように体を縮こませる。ボスの目に映るマリーは、今までボスが長い間見てきたマリーと比べると一つ大きな違いがある。それは、肌の色だ。マリーの肌は健康的な日焼けによる褐色だったにも関わらず、今のマリーの肌は、少し紫がかった青色に変色している。こんな変わり果てたマリーの姿に、ボスは今までの人生で経験したことのない衝撃に、呆然とするしかなかった。
「だから見られたくなかったんだぁ………」
「……なんで肌の色が変わっているんだ? エルフ族特有の皮膚病か何かか?」
ボスの質問に、マリーは体を一瞬震わせて口を噤んだ。マリーの目が焦ったように右へ左へと泳いでいる所を見る限り、何故肌の色が変色しているのか理由は自分自身では理解し、尚且つ隠そうとしているのは一目瞭然だ。だが、ここで問いただしても話すとは到底思えない。ボスはため息をつき、首を鳴らした。
「あ〜、まあ命に別状はなさそうだし、無理に話すことはない。肌の色が変わったくらいだ、生活にも支障はでないだろ」
ボスがそう言うと、マリーは少し安心したのだろうか、相変わらず口を噤んではいるが、目が泳ぐことはなくなった。だが、代わりにマリーの目が少し潤み、とても悲しそうな表情に変わった。ボスの知る限りではマリーがこんなに表情をころころ変わる所は見たことがない。とても深い隠し事をしているのかも知れない。これは後でこっそりとアーシャ女王に聞くべきであろう。
「………ルセイン、少しわがままを言ってもいいか?」
少し涙声を混じらせながら、マリーが恐る恐るとボスに問いかけた。やはりいつものマリーと比べて変だ。肌の色が変わっただけで、ここまで弱々しくなるとは思えない。エルフ族にとって、肌の色の変色にはかなり重要な役割があるようだ。さらにいえば、ボスに隠したくなるような、ボスにとって不利益なものらしい。ボスは床に伏しているマリーに顔を近づけ、まるで尋問官の様な面持ちで頷いた。例え相手がマリーだとしても、自分に不利益になり得る隠し事をしているのだとすれば、それ相応の処置をしなければならないからだ。
「言ってみろ」
「その、そのな…………ルセインがいつも忙しいのは解っているし、ルセインのことだから何かしら考えがあるのも解っている……でも、もうダメなんだ。このままだと、間に合わなくなってしまうかもしれないんだ………」
「………何が言いたいのかさっぱりわからん。もっと具体的に話してみたらどうだ?」
マリーの抽象的な発言に、ボスはピンとこず、真意を知りたいがあまりに焦っているのか、少し苛立ちとも思える言葉を放つ。すばっと言いたいことを言うことができるマリーが、奥歯に物が詰まったような物言いなのだ、焦るのは当然ではあるが、これはあまりいい判断ではなかった。ボスが捲し立てるように迫れば迫るほど、後ろのないマリーが道を切り開く為に行動する、そんなことは少し考えればわかることだ。しかし、焦ったあまり、そんなことすら考えが及ばなかったのである。
「…………具体的に、か。そうだよな、ルセインが言うんだったら、もう、我慢しなくてもいいよね」
「…………マリー?」
ボスの失言に、マリーの雰囲気がどろっと変わった。普段では想像しにくい弱々しい雰囲気から、いつもの自分に正直なマリーには戻ったが、その正直さはいつもとはまるで違う。自分の欲望のためならば、全てを捻じ曲げるという意志が、マリーのベビのような無機質で感情を感じられない鋭い目から感じられる。そのマリーの目に、ボスは無理矢理にでもマリーの雰囲気に飲み込まれ、まるでドライゼ銃を持った銃兵隊に取り囲まれた様な感覚に襲われた。どこにも逃げ場がない、少しでも下手を打てば体に穴があくであろうその雰囲気に、ボスは戦場のど真ん中にいる兵士のような覚悟を、無意識のうちにしていた。
「そもそもルセインが悪いんだ………私がどんなにルセインに尽くしても、見向きもしないで、全て適当に受け流して…………そのくせ、拒絶することなく付かず離れずをずっと繰り返して……私の気持ち、考えたことあるか?」
「……それは、ないな」
「…っ、そうだろうな、ルセインにとって、私は邪魔物で、欲情したら寝る程度のセ〇レだもんな」
「そうは思っていない。お前はエルフ族との架け橋であり、良き隣人だ。俺だって何も思っていない奴と寝ることなんてしない」
「エルフ族との架け橋を失いたくないからそばに置いた、だけなんじゃないのか?
機嫌を損ねたら怪我して手に入れたアーシャ女王との条約も泡と化すことを恐れて、近くにエルフの女を置いた。結局、ルセインは領主である自分の面子を保つために、私を置いているんだろ?」
「…………」
違う、そうボスの喉から出かかってはいたが、とてもそれを伝える厚顔は持ち合わせてはいなかった。もし、これは陳腐な恋愛劇ならば、違う、常に君だけを思っているんだ、と、三流芝居役者がやりそうなくだらない芸で済まされるだろう。だが、ボスもマリーもそんな言葉に踊らされるほど低い精神年齢など持ち合わせてはいない。
そもそもボス自身、マリーをどう思っていたか、よく解らない。最初は自分を奴隷にしようと思った人外種族、しかし気づけば常にとなりに立っている相談相手となっていた。マリーが好意を自身に向けており、何時しかマリーと仲慎ましい関係になるのもそう悪い話ではないとも思っている。だが、そうなるわけにはいかない。この世界では遥か昔に滅んだアメリカ合衆国、特務機関のボスという過去がある限り、ボスの秘密が漏れるようなことがあってはならない。
「………ずっとダンマリを決め込むってことは、図星なのか?
もし私以外の女だったら、平手打ちが炸裂しているところだぞ。と言っても、私も腸は煮えくり返っているけどな」
静かに、しかし沸騰した煮え湯のように、マリーはふつふつと初めてボスに対して殺意に近い怒りを顕にするが、ボスは表情を崩すことはない。だが、ボスの目は違った。まるで鉛筆で乱暴にぐるぐると塗りつぶされたようにどこまでも黒く染まり、どこにも焦点を合わせていない。恐れている、一見では解らないが、ボスはマリーを恐れている証拠である。ボスとて人間、恐れることはある。しかし、どんな恐れも吹き払ってしまう、洗脳に近い魔法の言葉をボスは知っている。代々ボスの称号を受けし者に伝えられるその言葉を、ボスは噛み締めるように呟いた。
「……双頭の鷲が汝を睨みつけている限り、汝は汝の使命を果たすだろう。双頭の鷲が汝の後ろに立つ限り、双頭の鷲は汝を奮い立たせ、汝は双頭の鷲の鍵爪となるだろう。汝は双頭の鷲の忠実な下僕であり、星条旗が燃え尽きるその瞬間まで、汝は天使を犯し、悪魔も恐れる畜生になるであろう、そう、全ては星条「逃げるなぁァァァァァァァァ!!!!!!!!」」
遂に茹で続けた湯が爆発した。マリーの両手がボスの首を蛇のように首を絞めあげ、ギリギリギリとボスの気道を塞ぎ、血液の行き先を閉ざした。油断すれば、首がへし折れるほどの握力で締め上げ、ボスは少し苦しそうな表情を浮かべる。殺す気だ、怒りに満ちたマリーのその両手から、ボスはマリーの怒りの程を悟った。
「ブツブツブツブツ訳のわからない独り言を呟いて、気持ち悪いんだよ! 何時もの頼りがいのあるルセインはどうした!!
命を賭けてでも自分の信念を曲げないルセインはどこに置いてきた!!! それとも、全部演技だったのか! 答えろおおおおお!!」
ガリッ!!!!!
怒り心頭のマリーに、ボスの出した答えは、舌を噛み切っての、命を賭けた沈黙であった。ボスにボスの称号がある限り、ボスは自らの情報を漏らさない。それは、ボスである自負心と、弱さが出した結論だ。




