少女、捉え方
「…………んっ」
不意に、マリーの頭にクロヌウスの大きな手が乗っかり、髪が乱れない様に優しくゆっくり、ゆっくりと撫でた。ボス以外の異性に頭を撫でられるのは、もしかしたら初めてかもしれない。人間、頭を撫でるという行為自体、それなりの信頼関係がなければなかなか許すことの出来ない行為である。だが、どういう訳なのか、あって間もないクロヌウスに頭を撫でられるのは、不思議とマリーに拒絶感は感じられず、むしろ心地よさを感じているくらいだ。
「あんた、一見気強い様に見えるが、そうでもないんだな。大分悩みを溜め込んでいるみたいだが、いっそのこと解放しちまったらいいんじゃないか? 」
クロヌウスが撫で続けながら言うが、マリーの表情は余り晴れはしない。それも当然だ、それが出来ないからこうして悩んでいるのだ。言うなれば、地球環境を改善する方法は何かと聞かれて人類を滅ぼせばいい、と言っているようなものである。
「……ただてさえルセインは仕事に追われて会話する回数が減ってきているって言うのに、そんなこと出来るわけないだろ。ルセインだって、仕事に追われている時に相談なんかしたら、仕事に支障が出るかもしれないし」
「ルセイン領主に相談することだけが、悩みを解放する手段ではないんじゃないか?」
「はぁ? 何が言いたいのか全く解らなッーーー!?」
マリーがクロヌウスの真意を問おうとしたその時、クロヌウスの顔が急接近したかと思えば、お互いの唇が重なりあっていた。マリーはすぐにでもクロヌウスを引き剥がそうとしたが、マリーの動きを予測していたかのように、素早くマリーの背中に手を回し、一切の抵抗が出来ないようにきつく抱き寄せた。
「んん…! んんぅぅぅ……ぅぅ、ぷは! な、何のつもりだ!」
やっと唇が解放されると、息ができず、苦しさのあまりマリーは目尻に涙を溜め込み、鋭い目つきでクロヌウスを睨みつけた。先程まで大人しく話を聞いていたクロヌウスの急な行動に、マリーは驚信用していた心を裏切られたと、怒りを覚え、クロヌウスに怒りを覚えるのは当然のことである。
対してクロヌウスは、自分のしたことが解っていないのだろうか、マリーに睨まれても至って平然とした態度である。
「言っただろ? 悩みを解放させるって。お前の悩みは要するにルセイン領主が自分を求めていないんじゃないかって不安なんだろ?
なら、俺がお前を求めてやる。ルセイン領主に求めていたことを全て俺が叶えてやるよ。ルセイン領主を忘れるほどにな」
「気が狂っているのか!? 私が求めているのはルセインであって、お前じゃない! お前に抱き締められても不快なだけだし、キスをされるなんて屈辱だ!」
「嘘を言うな、頭を撫でた時凄く気持ちよさそうな顔をしていたじゃないか」
「ッ! そ、それはっ!」
「まぁなに、この話を持ち出した女は大抵お前みたいな反応をするが、すぐに俺の考えを理解してくれたよ。その中でも深く理解してくれたのはナノとネロルだ。ナノは元々はあんな見た目ではあるが、御家はウィルデット軍の下士官の娘で、ウィルデット軍の重要なポストを約束された軍人の許嫁が、約束された裕福な生活を捨てて俺のところについて来てくれた。ネロルは大商人の妻だったが、ルセイン領主のように仕事一筋で全く相手にされず、俺が慰めたらナノと同様、俺について来てくれたよ。今は理解できなくてもいい、いつか必ずわかる時がくる」
「や、やめろ! ルセインを裏切りたくない!! こんなのは、私が求めたのはこんなのじゃない! やだ、やだやだやだぁぁぁ………」
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空には太陽が月に変わって地上をてらし、鳥達が小鳥の為に餌を求めて飛び回り、辺りはすっかり朝の様子が包まれていた。兵士達も朝だけは死体を焼く作業を一旦やめて、ゆっくりと朝食を楽しむ。そんな中、一人の士官がボスのテントに入った。
「領主様、起きてください。そろそろ起床の時間です」
ボスの体を揺する士官に、ボスが唸り声を上げると、ゆっくりと目を開けた。目の前にはデュランダルが、すぅすぅと寝息を立てて寝て、当分起きる事はなさそうだ。ボスは起き上がると、士官と顔を合わせようとし、あることに気づいた。
「ん? おい、マリーはどこに行ったんだ?」
「マリー様ですか? さぁ、私がここに来るまでには見かけていませんが、探しましょうか?」
「いや、そこまでしてもらわなくてもいい、どうせ飲みに行っているんだろう。そんなことより、今日の予定はなんだ?」
「はい。今日は各軍司令官の方々と今後の方針についての会議があります」
「おお、今日だったか。最近は色々とあってすっかりと忘れていた」
頭を掻きながら、少し寝ぼけ気味にボスは言い、ベットから出てすぐに替えのスーツをクローゼットから出して着替え始めた。軍司令官との会議、これは死体焼きを終えた後の軍の今後の動きについての重要な会議ではあるのだが、それを忘れてしまうとは少し疲れているのかも知れない。
「会議以外には、何か予定はないか?」
「はい、他には特に何もありません。会議はお昼頃なので、それまではゆっくりとしていてください」
そう言うと、士官はボスに一礼すると、早々にテントから出ていった。ボスを起こすためだけに来たのだと思うと、少し申し訳なくなるが、これもある種領主の特権である。ここは甘んじて利用させて貰うことにしよう。
「くぁぁぁ………ゆっくりか、なんか久しぶりに聞いた言葉だな」
あくびまじりに、ほんの少しではあるが、久しぶりに偶然手に入れることが出来た自由時間に、ボスはぼんやりと今までの忙しさを思い出していた。確か、最後に休んだのは、フランドルに脅されて王会議に出席することになり、館に戻った時だ。その時は1ヶ月の大きな休暇になるはずだったのだが、そこでアリサがドライゼ銃を開発していたを発見し、これは使わない手はないと、王会議のスピーチの練習や、ドライゼ銃のテストに1ヶ月全てをつぎ込んてしまい、結果的に休まる時間は一秒たりともなかったのだ。つまりお昼までのこの瞬間が、ボス、久しぶりの休息である。
しかし、あまりにも久しぶりすぎると休息の過ごし方など忘れてしまうものである。酒を飲むにも朝から飲むのは気が引け、デュランダルを起こして話相手をしてもらうのも、デュランダルに申し訳ない。なにより、こんな戦場では娯楽なんてものはたかが知れてるのだ。娯楽テントに行くにも、あそこは兵士達の唯一の憩いの場だ。あそこは兵士に譲るべき場所である。となると、結局の所凄くヒマになってしまった。
「…………少し辺りを散策するか」
このままテントに篭っていてもろくな事はないだろう。ボスはテントの出口の垂れ幕を捲って外に出た。朝露により湿った草木が日光に照らされ、草木が放つ独特のいい匂いがする。ボスはこの匂いは大好きだ。生きている実感を感じられることと、非戦闘地域にいる証拠だからだ。
「すぅ………………はぁ、今日も空気が美味い。硝煙の臭いが微塵もない。今日はいい日だな」




