少女、是非もなし
「うう…………」
マリーはゆっくりとクロヌウスの手によってベットに横たわり、思わず息が漏れる。不思議と吐き気は覚えず、気分自体はそこまで悪くない。世に言う悪酔いはしておらず、ただ平衡感覚に難がある程度だろう。
「水でも飲むか?」
「いや…………このまま寝かせてくれ」
マリーは寝返りを打ち、眠る体勢を整えていく。このまま起きていても気分が落ち込んでいくだけだ、体も精神も休息を望んでいることだろう。酒を引っ掛けてさっさと眠ってしまうつもりだったが、どこかで間違えてしまったようだ。こうなったら眠るが勝ちである。
「なぁ、少し聞いていいか?」
マリーが目を閉じて眠る準備をしていた矢先、クロヌウスが邪魔をするように口を開いた眠ろうとしているのだ、当然言い訳がない。当然、マリーは露骨に嫌そうな顔をして拒否をする。
「………寝るって言っただろ。質問には答えないぞ」
「そうか…………まぁ、そりゃそうだな。忘れてくれ」
意外にも、クロヌウスは簡単に引き下がり、それ以上は何も聞かずに口を閉じた。静かにしろと言って置いた身としてはなんだが、口を閉じられると一体何を聞こうとしたのか気になってしまう。マリーはその妙な好奇心には抗えず、クロヌウスに口を開いてしまった。
「…………………一体何を聞こうと思ったんだ?」
「ん、寝るんじゃなかったのか?」
「気が変わったんだ」
「なんだそりゃ、ハハハ」
クロヌウスは人懐っこい笑みを浮かべ、寝ているマリーの隣に椅子を置いて座った。マリーは寝返りを打ってクロヌウスと対面し、ニコニコと笑うクロヌウスの顔をじっと見つめる。クロヌウスの放つ笑顔はどこか引き込まれる何かを持っているのだろうか、まるで無垢の赤子の笑みを見ているようで、どこか安心する。
「まあ、聞きたかった事ってのは、バーカウンターで聞いたことだ。ルセイン領主を呼び捨てにする程の間柄ってことは、かなりルセイン領主と密接な関係だってことだろ?
だからつい気になってな。もちろん話したくないのなら話さなくてもいい、無理強いはしたくないからな」
「……………」
クロヌウスの言葉に、マリーは視線を落とし、ベッドのシーツを眺め、まるで話すべきかどうか悩んでいるようにも見える。だがやはり少し酔っているのか、それとも誰か相談相手が欲しかったのか、程なくしてクロヌウスと目を合わさずに、ポツリポツリと話した。
「ルセインと私の間には…何もない。バーカウンターでお前に聞かれた時に答えられなかったのはそう言う事だ。ルセインとは夫婦でもなければ、もしかしたら交友関係もないのかもしれない、ただあるのは肉体関係だけだ。私はルセインを愛しているけど、ルセインは私を愛しているのか解らない。エッチする時は必ず避妊されるし、子供をねだっても毎回はぐらかされるから、もしかしたらルセインにとって私は娼婦程度にしか考えていないのかもしれないな………ははは」
どこか自傷気味に笑うマリーであるが、笑うに笑えないその話に、先程までの人懐っこい笑みを浮かべていたクロヌウスの顔は、何を考えているのか分からないが、とても険しい表情をしている。マリーに同情してボスに憤慨しているのかもしれないし、余りにも重い内容に聞かなければ良かったと後悔しているのかもしれかい。口を開いたクロヌウスの声は、顔の険しさに比例して、とても荒っぽい声だった。
「その話を聞く限りだと、ルセイン領主は相当なクソ野郎って事になるんだが、なんでそんな奴を愛しているんだ?」
「………なんでだったっけな、出会いは最悪も良いところだったのは覚えているけど、惚れたのはいつ頃かなんて覚えてない。ただ、理想を追い求める周りが何も見えなくなった時のルセインは危なっかしくてな、一度死にかけた時があったぐらいで、どこかほっとけないんだ。あと、酒に弱い癖に何だかんだ言って一緒に飲んでくれる所とか、そこら辺が惚れた理由なのかも知れないな」
「そんな一面もあるのか。他の貴族共が陰口とはまた違うようだ」
「貴族共の、陰口?」
クロヌウスのその一言に、マリーは眉を顰める。過去にアルダーナーに命を狙われたことがあることから察するに、ボスの功績を妬んでいる貴族は数多にいるだろう。考えてみればボスが他の貴族と積極的に交流している姿を見たことがない。相当な数の貴族がボスのありもしない噂話を流しているに違いない。
「ああ、ルセイン領主はフランドル領を吸収して領土もかなりでかくなったし、吸収する以前も様々な手柄を立てたからな。尊敬される反面、よく思わない貴族も現れるわけだ」
「………それで、ルセインはなんて言われているんだ?」
「領土と結婚した男、反感を持つ貴族共はルセイン領主のことをそう呼んでいる。羽振りのいい領主なら本妻一人に妾多数といった英雄色に富んだ話がつきものだが、ルセイン領主は恐ろしくなるほど浮いた話がない。そんな所から、そう呼ばれているようだ」
「…………ふふ」
クロヌウスの話を聞いて、マリーは思わず吹き出してしまった。領土と結婚した男、その言葉はあながち的を外してはいない。西に騒ぎがあれば使者を使わず自ら確かめ、東に戦争の火種があれば軍を率いて戦火を交える。領主としては立派な為政者かも知れないが、その分領主の館にボスが戻ってくる回数は減っていき、ボスと話す回数も減っていく。ボスが出世すれば出世するほど、マリーの不安要素は増えていくばかりだ。
「面白い話だったか?」
「あはは………いや、その貴族なかなかのネーミングセンスだと思って、よくルセインを見ているよ」
「ほう、ではルセイン領主は、仕事を優先するタイプの人間なのか?」
「まあ、領主なんだから仕事に集中して貰わないと領民も困るんだろうけど、もう少しルセインのほうから構って欲しい、かな……」




