少女、弄る
「ふぁぁ…………んん、喉乾いたな………」
下着姿で起き上がり、背伸びをしながらマリーは、ふと隣で少し頬が窶れ、熟睡するボスを見て、ふわりと笑みを浮かべて頭を撫でる。外はまだ暗く、起きるには少し早過ぎると言っても過言ではないが、変に目が冴えきってしまい、朝まで寝具の上に寝転がる気分ではなかった。酒でも飲もう、そう思い立ったマリーは立ち上がり、そそくさと服を着ていざ酒棚を覗いてみるが、あるはずのボトルが跡形もなく消え去っているのだ。
「あれ? まだいっぱいあったはずなんだけどなぁ………ううん?」
酒棚を舐め回すように見ていると、コツンと無機質な物が当たり、見てみると中身がなくなったボトルが、まるでゴミ箱に溢れかえった生ゴミのように部屋中に散乱している。どうやら、ボスとの行為中に無意識に飲酒していたらしく、飲み尽くしてしまったようだ。ここで諦めるのも一手ではあるが、酒棚に酒がなくとも、酒を飲む方法がないこともない。マリーはテントにボスとデュランダルを残して出ていくと、ある所に足早に向かった。そこは、食堂テントの更に奥に設置されている娯楽テントである。先のコージュラ皇国軍との戦闘の後、昼と夜の二交代で働き続ける兵士達の為に設置された何個ものテントを集結させた広いテントで、ここには賭け事をする為の簡易カジノや、食堂では出ることのない酒や軽くつまめる肴などを用意してくれるバーカウンターがあるのだ。
設置当初、このバーカウンターで出る酒はどれもこれも泥水と大差ないようなまずい酒しか供給されず、マリーはまず近寄らなかったのだが、最近になってメルルが大量のワインを置いていき、以前よりも大分良質な酒にありつけることが出来るようになったのだ。
だが、ただワインを飲むだけならマリーは動こうと思わないだろう。マリーは自他共に認める酒豪ではあるが、ワインはそこまで好きではないのだ。ワイン独特の渋味と苦味が余り好きではなく、ガブガブと飲むとデュランダルに野蛮人と罵られるなど、ワインにはいい印象が持てないのが理由だ。ではなぜ、まともな酒がワインしかないバーカウンターに行くのか、それは、ある兵士達の会話を聞いたからだ。内容はこうだ。
「なあ、知っているか? メルル様の置いていったワイン樽の一部に、物凄い度数が高いのが混じっていたらしいぞ?
なんでも噂じゃあ、今流行りの蒸留酒なんじゃないかって言われているらしい」
「そうなのか、しかし、ワイン造りしかして来なかった光の騎士教団に、蒸留酒を作るノウハウなんかあるのか?
もしかして、極端にワインが腐っているんじゃないのかぁ?」
「いやいや、飲んだ兵士曰くなんとも言えない上質な味と香りがするそうだ」
この会話を聞いたマリーは、ワインを蒸留させた所でワインはワインだろうと高を括り、ボスのテントに送られる献上品のエルフの里産の蒸留酒があったので、噂の真相を確かめようとしなかったが、ボスのテントにある蒸留酒が尽きてしまった今、その時に聞いた噂が頼りだ。足早に歩き、夜遅いと言うのに酒を酌み交わす兵士達を掻き分け、遂にバーカウンターに到着したマリーは、マスターに向けて一言述べた。
「おい、ここに蒸留酒があるらしいな、出してくれないか?」
「蒸留酒? ああ、焼ワインね」
焼ワイン、聞いたことのない名前だが、どうやらマリーが求めている蒸留酒の名前らしい。恐らく、飲んだ兵士達がそうつけたのだろう。黒塗りの瓶からグラスにトクトクと注がれ、マリーの前に置かれた。マリーの故郷であるエルフの里で作られている蒸留酒は、りんご酒を蒸留して作られているのに対し、目の前にはワインを蒸留して作られたであろう蒸留酒、りんご酒もワインも分類としては醸造酒であり、醸造酒を蒸留すると蒸留酒になるのだ。つまり、ワインを蒸留酒に変えることは可能なのである。
「スンスン…………ワインとは大分違う匂いがするな。店主、氷はないか?」
「氷なんてないよ、というか焼ワインは氷で飲まない方がいいと思うよ。ワインに氷を入れて飲むなんてことしないだろう?」
「ふーむ、確かにな」
マリーはグラスを両手に取り、ゆっくりと焼ワインを揺らし始める。木樽に長い間詰まっていたのか、オークの濃厚な香りがグラスの中で波を打つ度にふわりと広がり、なんとも言えない心地よい気分にさせてくれる。マリーの飲みなれている蒸留酒とは少し違うが、これはこれでよさそうだ。
「お、なんだか旨そうな物を飲んでいるな。となり空いているかい?」
いざグラスを手に取り、飲もうとした時に声をかけられ、マリーは後ろを向くと、そこにはクロヌウスが立っていた。マリーはどうぞと言うように隣に手を差し伸べた。
「悪いね、じゃあ失礼するよ…………ふう、いやぁ夜中だっていうのになかなか眠れなくてね。強い酒でも飲んでさっさと酔っ払っちまおうと思ってさ。君もその口か?」
「あ、ああ」
なんだこいつ、聞いてもいないのにベラベラ喋る奴だ。マリーは少し眉にしわを寄せて一口焼ワインを煽るが、隣のクロヌウスに意識が集中しているせいで、肝心の味が全くわからない。いい迷惑である。
「あ、自己紹介が遅れたな。俺の名前はクロヌウス、クロヌウス・シーターだ」
「クロヌウス、か。確かあんた国王から送られてきた客人らしいな、ルセインが言っていていたぞ」
「ルセイン? ルセインってあのルセイン領主のことか? 君はもしかしてエルフ族の王族が何か?」
「いや、そんな事はない。私はルセインの……………」
マリーがそこまで言うと、何故か次の言葉が出てこなかった。言われてみれば、ボスにとってマリーとは、一体どんな風に見ているのだろうか。デュランダルはボスにとって自らの武器と考え、魔女やアルシーは保護すべき対象として見ているだろう。では、マリーはどうか?
考えてみれば出会いはボスにとって最悪そのもの、領主の館にいるのだって半ば強制的について行ったようなものだ。もしかしたら、ボスにとってマリーはいい迷惑なのかも知れない。マリーの胸の中が、きゅうと音をたてて苦しくなっていく。
「あ、ああ……………すまん、少し失礼な事を聞いてしまったようだな、許してくれ。俺の悪い癖だ」
「いや、気にしなくていい………」
そう言うと、マリーは一気に焼ワインを流し込み、グラスを空にすると、すぐにマスターにお代わりを要求した。無論味などわかる筈がない、ただただ胸の苦しみをまぎわらせる為だけに一杯、また一杯と流し込むだけだ。そんな様子のマリーに、クロヌウス、そしてマスターも心配になってくるというものだ。
「エルフの姉ちゃん、あんまりガブガブ飲んじゃあ体に毒だよ?」
「…………私の心配はしなくていい。それよりも、早く次の一杯をくれ」
「いや、マスターの言う通りだ。これ以上飲んだら体に毒だぞ」
クロヌウスもマスターに便乗するように、マリーに飲酒を止めるが、マリーは不機嫌そうにふん、と鼻を鳴らすだけだ。グラスに残った蒸留酒をぐいっと飲み込む頃には、ボスのテントで飲んでいた分が回ってきたのか、マリーの顔は赤く火照り、ゆっくりと頭を揺らす所を見ると、少し平衡感覚も失っているようだ。
「……そろそろ戻る」
そう言ってマリーは立ち上がるが、足に力が入らず、フラフラとしてしまう。少し突けば倒れてしまいそうなマリーに、クロヌウスはマリーの肩を持った。
「まて、そんな体でろくに歩けるものか。俺のテントで休ませてやる」




