少女、危機感
「おお、ルセインお帰り」
ボスのために設置された貴族用の豪華なテントの中には、マリーがショットグラスを片手に一杯やっていた。ボスはああ、とだけ言うと、ゆっくりとマリーの隣の席に腰掛けた。
「ん、珍しいな、ルセインの方から私に近づくなんて」
「まあな、俺も一杯やりたい気分なんだ。ついでに話相手がいると助かるってところだ」
そう言うと、ボスはおもむろに懐から紙箱を取り出し、中からアリサ特製紙巻タバコを取り出した。現在、この紙巻タバコはボスの許可の元で、主に酒場に販売をしているが、取り扱っている酒場の店主が言うには、なかなかいい感じに売れているらしい。この調子でどんどん売れて欲しいが、あまり売れすぎると都市環境に悪影響を及ぼす可能性があるので、供給には細心の注意をする必要があるだろう。
ボスは紙巻タバコをランプの火に近づけ、ゆっくりと吸い上げて火をつける。領主業をこなすには、もはやなくてはならないような存在になってしまった紙巻タバコだが、魔女やアルシーの前で吸うとすごく嫌な顔をするので、ボスは暗闇に隠れるようにこそこそ吸うしかなくなってしまった。堂々と吸えるのは、魔女とアルシーのいない出先か、マリーとデュランダルの前ぐらいだ。
「ふー………人心地ついた」
「デュランダルもそれ吸っているけど、余り吸いすぎないほうがいいと思うぞ」
紫煙を燻すボスのとなりで、マリーがトクトクとボスの為にショットグラスに蒸留酒を入れながら注意を促す。マリーの表情を見る限り、ボスの喫煙に対してかなり思う所があるらしい。このままでは、更にボスの肩身が縮まってしまう。マリーから蒸留酒の入ったショットグラスを受け取ると、ボスは宥めるように説得することにした。
「そう言うな、俺のささやかな楽しみの一つなんだ」
「いいや言うぞ、エルフの里の医術師が、その紙巻タバコには体に深刻な悪影響を促す毒素が含まれているって発表したらしい。そんな物を吸い続けたら、ルセインも体を壊すぞ」
「くっ、医者が余計なことを………」
マリーの言いくるめに失敗してしまったボスは、紙巻タバコを地面に落とし、火を踏み消すとショットグラスを手に取り、一口煽る。蒸留酒が喉を通るのを感じ、徐々に体の芯から熱くなり思わず、ほう、と息が漏れる。
「んっ……んっ………ぷはぁ」
ボスがチビチビと蒸留酒を飲んでいる隣で、まるで水か何かのようにマリーが喉を鳴らしてショットグラスを飲み干していく。予想だと恐らく46度ほどはある筈だ。いくら肝臓が丈夫だからと言っても、何時か病気になりそうだ。そう考えながら、クピリと一口煽ると、脳裏に反撃の稲妻が走った。
「ふふふ……マリーよ、お前俺のタバコにイチャモン付けるが、お前の酒の飲み過ぎにも問題があると思うぞ?
酒の飲み過ぎは肝臓に著しいダメージを与えるって王都の医学者が言っていたらしいぞ? お前も酒を控えたらどうだ?」
してやったり。ボスの心の中で確かな反撃に成功したと、勝ち誇った気持ちになっていた。これは確かな正論だ、何も言い返せないだろう。そう考えていたボスではあるが、マリーはしれっとした態度で反論した。
「いや、エルフ族と人間じゃあ体の構造が少し違うからな。人間は肉を食うから内臓が弱くなっていくけど、エルフ族は肉を食べずに色んな野草を食べるから、内臓が頑丈なんだ。だから、ルセインが言うことはエルフ族には関係ないぞ」
バタリ
マリーの反論に、ボスは思わず机に伏した。耳以外外見は人間との差がないので、てっきり体の構造も人間と一緒だとボスは思っていたが、それは勘違いだったようだ。このままでは何も言い返せない、いや、もう何も言い返せない。先程まで1人勝手に勝利の余韻を味わっていたのが一変、とんでもなく恥ずかしい状況に追い込まれてしまった。こうなれば最後の抵抗として、ボスは机に伏してこの場をやり過ごすことを決行することにした。
「んん? おーい、ルセイン、まだ一杯目だろうが、もう酔っ払ったのか? それとも狸寝入りか? なんとか言ったらどうだ?」
マリーがボスの体を揺するが、ボスは一切の反応を見せない。ボスは断固として、マリーがいかなる手段でボスを起こそうとしようと反応せんと、無視を決め込むボスに、マリーがため息を吐くと、ボスの耳元にまで近づき、ボソッと呟いた。
「後悔しても、遅いんだからな」
ヌロォ…………チュル……
「!?」
何をするかと身構えると、マリーはボスの耳を、ネットリとした舌で、ゆっくり舐め回した。漏れる吐息がなんともこそばゆい。背筋にゾクゾクッと何かが走るのを感じると、思わず起き上がってしまいそうになってしまうが、意地でなんとか耐え、体を静止させる。全く反応しないボスに、マリーはむう、とむくれてみせた。
「ほっほう………この程度はなんて事無い、か。なら、私も少し本気を出すとしようじゃないか」
そう言うと、マリーは舐める範囲を耳の溝から範囲を広げ、耳たぶを軽く甘噛みをした。ぴちゃぴちゃと唾液が絡む音が、すぐ間近で聞こえ、マリーの艶かしい声がテントに鳴り響く。実に屈辱的だが、ここで動くわけにはいかない。
「んぅ………じゅるるる………レロォ…………はぁ、ん…………んん……………ちゅる…………ん、少し動いたぞ、観念したらどうだ?
それとも…………もっと、凄い事を「なぁにやってるのかしらぁ?」」
突如として、怒気の混じった声が聞こえ、マリーが顔を上げてみるど、そこには物凄く怒っているときに浮かべる、引き攣った笑顔のデュランダルがそこに立っていた。まずい、ここで嵐が起きてしまう。
「チッ………………本当に間が悪い時にくるな。今大切な所なんだから、引っ込んでろ」
「大切な所? 私には盛ったメスエルフがルセインを襲っているようにしか見えないわよ? 全く欲望に忠実な野獣は少しの油断も出来ないわねぇ…………」
ボスのくだらない我慢が、まさかこんな結末を呼び寄せるとはだれが思いついただろうか、今、このテントの中は息をすればむせ返ってしまいそうな瘴気が、マリーとデュランダルの二人によってまき散らされているのだ。ああ、このままではテントが荒らされてしまう、そう考えたボスは、何が飛んできても耐えられるように、そっと自分の頭に両手を乗せ、その瞬間に備える。
「………………?」
いざ待ち構えて見るものの、その瞬間が何故か到来しない。何が起こるかわからないので、一応頭はガードしておくが、喧騒の罵声一つ聞こえない。何が起きているのかと、そっと目を開けると、何故かマリーとデュランダルが、ボスの方をただ、じーーーと眺めているのである。会えて一言いうことがあるとすれば、不気味だ。
「………ねぇ、正直言って私我慢できないくらいすごく溜まっているの。それはあなたもでしょう? だから、今日はルセインを逃がさない為に、協力しましょう?」
「………いいぞ」
…………サノバビッチ。




