少女、死の行進
気づけば、2日目も終わろうとしていた。空高くには満月が上り、宝石のような星が散りばめられて、砦を照らしている。今日の日中は平和そのものだった。てっきりコージュラ皇国は何日もかけて戦闘をする腹だと思っていたが、案外ゆっくりしているものだと、指揮所からコーヒー片手にボスはぼんやりと考えた。援軍がくるのは明日、このままスムーズに事が運ばれれば我々は防戦一方から一気に反撃に出ることが出来る。こちらの手勢はまだ2万強は残っている。数時間なら防衛することは充分に可能だ。もはや我々は勝利を約束されていると言っても過言ではない、ないのだが、ボスには不安要素が一つだけある。それはメーチェルだ。メーチェルが弓兵軍司令が言っていた通りの人だとすれば、とんでもないサイコパスだが、それでもたった一人だ。しかもボスには強力な兵器、ドライゼ銃がある。不安な事などなにもないはず、その筈なのだが……サイコパスのやる事ほど奇天烈で猟奇的なことはない、何をやらかすかわかったものではない。
「妙だと思いませんか、領主様」
そう言って指揮所に現れたのは、弓兵軍司令だ。その後ろには、重装、銃兵、軽装軍司令がぞろぞろと指揮所に入り、皆何か言いたげな表情だ。全軍司令が集まると言うことは、余程疑問に思っていることがあるのだろう。
「何がだ? もしかして今日コージュラ皇国軍に全くの動きがないことか?」
「そうです。戦力差は我々の2倍、間髪入れずに飽和攻撃を行うのが定石でしょう。しかし、なぜか今日は姿すら表さない。これはなにか企んでいるのではないでしょうか?
私を含め、他の軍司令も懸念しております」
「だとすれば、人間がもっとも集中力が散乱すると言われる丑三つ時の攻撃、つまり夜襲をしかけて来るだろうな。だが、お前が言った通り戦力が我々の倍あるコージュラ皇国が夜襲を仕掛ける必要性がわからん。もしかしたら、コージュラ皇国の指揮官メーチェルは部下のルドルフの死に嘆き悲しんで軍を動かすこともままならんのでは?」
「それは楽観的過ぎます。そんな感情に左右される者は指揮など出来ません。必ず何か行動を起こす筈です」
「……………うーむ」
弓兵軍司令がここまで食い下がってくるのは初めてだ。恐らく長年軍司令としてのカンがそうさせているのだろう。いや、普通に考えてもこの状況は普通ではない。弓兵軍司令が言った通り、ボスの考え方は楽観的過ぎだ。部下の死にいちいち苦悩するような指揮官は指揮官に向いていない。もっと向いている指揮官候補に蹴落されてしまうだろう。無駄死にさせず、必要最低限の犠牲を算出する理性から切り離された残忍な人が指揮官に向いているのだ。サイコパスであるメーチェルなら、もしかしたら我々の想像の範囲を遥かに超える行動を起こすかもしれない。
「……お前の言うことにも一理あるな。どうせ援軍はあと少しで到着する訳だし、兵の疲弊覚悟で全力戦闘の準備をさせてくれ」
「勝手ながら、既にしております。援軍が到着するのが近いからか、兵の士気も上々です」
勝手に軍を動かすのは本来軍法会議物ではあるが、今回は弓兵軍司令の機転を評価して目をつぶり、ボスは各軍司令と話してている間に冷めてしまったコーヒーを一気に煽り、防壁の外に目を向けた。月明かりに照らされている野原には、軍勢らしい人影は今のところ見当たらない。このまま朝まで何もなければいいのだが、世の中そこまで甘くない。ボスは目を凝らして野原を監視する。
こんな見通しのいい野原に大軍を出せば、確実にボス達の目に入るだろう。そのくらいのことはメーチェルとて判断が出来るはずだ。だとすれば、ボスと同じように少数による奇襲を考えるだろう。ボスの手勢の倍はある兵力を所有しているにもかかわらず、奇襲を仕掛けてくる理由はいくら考えてもやはりわからない。弓兵軍司令があれだけ食い下がらなければこんなことは絶対にやらないだろう。だが、今は弓兵軍司令の提案を飲み、警戒に徹するのみだ。
「……………ん? 領主様、あれはなんでしょうか?」
2時間後、夜は更に深まり、月が雲の合間に隠れようとしている時、となりでボスと一緒に監視をしていた銃兵軍司令が、何かを見つけたのか、指をさしてボスに確認を取らせようとしている。ボスは銃兵軍司令が指さす場所に目を向けると、なにか、小さな影がもそもそと動いているのが見てわかる。一見野生動物にも見えるのだが、動きが妙だ。ジグザグに進み、確実に砦に近づいてきている。その動きは、ドライゼ銃の発砲を警戒しているような動きをしている。野生動物なら、そんなことは考えなければ、まず砦に近づこうともしないはずだ。ボスは眉を顰め、各軍司令に命令を下した。
「少し怪しいな、銃兵軍司令はあの影に向け威嚇射撃を指示しろ。弓兵軍司令は装填時の銃兵師団を援護、軽装軍司令と重装軍司令は白兵戦を想定して指揮所を中心とした防護陣を構成しろ。もしあれが敵兵だとしても、一人なら囮の可能性もある。砦の全方位を警戒するんだ」
ボスがそう言うと、軍司令達は素早く持ち場に戻り、ボスの指示通り軍勢を動かした。防壁に銃兵が上り、薬室に弾丸を込めて装填を完了させると、暗闇を切り裂くような閃光と轟音が鳴り響いた。威嚇射撃の対象である影は、発砲音を聞くとその場で立ち止まり、動かなくなった。やはりあれは野生動物などではない、コージュラ皇国兵で間違いないだろう。ボスは動かなくなった影を見て、流れ弾が当たって動けないのか、それとも狙われている恐怖に腰を抜かしたのか判断していると、突然影はジグザグに進むのを止め、真っ直ぐ直進してきた。防壁で構えている銃兵は、落ち着いて各個射撃をするが、当たっていないのか影は一向に速度を落としているようには思えない。影はそのまま防壁にまで到達すると、一瞬防壁が邪魔で見えなくなり、次の瞬間20メートルほどの高さのある防壁の上に、跳躍して乗ってみせたのだ。普通では考えられない、有り得ない動きを目の当たりにしたボスは、背中に滲む汗を感じながら、月明かりに照らされ、影が消え去り、たった一人で乗り込んできた敵の姿を、じっと見つめ、驚愕した。
「メーチェル…………」
長い銀髪を靡かせ、紅に染まった眼で、うっすらと笑いながら防壁に配置されている銃兵を見つめている。銃兵達も敵が目の前にいるというのに、全く反応が出来ていない。時が止まったかのような砦にて、メーチェルは目の前の銃兵の額に、軽く人差し指を添えた。
「惚けているのは、だーれーかーなー?」
ビジュッ!
気づけば、メーチェルの目の前に立っていた銃兵は、輪切りにされたレタスのように、勢い良く頭を斬り飛ばされ、脳の血管から血しぶきが噴水のように吹き出た。その時、止まった時は再び動き出し、銃兵達に思考が再び戻った。
「撃て! 撃ち殺せ!」
誰が言い出すわけでもなく、銃兵達は口々に言うと、ドライゼ銃をメーチェルに向け撃ち放つが、メーチェルは予期していたかのように伏せ、銃兵達の撃ち放った銃弾は、味方同士による同士討ちを引き起こしてしまった。あんな狭いところで銃の撃ち合いをしてしまえばそうもなる。
ど、どこにいった!? 伏せているんだ、撃て! ま、まて、こちらに銃口を向け……ッガア!
防壁では混乱が発生し、銃兵達がわちゃわちゃ動き回るせいでメーチェルの位置すら割り出せない。すぐさま混乱を抑えようとボスは大声で指示を出した。
「防壁の上にいる銃兵は全員退避しろ! 軽装、重装は退避してくる銃兵の中から敵を炙りだせ!」
ボスの声が届いたのか、銃兵は流れ出るように防壁から降りて、メーチェルからの脅威から逃げようと大量に下ってきた。メーチェル一人にこれだけの軍勢が翻弄されるとは、ボスとしても、少しメーチェルの存在を軽んじていたと後悔をするも、今は目の前のことに集中する。恐らくメーチェルは銃兵に混じって来るだろう。そう踏んでいたボスだが、それは大きく外れた。誰も居なくなった防壁の上に、ポツンと一人、ボスの方を見て、パァァァと明るい表情のメーチェルがそこに立っていたのだ。
「み〜つけた」




