少女、異様
指揮所にて、ボスは簡易的な寝具に身を包み、眠りにつこうと目をずっと閉じているが、一向に睡魔が襲ってくる気配がない。眠れないと人はイライラしてくるものだが、ボスの場合弓兵軍司令が話していたメーチェル・ラングラーの話が頭を離れないからだ。
メーチェル・ラングラー。部下や他国の軍人にも【非道のメーチェル】と呼ばれている。ラルク・ラングラーがまだラングラー家の当主だった時に騎士として活躍していたらしいが、冷酷で残虐性溢れる戦い方をするらしい。
こんな話がある。昔、コージュラ皇国の南西部に位置するガルガーナと呼ばれている、国とはとても呼べない小さな村の集合体で、狩猟で採ってきた獲物の肉や毛皮を行商人に売って生業にしている異民族が存在したそうだ。ある日コージュラ皇国側は、ガルガーナにコージュラ皇国の一部となるように通告したが、ガルガーナはこれを拒否、コージュラ皇国議会はすぐさまラングラー家に討伐命令を下した。ラルク・ラングラー率いる2千ほどの兵を引き連れて、ガルガーナ討伐に挙兵し、2日に渡る戦闘が繰り広げられた。結果はラングラー家の圧勝、装備、戦術、数の全てが勝っているラングラー家からすれば、当然の結果であるが、本来ならば2日もかかる事はなく、ほんの数時間で終わるはずだった。では何故2日も掛かってしまったのか、それはメーチェルがガルガーナの降伏を拒否し続けたからだ。当時、最前線で戦っていたメーチェルはガルガーナに降伏の旨を伝えに来た使者を来る度に殺害し、ラルクの耳に伝わらないようにしたそうだ。その結果、ラルクから退却命令は下されず、ガルガーナは最後の一兵すら生きることが叶わず、兵が全滅してもメーチェルの足が止まることはなかったという。これが1日目の話だ。
二日目ともなると、メーチェルの指揮による民間人の虐殺が始まった。特にメーチェルが好きだったのは、妊婦の腹を裂き、出てきた胎児を妊婦とその夫に食べさせることだったそうだ。その光景をメーチェルは高笑いしながら眺め続け、徐々に体を失っていく胎児の様を記録させたくらいだ。これが非道のメーチェルと呼ばれる由縁の1つとなった。
だが、ある日を境に、メーチェルは非人道的な行為を一切やめるようになった。それは、ルドルフが副官に就任して間もなくのことだ。その豹変ぶりはコージュラ皇国内で波紋を呼び、貴族や軍人を驚かした。メーチェルの性格を変えさせるほど、優秀な働きをしたとして、他の貴族、はたやコージュラ王族までもがルドルフを引き抜きをしようとしたが、メーチェルは頑なにルドルフを手放さず、また、ルドルフもメーチェルから離れることはなかった。そんな信頼関係に保たれた2人を、死によって引き離したボス。メーチェルが次に取る行動を考えると、おちおち寝てはいられないのだ。
「領主様、よく眠ることができましたか?」
ボスを起こしに来たのは、歩哨をしていた銃兵である。両手には盆の上に干し肉と紅茶の入ったポットとカップを持ってきた。全く眠ることが出来なかったが、ボスは目を開き、体を起こした。空を見ると太陽は高く昇っている。恐らく時刻は正午ぐらいだろう。昨日だったら既に銃声が鳴り響いていたにも関わらず、今日はのんびりとしたお昼だ。ボスは干し肉を齧りながら銃兵に尋ねた。
「今日は妙に静かだな、敵に動きはないのか?」
「はい。それが全くと言っていいほど動きがないんです。敵の斥候が動いているようにも見えないし、聞こえるのは鳥のせせらぎくらいです。ああ、でも偶に煙が見えます」
「なに、狼煙かなにかか?」
「いえ、その可能性はないでしょう。恐らく飯でも作っているのではありませんか?」
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今日の未明、敵の暗殺部隊がルドルフとメーチェルを襲ったと知らせを聞いた時にはもう遅かった。主君であるメーチェルが生きていたからいいものの、副官であるルドルフの死はかなりの痛手だ。メーチェルの心を安定させる者は、ルドルフ以外にはいなかったからだ。
朝四時頃、メーチェルがルドルフの死体を抱えて帰ってきた。何を言っても反応しないルドルフに、楽しそうに話しかけるメーチェルの姿にその場にいた兵士、幹部達は全員震え上がったと言う。その後、メーチェルはテントに篭って今の今まで出てこないので、ルノー将軍は様子を見に、テントの前に来ていたのだ。
「メーチェル様、失礼します」
ルノー将軍はテントの垂れ幕を捲ると、なんとも言えない腐臭に、鼻を押さえ眉を顰めた。恐らくルドルフの死体が傷口から腐り始めているのだろう。ルノー将軍はテントの奥へと進み、ベッドに横たわるメーチェルとルドルフを見つけた。メーチェルの顔には涙の跡が残っており、ルドルフの手を掴んでぐっすりと寝ている。ルノー将軍はメーチェルの体を揺すって起こした。
「メーチェル様、早く起きてください。ひどい臭いですよ」
ルノー将軍の言葉に、メーチェルはゆっくりと目を開き、ルノー将軍を見つめ、ゆっくりと体を起こし、ルドルフに向かってニコリと笑った。
「おはよう、ルーくん」
当然死体が話す訳が無い。しかし、それでも楽しそうなメーチェルに、ルノー将軍は眉間を抑え、ため息を吐いた。
「……メーチェル様、ルドルフは―――」
「わかっているよ、そのくらい」
まるでルノー将軍が見えていないかのような態度だったメーチェルが、自分の言葉に反応したことにルノー将軍は少し驚いた。いや、それよりも驚いたのはルドルフが死んでいることを理解していたことである。ルノー将軍はてっきり、メーチェルの頭がとち狂ってまだルドルフが生きていると思い込んでいるのかと思っていたが、死んでいるのをわかっていてルドルフに話しかけていたのだ。だが、それなら話は早い。
「ではメーチェル様、ルドルフの死体をこちらに渡してください。早く焼かないとテント中蛆虫の巣窟になりますよ?」
「ねえ、死体とお話するのってそんなに変かな?」
突拍子のないメーチェルの質問に、ルノー将軍は首を傾げるが、すぐに返答をした。
「まあ、変か変じゃないかで言えば変ですね。いや、変を通り越して不気味です」
「…………不気味、か。そうだよね。でもね、死体でもルーくんと一緒だと、心が安らぐの。ルーくんとお話するのは楽しいの。だから、私からルーくんを取り上げないで?」
「………しかし、いつまでも死体を放置するわけにもいかないでしょう。死体を放置すれば伝染病だっ「うるさい!」」
急に大声を出し、情緒不安定な様子でメーチェルはルノー将軍を威嚇するように、荒い息使いと共に罵倒し始めた。
「死体でもなんでもルーくんは私の大切な副官なの! 私に触れもしないで火の粉に当たらないようこそこそしているお前達とは違うんだ!!
お前達がルーくんの代わりに死ねば良かったんだァァァァァ!」
急に取り乱し始めたメーチェルは、奇声を上げるとともに、辺りにあるものを八つ当たりと言わんばかりに投げつけ、地面に落として破壊したりしだした。こんな光景が他の部下にでも見つかったら大変だ。ルノー将軍はメーチェルを取り押さえようと、肩を抑えるが、女の身でありながら物凄い馬鹿力を発揮し、振り解かれそうだ。なんとか抑えられているうちにと、ルノー将軍は落ち着くようにと促した。
「お、落ち着いてください! こんなこと、ルドルフ殿も望んではおりません! それよりも我々は、ルドルフ殿の仇を取るためにも、あの砦を落とすことに専念すべきです」
ルノー将軍の言葉に、メーチェルはピタッと止まった。ルドルフのワードを出すと、病的に止まり、意思の疎通が可能になるようだ。
「…仇………そっか、仇討ちしないと、まっててね、ルーくん」




