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少女、虚無

「うそ、ルーくんなんで、そんな違う違う違うのルーくんを刺したかったわけじゃないのなんでルーくんがルーくんがルーくんがぁぁぁぁ………」


本来刺されるはずのボスが刺されず、今自分が刺しているのは信頼していた部下であるルドルフという事実に、メーチェルは壊れたスピーカーのように受

け取れきれない現実をただ否定し続け、先程までのメーチェルとは大違いである。


その反面、ボスは五体満足である。服は土などで汚 れてはいるものの、少なくとも命に関わるような大 怪我は負ってはいない。メーチェルはそんなボスを

見て、恨めしそうに睨みつけた。


「なんで………なんでお前が生きているの……?」


「何故? お前のかわいいかわいいルーくんが俺の足を掴んでいたからさ。考えても見ろ、足と腕の力 どっちが強いと思う?

足だろ。しかも関節を痛めているルーくんの握力なんてたかが知れてるだろ? 俺は寸での所でルーくんの手を振りほどいて、首根

っこ掴んで盾にしたんだよ。俺んとこまで刃が届かなくてよかったぜ。それより、ルーくんそのままでいいのか?」


ボスの言葉にメーチェルシーは慌ててルドルフに視線を戻し、ルドルフの様態を確認した。血反吐を吐 き、小刻みに手が震えてはいるが、まだ虫の息程度

には呼吸をしている。メーチェルは剣を放してルドルフを抱きかかえ、そっと胸から聞こえる鼓動を感じ取ろうと頬をルドルフの胸に寄せた。


トクン………………トクン………………トクン…………… 。


確実に弱く、しかし確実に心臓は体に血液を送らんと懸命に働いている。ただでさえ体の弱いルドルフの体を支えていた心臓が、更なる負担を背負ってな

お健気に動いているのだ。今にも儚く散ってしまいそうなルドルフの命の灯火に、メーチェルはただルドルフの体温を忘れないように体に覚えさせようと

抱きつき、肌に馴染ませる。


「………メ…………チェ……様……」


「っ!? ルーくん!」


突如か細い声でメーチェルの名を呼ぶルドルフに、 メーチェルは顔をあげた。刺されているにも関わらず、ルドルフはまるで夢の中にいるような、苦痛を

感じている様子を一切感じない表情で、メーチェルの顔を焦点の合わない目で見つめた。


「メーチェル………様……私は…死ぬのでしょうか。 死ぬ感覚とは、このような物なのでしょうか」


「ルーくんは死なないよ! まだまだルーくんは私の隣で副官をしてもらうんだから! だから……」


ポロ、ポロとメーチェルの瞳から大粒の涙が落ち、 ルドルフの頬を伝って大地に消えていった。涙が頬を伝う感触を何度も感じ取ると、ルドルフは全てを

悟ったように、ああ、そうかと笑った。


「メーチェル様………よく同僚はメーチェル様のことを……ひどく言っていましたが……人間らしい所もあって、意外と泣き虫なんですね。初めて、メー

チェル様の泣き顔を見ましたが……他の部下には、見せないようにしてくださいね」


ルドルフはひんやりと冷たくなった手で、何度も何度もメーチェルの涙を拭い、メーチェルを励まそうとするが、メーチェルの涙は止まる気配を見せず、

むしろ勢いをまして嗚咽が交じるようになった。


「ひぐっ………やだ、やだよお。そんな、お別れみたいな言い方やだぁ……うぅ……グス……」


「はは…………縁起でもないこと言いますね………… 」


「だってぇ………だってぇぇ……」


メーチェルは一層力強くルドルフを抱きしめる。ルドルフは優しい顔で尚メーチェルの涙を拭うが、段々とその拭う手すら弱々しくなり、メーチェルの顔

まで手を持っていくのがやっとだ。とうとう血が足りなくなってきたのだ。いくら心臓が頑張って体に 血液を送ったとしても、送る血液が無ければ無意味

に等しい。やがて心臓すら動かなくなり、ルドルフに終焉が訪れるだろう。それがメーチェルにはたまらなく恐ろしく、そして身を引き裂くほどの悲しみ

に襲われることになるだろう。


「……ルーくん……だけだもん……ルーくんしか叱ってくれないもん……皆、死んだ父様でさえ私のこと腫れ物扱いするんだもん………ルーくん死んじゃっ

たら寂しいよ……一人は嫌だよ…………」


「………しっかり……してくださいよ……メーチェル様………らしくないですよ………仮にもラングラー家の……とう……しゅ……」


遂に、メーチェルの涙を拭う手は、糸の切れた操り人形のように地面に落ちた。ルドルフの目は瞳孔を開き、首は重力を逆らう術をなくし、体の重心がメ

ーチェルに覆うように被さった。もう、ほんの少しもルドルフの体に温かみはありはしない。ルドルフはこと切れてしまったのだ。もう、メーチェルの涙

を拭う人は居なくなってしまった。表情すら糸の切れた操り人形のように、笑うこともない、泣くこともない無機質な顔になってしまった。遺体になって

しまったルドルフに、メーチェルの中の何かが、音を立てて壊れてしまった。ルドルフがいたから壊れずにいた何か、それはルドルフの前では決して見せ

たくなかった【冷酷かつ残酷な自分】を見せないためのメッキ、それが壊れてしまったのだ。


「………そう…………ルーくんも私を見捨てて逝くんだね………でもルーくんは、ルーくんだけはいつまでも一緒だよ」


非道のメーチェル、ここに現る。


――――――――――――――――――――――


気づけば空には少し光が差し込んでいた。時間でいうのならおそらく午前4時ぐらいだろう。ボスはメ ーチェルがルドルフに注意が向いている間に、そそ

くさとその場を脱出することに成功し、今現在砦の防壁付近まで到達している。防壁の上から軍司令の面々がこちらに気付いて手を振っているのがわかる

。あの様子だとボスが心配で眠れなかった口なのだろう。ボスも手を振り返し、防壁に到達するとハシゴが降りてきた。門を開けるのは億劫だからハシゴ

で登って来いということだろう。ボスはハシゴを登り、城壁の上部に到達すると、早速軍司達から質問攻めにあった。


「領主様! お怪我はありませんでしたか!? 兵も心配しておりましたよ!」


「ああ、問題ない。この通り無事に帰還だ」


「そ、そうですか。それならいいのです。ところで 、ひとりでも敵の指揮官を殺すことができましたか?」


「ああ、流石に敵の最高指揮官を殺すことは出来なかったが、その副官に重傷を負わせることが出来た 。あの傷なら今頃死んでいるだろう」


ボスの言葉に、軍司令達と周囲で見張りをしていた兵士達は歓声をあげた。ボスからの知らせは、少し

でも我々の立場を優位にすることができたと、士気をあげるにも持って来いの情報だ。今頃コージュラ皇国軍では混乱が生じているに違いないと、その場にいるものは誰もがそう思った。


「そう言えば、領主様は我が師団から斥候をお連れになりましたよね?」


思い出したかのように、弓兵軍司令がボスに尋ねると、ボスはああ、と言って頷いた。


「確かに連れていったな。すごく役に立ったぞ」


「そうですか、それは良かったです。それで、聞きたいのは我が師団の斥候なら、敵の指揮官を殺す前に必ず敵の指揮官の地位と名前を言うんですが、領主様、恐らく敵の最高指揮官の名前を聞いたと思われますが、なんて名前なんですか?」


「うん? あー、確かメーチェル・ラングラーとか言っていたな」


ボスが名前を述べると、ボスを覗いたその場にいる全員が固まった。まるでベビに睨まれたカエルのように動かないのだ。ボスはまずい事言ったかと頭を掻くと、弓兵軍司令が恐る恐る呟いた。


「これは………とんでもない相手ですね」


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