運動をしよう
「優、この前助けたって家族から贈り物が来てるわよ」
アルバイトが夜勤であるため、昼に寝ている僕は三時過ぎに起きるとテーブルの上に置いてあるケーキを見た。母さん曰く、人助けのご褒美。まぁ、悪い気はしない。ダンジョンで助けた家族からの手紙も入っており、四人からのメッセージには助けて頂いてありがとうございます的な文章が書かれていた。
母さんは引きこもりの息子が、人の為に役に立ったと喜んでいるようだ。いや、そんな事は聞いていないから、自分の想像だけどもさ。
「今日はお父さんも早いから、すき焼きにしよう」
機嫌のいい母さんは、そのまま買い物に行く支度をする。僕は起きたばかりで、身体がまだ完全に目覚めていない感じだ。欠伸をすると、そのままテーブルの上のケーキを手に取った。
「……そう言えば、ケーキも久しぶりだな」
かぶりついたケーキは凄く甘かった。
◇
その日のバイトは休みであり、少しは身体を動かそうと家の庭で筋トレをしてみる。弟が使っているであろう、ダンベルを持ってみたら。
「重っ! 何これ!? 何でこんな五キロぐらいかと勘違いさせて、実際は二十キロとか馬鹿なの? それよりもあいつはそんな重いので筋トレしてるのか?」
五キロだと思って持ち上げ損ねたダンベルを見ると、表示は二十キロである。この騙された感は何ともいえないな。誰も見ていないのが幸運だった。
「身体を鍛えるにしても、やっぱり専門の所がいいのかな? 素人だと身体痛めるとか聞いたし、でもそういう所は高いよなぁ……」
「……近所にジムっていうか、冒険者のための施設があるぜ」
僕は驚いて顔をあげると、そこには弟が立っていた。声をかけられた事よりも、独り言を聞かれて、それに返された事が恥ずかしい。そのまま唖然としていると、呆れた弟が教えてくれた。
「何にも知らないのかよ。冒険者をしてた人がジムを開いてるんだよ。そこで中学生くらいから大人までを対象に、月二万くらいで教えてるぜ。週二ペースだったと思うけど」
「そ、そうか……お前もそこに通ってるのか?」
「はぁ? 俺は学校で部活してるから通う暇なんかねーよ。ただ、いつかはダンジョンに行くから、それまでに鍛える所を探してたんだ」
弟もダンジョンへ行くという事を聞いて驚いた。命の危険があるダンジョンに、わざわざ行きたがるなんて思ってもみなかったからだ。
「高校出た後か、大学に入ってからダンジョンに行くつもり。それが最近だと普通かな? 公務員でもダンジョンで経験積んでると、就職しやすいっていうからさ」
何と! そんな事まで考えていたのか。確かにダンジョンでは不思議パワーで強化されるというし、そういう人間を企業が求めても不思議じゃないな。寧ろ、僕もその道を進むべきではなかろうか?
「……兄貴さ、銃関係の資格とか取る気あるの」
「まぁな」
「それなら学生の長期休みは避けなよ。人が混むし、会いたくない連中とも顔を会わせる事になるからさ」
それだけ言うと、弟は庭から玄関に向かった。会いたくない連中? あの二人以外にも顔を会わせると不味い人間がいるのか……というか、そういう人間が多いなこの世界の僕は!
僕も庭から家に上がると、少し調べ物を始めた。資格をと取る場所や、どんな資格があるのかという事を本格的に調べる事にしたのだ。今のままでは、流石に不味いだろう。そんな不安を覚えつつ、部屋でPCを起動してみる。……あ、あれ? メールがたくさん来てる。
『ココン氏、社長が長期でログインしないのはおかしいと思います』
『他社にシェアを奪われただろうがこの馬鹿野郎!』
『やる気がないなら会社を辞めろカスが!』
……どうやら、この世界の経営系オンラインゲームの仲間からの文句のようだ。平行世界ではこんなゲームが流行っている事を確認すると、改めて自分の知っている世界の常識が通じないのだと実感する。
◇
数日後、アルバイトの仕事を来月から調整して貰う事にして、僕は習い事を始める事にした。先ずは弟が進めてくれたジムと、ルーン文字を教えてくれる魔法教室だ。ジムは元の世界にあった物とほとんど変わらないが、魔法教室は英会話教室を想像させる雰囲気を持っている。
魔法を使えるようになりたいと思う大人が、駅前にある魔法教室で仕事帰りに学ぶのだ。ほとんど英会話教室と変わらないだろう! そう思いつつ、来月から受講する事にした。コースは、サポートコースという支援系の魔法を覚えるコースだ。
必要だが、どうしてもみんな攻撃系の魔法を覚える事が多いらしい。そんな中で、支援系という魔法は受講者も少なくて割安だった。攻撃系の魔法は今後、お金に余裕があれば覚える事にしよう。
ただ、体験入学での教師のイメージは最悪だった。
「魔法はイメージ! つまりはインスピレーションが大事なんだ。そこの所は分かるかい?」
いや、分からねーよ。もっと分かりやすく教えろよ。それよりもルーン文字とかいうのを教えるのが先だろうが! イメージとかで魔法が発動するなら、こんな駅前教室なんかある訳ねーよ!
「おいおい、大事なのはソウルだよ。そこの所を分かって貰わないと……」
「さっきはイメージとかインスピレーションって、言っただろうが!」
「いいね! 君は最高だ。やっぱり魔法には、ツッコミが必要だと俺は思うんだよ」
ノリノリの教師に腹を立てるが、この辺では安くて近い魔法教室はここしかない。僕は仕方なくそこに通う事にした。大事なお金だが、何をするにしても僕は周りから遅れている状況だ。そこを埋めるには、行動するしかない。行動して、間違ったら訂正して……でもさ。
「魔法、それは芸術なのさ!」
若い男の先生は、ロックバンドをやっていると言われても信じてしまいそうな格好をしている。指には沢山の指輪をしていて、かなり重そうだ。僕が呆れて見ている事も気にしないで、体験入学はそのまま終了した。
参考書なども買ってみて、自分なりにも勉強を進めるが、ルーン文字は難しい。魔法使いにするべく、小さい時からの英才教育が大事だとテレビでもやっていた。時代は魔法使いを求めている……そんなテレビ番組を見た後に、ニュースで子供が魔法を悪用してスカートめくりが流行っているというのを見た。
人間、便利な物を手に入れてもそうそう変わらないらしい。勿論、大人が魔法でそんな事をしたら、即逮捕である。今朝もニュースで、電車に乗る女性を魔法で水浸しにする男が逮捕されていた。それのどこに興奮するのか理解できない。
やっている事はファンタジーなのに、結果は元の世界と変わらないというこの不思議。僕はこの世界でやっていけるのだろうか?
◇
『次のニュースです。現在日本政府が管理するダンジョンですが、レベル2以下のダンジョンを他国に一定期間貸し出す事を目的とした法案が、野党から提出されました。これは与党が進めている政策の交換条件として……』
テレビを見ながら食事をする僕たち家族は、基本的にテレビは食事中のBGMだ。話の内容は聞いていないのだが、最近は僕が食卓に加わるために雰囲気が微妙すぎた。静かな食事も味気ないと、父さんがテレビをつけだしたのだ。
でも、少しずつだが会話が増えてきている。内容はアルバイトはどうか? ジムは続いているか? その程度の内容でしかない。それ以上に、僕は家族との間に溝を感じている。まぁ、引きこもっていたから家族も溝を感じていると思うけど。
僕の特殊ともいえるこの状況は、家族に説明しても信じて貰えなかった。
「最近はどうだ二人とも……」
「別に」
「まぁまぁ、かな?」
会話といっても普段からしていると、口数は減っていく。毎日何かある訳でも無いので、会話は自然と短くなる。それでも最近はいい方だ。部屋から出てしばらくは説教! その後は無言の会話が続いていた。その時と比べればまだいい方だ。
夕食も終わり、部屋に戻るとスマートフォンに着信があった。相手は……あいつかよ。
「……、もしもし」
『何ですぐに出ないんだ! 僕は六時からかけたんだぞ!』
かけるとすぐに繋がったもう一人の僕。色々と知った後でも、こいつとの会話は腹が立つ。話を聞いても大した内容ではない。ネットゲームはどうなったか、お宝のフォルダーを送れるようになったか、部屋にあるエロゲは大切にしているか等々……そうして僕は事実を告げる。
「ごめん、ネットゲームはもうアカウントも消したし、エロゲも捨てた。お宝云々はまだPCになれてないから無理」
『何してくれたんだお前! アレの価値がどれだけあるか分かってるのかよ! それにアカウントを消すとか馬鹿なのか!? 毎日、毎日、ログインして会社を大きくしてきたというのに、それをお前は!!!』
電話の向こうで発狂している向こうの自分に、僕は落ち着くのを待って話を聞く事にした。スマートフォンの充電器を取り出して、充電しながらの会話をする。
「落ち着いた? それでさ、聞きたい事があるんだけど」
『何だよ』
「弟がいうんだけど、こっちで会わない方がいい連中ってどんな奴等?」
内心ではあの二人を思い出すが、それ以外にも存在する連中にも気を付けないといけない。顔を合わさない、という事が今後不可能な時には色々と知っておきたいからだ。アルバイトをしている時に、絡まれるのは勘弁して欲しい。
『……屑の事なんか思い出したくもないけど、俺を捨てた女には復讐したい。机の二番目の引き出しに、黒いノートがあるだろう。それが復讐リストだから、そいつらには何をしてもいい。気分が悪いからこれで切るぞ』
そういって一方的に会話を終えた向こうの自分。僕は机の引き出しから黒いノートを取り出すと、それをベッドの上で開いて確認する。意外にマメだな僕は、そう思ってみた事を後悔した。酷い……感想はその一言に尽きる内容だった。
前にコンビニであった二人が最初に来ていたが、それ以外にも学生時代の写真が張られて事細かに色々と書かれている。寝取った男や元彼女はこの際どうでもいいとしても、次のページには一学年上の生徒会長だった女子の写真が貼られている。
内容は、寝取られた後に学校に登校すると、校門の前で元彼女の友人であったその生徒会長に罵られる。それを切っ掛けに学校でのイジメが出始めたというのだ。まぁ、このノートの事を一方的に信じる事も出来ないが、父さんの口ぶりからだと学校では僕が悪者という訳だ。
次のページには、元友人である男子生徒の写真が貼られていた。仲が良かったのに、生徒会長から罵られると態度が一変。その後は率先してイジメに加わったらしい。蹴られたり、殴られたりと悲惨だなこの世界の僕は……
更にページをめくるが、クラスメイトが中心でイジメを実行していたらしい。そのために、ほとんどがクラスメイトの写真だった。全部のページに悔しさがにじみ出るような文章が付け加えられている。そして最後のページには、どうやって集めたのか分からないが、イジメにあった年の教師や全校生徒の写真が貼られていた。
学年ごとの集合写真だろうか? その写真の下には、びっしりと名前が書かれている。……怖いって! 本当に怖いから!
確かにイジメた相手だから憎いのは分かるが、ここまで憎んでも相手は僕の事なんか忘れているだろうに。それなら僕もこいつらの事は忘れて、自分の人生を生きる方がましだ。それにこいつらって進学校の生徒だろう? きっと今頃はいい大学に入って一流企業に勤めるんだろうさ。
無理だな。復讐とか無理。僕は、こっちの世界の自分ほどに憎しみを持っていない。そんな状態で復讐とか……待てよ。あいつは引きこもっていたから、別に復讐とかどうでもよかったんじゃないか? だって、ネットゲームしてエロゲやって、どうやって復讐するつもりだったんだあいつ!
◇
「ほら大谷君! もっと熱くなって、そうもっと、もっとよぉぉぉ!!!」
そうして次の日には、ジムに通ってトレーニングに励む訳だが……どうして僕を教える先生は個性的なのだろうか? ムキムキのオカマであるトレーニングコーチは、指導もしっかりしているのに凄く濃い! 背中を見せると襲われるのでは? そんな錯覚すら覚えるほどに濃いコーチだ。
「何してるの! 他の事は考えないで、今は私の事だけ考えなさい!」
「今、さっらと自分の事を考えろとか言いましたよねコーチ!」
「集中なさい! 集中すればそれだけ効果が出るのよ! ほら、もっと熱くなてぇぇぇ!」
うん、アレだね。復讐よりも今は出来る事をするべきだよね。というか、復讐なんかどうでもいいや。