アルバイトもしてみよう
病院での検査を受けた翌日、僕は無事に退院できた。ダンジョンで無理に暴れ回った事や、異能の効果を調べる医師の指示に従って行ったのは体力測定だ。その他にも色々と検査をしたけれど、特に異常は見つからなかった。いや、あれだけ怪我をしてすぐに完治するのは十分に異常だし、服まで傷一つないのには医師も驚いていた。
まさに異能である。自動全回復は、自分が装備した装備品まで完治させていたらしい。それを聞いた時、もしかしたら人体実験でもされると恐怖したのだが、そんな事は無かった。その事を看護婦さんに話すと、笑いながら答えてくれた。
「そんな十年以上前みたいな事はしませんよ」
……笑えない。その答えも十分に笑えないからな!
さて、病院から無事に退院できた僕だが、その測定結果は僕のステータスを管理している国の機関に、病院が新しいデータを提出してくれた。そうして更新されたステータスを確認する。
【大谷 優】【21】【ランクB】【異能・自動全回復】【まだいける! まだ伸びるから頑張れ!】
……毎回見て思うのだが、十七歳だった僕が、ここに来て二十一歳という違和感。それと共に、経験していない四年間に何があったのか気になってしまう。ただ、引きこもりをしていたこの世界の僕の事だから、部屋に引きこもっていただけかも知れないな。
◇
病院から退院して、電車で自宅を目指す僕は測定結果の事を考えていた。ダンジョンに入って魔物を倒すと、身体に不思議な効果が表れる事までは分かっている。力が強くなったり、速く走れるようになるという分かりやすい物から、体内年齢という見えない物も向上する傾向にあるというのだ。
同じ年齢の女性でも、ダンジョンで仕事をする人の方が若々しく見える事が多い。何らかの不思議な力が、ダンジョンにはあるとされている。どこかの国の映画女優が、ダンジョンに定期的に潜っているという噂もあるくらいだ。効果はあるのかも知れないね。
「それよりも、左手の甲にこんな物あったかな?」
電車の中で特に気になったのは、医師に言われるまで気付かなかった左手の甲にある模様だ。この世界に来てから見た事は無いと思う。思うというか、そんな事を気にしていられなかったし、生活している中では気付かなかった。だから無かったと思うのだ。
ダンジョンに潜ってからだろうか? でも、医師はこんな模様は見た事が無いし、そんな報告も受けた事が無いという。下手に気にされて、人体実験に使われるのは嫌だから刺青という事にしようか? まぁ、これが何でもない事を祈ろう。
そう思いながら左手の甲を見る。薄く浮き上がるような模様は、人の形のように見えた。
◇
病院から戻ってくると、数日はアルバイトを休むがその後は普段通りにコンビニの夜勤を再開した。流石に何もしないというのは気が引けるのと、これからは何をするにもお金がかかるからだ。せめて家にもお金は入れておきたい。
ダンジョンから帰ると、身体の動きがいつもより軽い事に気付いた。荷物を運ぶ時はそれを実感できたし、働いても体力が続くのか残業も出来た。夜から朝にかけて働く事も多くなり、朝の忙しい時間帯も仕事をする事になる。
なるのだが……どういう訳か父さんと弟が、家から駅に向かう方向とは逆にあるコンビニ。つまりは僕が働いているコンビニに顔を出すようになった。朝の早い時間帯に顔を出すと、買う物もあまり無い筈なのにほとんど毎日顔を出す。
まぁ、理解はできる。心配しているのだろう。家にいる時も母さんと僕が話す時は聞き耳を立てている二人だ。面と向かっては話せないから、こうして様子を見に来ているのだと思う。
今日も弟が、学校に行く前にコンビニに顔を出しに来た。ボールペンを買うようだが、お前は一週間前もボールペンを買っていたよな?
「百五円になります」
「ん」
ピッタリ百五円を出して、そのままボールペンを渡すとほとんど無言で店から出る弟。父さんもこんな感じである。
「ありがとうございました」
家族でこんな事を言うのもおかしいが、今は仕事中だ。意識を切り替えて次のお客さんの対応に移る。そうして品物を受け取って金額をお客さんに告げるのだが……お客さんの様子がおかしい。
一人は僕よりも身長が高く、小麦色の肌をした金髪の男である。サングラスをしてタンクトップ、腕には高級そうな時計がしてある。一見すると近付きたくない部類、以前の僕なら喜んで喧嘩を売った部類の人間だ。
もう一人は、焼けた肌をした女性で、こっちも髪を金色に染めている。髪の根元は黒くなっているし、体のラインがです薄着をした一見すると美人。でも、僕的には好みでも何でもない。そんな二人が僕の顔を見てニヤニヤしている。知り合いだったか? いや、あいつの知り合いかな?
「お前、大谷だったけ? 引きこもり止めて、こんな底辺のアルバイト生活かよ惨めだな」
男が女の肩を引き寄せながら僕を見下してくる。待ってくれ、僕は君の事が思い出せないぞ! ……学生時代の友人だろうか? でもこんな風になる奴は思いつかない。もしかしたら、あいつだけが知っている知り合い……いや待て! そもそもあいつの交友関係が、僕と同じとは限らないじゃないか! 家族がいるから勘違いしていたが、ここは僕のいた元の世界ではない。
「私もこんな惨めな男捨てて、マサの彼女になって良かったぁ。だってぇ、あのままこいつと付き合ってても面白くなかったしぃ。それよりも、あんた未だに童貞?」
……いや、童貞だけど、それよりもお前なんか知らんぞ! 僕は今まで彼女とかいなかったし、そうなるとあいつには彼女がいた事になる。なんて事だ、あいつに負けるのは凄く悔しいぞ!
「俺に彼女寝取られて引きこもりとか、本当に笑えるわ。お前みたいなモヤシには、こいつは勿体無いもんな。今じゃ俺の二番目の彼女だぜ」
見せつけるように店内でキスをする二人。おいおい、今忙しいんだから勘弁してくれよ。店長もなんて言っていいのか分からないのか、助けてくれる気配がいない。それよりもレジがこいつらに占拠されていて、店長は残り一つのレジで頑張っている。
それよりも、あいつの引きこもった理由が、評価されないとか関係なく寝取られか!? あいつ嘘吐いて平行世界に逃げ出したのかよ。そっちの方が驚きだな。あれ? 今、この男は二番目の彼女とか言ってたな。凄いなぁ……二股かよ。
女の方を見ると、二番目といわれても幸せなのか嬉しそうにしている。一番目がいるのに、喜んでいていいのだろうか? お前はもっと自分を大事にした方がいいよ。関係ないけどさ。それよりも店内が混んでいるのに、こいつら邪魔だなぁ。
「三百五十五円になります」
「あ?」
「三百五十五円になります」
男や女は、僕の対応が気に入らないのか睨んでくる。睨まれても困る。僕は今仕事中なのだ。
「……お前さ、俺たちの事を馬鹿にしてるの? 俺の親父が凄腕の冒険者だって知ってる訳?」
「止めなよマサ。大谷君が震えてるよ」
笑いながら止めに入っても効果なんかないだろう。それよりも、僕とこの男が争うのを楽しんでいるよね。それにしても冒険者の息子さんか……さっき帰った元冒険者のおじさんとは違って、きっと本物なのだろう。息子がこんな高級そうな時計をしてるから、稼いでいる事がうかがえるね。
そんな事を思いつつ、僕が三百五十五円を払ってくれるのを待っていると、男や女の横から声がした。しびれを切らしたお客さんだと思って確認すると、そこには凄く怒っているであろう弟の姿が……おい止めろ! いや、止めて下さい! こんな奴等でもお客さんだから!!!
「おい、家の兄貴に何の用だ屑」
「あ? お前誰? つうか、こいつの弟? それより屑って俺の事かよ? お前の兄貴の方が屑だろうが、あ!」
睨みあう男と弟……殴られた時に物凄く痛かったから、母さんに聞いたんだ。弟は格闘技系の部活で物凄く強いらしいと。負ける云々じゃなくて、お客さんを怪我させるな! というか店で暴れないで!
僕はカウンターから出ると、そのまま弟を拘束して店外に出る。後ろから羽交い絞めにして店の外に出ると、男と女は呆れたのか笑いながらお金を置いてそのまま店から出ていった。そのまま店の外で弟が睨みつけたが、高級車に二人は乗り込んで荒い運転でそのまま去っていく。
弟は、羽交い絞めから無理やり抜け出すと僕を睨んできた。
「悔しくねーのかよ! あの男も、あの女も! 兄貴の事を散々馬鹿にして笑い者にした奴等だろうが! あの女は家にまで来て屑野郎と……そのせいで兄貴は引きこもったんだろうが!」
は、話が見えてこない。つまりあれか? 僕はあの二人に散々馬鹿にされたのか? そして引きこもりになったと。それよりも家にまで来てあの男と女は何したんだ?
「落ちつけよ。今は仕事中だから、店に迷惑がかかるだろうが」
「あんな変態共、殴り殺せばいいんだ! 兄貴はそれでいいのかよ。あいつらのせいで人生を棒に振ったんだろうが……」
そのまま弟をなだめて学校に行かせると、僕は店長に謝ってアルバイトを再開した。店長は、あそこで揉めなかった僕の事を褒めてくれたが、僕は弟が兄貴と呼んだ事に少し嬉しかった。
◇
その日の内に、僕はこの平行世界での出来事を調べる事にした。僕であって僕でないこの世界の出来事を調べるために調べてみると、色々な事が分かった。先ず、この平行世界では僕は修学旅行までは同じように生活していたという事だ。
家族の死という事実が存在しないこの世界で、僕はそこから違う道を歩んでいた。違う高校に通い、進学校に入学した僕は、弟の言う通りあの二人のせいで道を踏み外したようだ。母さんに高校時代の事を聞くと、露骨に嫌な顔をする。
弟は帰ってきたら僕とは話そうともしないので、父さんに色々と聞く事にした。聞くといっても、慎重にだ! こちらが覚えていない風ではなく、父さんから見た僕という物を聞くというスタンス! 複雑な気分だが、知らないと後々面倒になっても困る。それにしても意外と大変だったんだな、平行世界の僕は……
「お前の高校時代? まぁ、あれは辛かったとは思うが、今更気にしてもしょうがないだろう。終わった事だ……」
「いや、もう少しだけ自分を見直した方がいいかと思ってさ。折角部屋ら出て働きだしたから、これを機に色々とね」
何を色々なのか、言っている自分でも理解できない。しかし、父さんは渋々話し始めた。
「高校二年生の時までは順調だったな。お前は成績も良かったから、俺も母さんも心配していなかった。だが、あの女が来てから……いや、あの男が原因だろうが……」
言葉を濁す父さん。そのまま嫌そうな顔をして話を再開した。
「最初にお前があの女を紹介してきた時は、いい所の御嬢さんでもあるし、挨拶も出来るいい子だと思ったよ。でもな、その内変な男と付き合いだして、お前とあの男の間でフラフラして最後はアレだ。今でも思い出すだけで腸が煮えくり返る」
アレ? アレって何! 何があったんだよ! そこが知りたかったのに、父さんはそこだけを飛ばして、そのまま僕が引きこもる前までを話し出した。
「学校では、お前が悪い事になっていたらしい。向こうの親御さんも、娘の事を悪くいわれるのは耐えられなかったのは分かるが、全部お前に押し付けたな。そしてあの男の親は凄腕の冒険者だ。学校も俺も大した事をしてやれなかった。すまなかったな」
最終的には、寝取られて云々の話も悪い噂も僕のせいにしたのか?
「あの女も学校を辞めて、今では遊び回っているようだ。親御さんも頭は下げに来たが、あれでは報われんな」
そうなのか……そう思って聞いていると、僕は一つ思った。もしも、僕があのまま幸せに暮らしていたなら、あいつと僕は同じになっていたのではないか? あいつも苦労してきたのではないか? 苦しんで、そして悔しかったのではないだろうか?
そう思うと、あの二人が憎くなる。直接関係ないとはいえ、あまりいい話でもないしね。
「……それよりも優、お前アルバイトは順調か?」
父さんが話を切り替えると、気になっていた事を聞いてくる。いや、父さんも弟もほとんど入れ代わる感じで、店に来て様子見てるじゃん! そうは思うが、流石にそれをいう訳にもいかない。お互いに会話の距離感がつかめていない、この微妙な感じでは仕方ないだろう。
「うん、もうすぐ三ヶ月だから大分なれてきたよ。強盗のおかげで、時給も少しだけ上がったしね」
「そうか、まぁ無理はするなよ」
お互いに遠慮がちに話を終える。数年前とは違う事も多いけど、確かに変わらない物もある。ここは本当に平行世界なんだと思いつつ、僕はここにいていいのか不安になってきた。この世界の僕ではないのに、僕が家族という失った物を手にしているのは、あいつに対しても罪悪感が芽生えた。